第十五話 旅立ち


 私は馬車の中でジュリエンと二人きりになると言いたいことが山ほどありました。


「何なのよ、貴方は。急にペンクールに行ってしまったから、私は貴方に嫌われたのだとばかり。そもそも厨房の私の所に来ていたのは食欲と性欲を満たしたいだけだったのですものね!」


「いや、そりゃあ最初はそうかもしれない。けど、何か違うんだよ。俺、もうダフネのエプロン姿じゃないと萌えないんだ。責任取ってくれ」


「はい、責任? それって私のせいなの?」


「そりゃそうだろ、俺の胃袋とアソコはお前にガッチリ掴まれてしまって……お前が作った料理も食べられなくなって食欲もあんまりないし、性欲も激減した……」


「バ、バカァ! 私のことなんてただの都合の良い女だと思っていたのかと、忘れられたのかと……すっごく寂しかったんだから! それなのにテネーブル公爵家の結婚式に戻ってきたり、いきなり職場に現れたりして! うわぁあぁん!」


 私は涙が溢れ出てきて止まりませんでした。


「悪かったよ……」


 ジュリエンの逞しい胸にもたれかかって泣きじゃくる私の背中を彼は優しく撫で続けてくれます。


 辻馬車に揺られながらしばらくジュリエンの胸で泣いていた私でした。彼の温もりが何とも言えない心地良さでした。そして少し落ち着いてくると何だか気恥ずかしくなってきました。


「グスグスッ、ごめんなさい。私ったら……思いっきり泣いたら少しスッキリしたわ……」


 私はジュリエンを見上げました。彼は切ない表情をしています。


「お前を泣かせるのは本意ではないんだ。こんな俺だけどお前を愛する気持ちに嘘も偽りもない」


「本当に?」


「そりゃあそうだ。じゃなければお前の職場で堂々と告白なんてするかよ。まるで公開処刑だぜ」


「私が頼んで来てもらったわけではありません。それにあんなところで同僚皆の前で土下座なんてされたら私は断れないに決まっているじゃないの」


「あれだけ証人が居たもんな。でも、俺を選んで良かったと後悔はさせないから」


 そこで馬車が止まりました。立派な車付けのある建物です。


「さあ、お嬢様お手をどうぞ」


「どこなの、ここ?」


「うちの食料庫じゃないことは確かだな」


 建物の前には噴水まであり、表通りから奥まった正面玄関前に私たちは居ました。


 ジュリエンの言葉の意味が理解出来た私は咄嗟に逃げ出そうとするも、彼の筋肉質な腕にガッチリと拘束されてしまいました。


「ちょ……真剣交際だの性欲激減だの言っていたのはどの口なのよ? 貴方ね、舌の根も乾かぬ内に連れ込み宿に連れて来るなんてどういうつもり?」


「真面目に付き合うんだから、誠意を持ってヤリまくるに決まってる。だから食料庫の床じゃなくてちゃんとふかふかの温かい寝台に押し倒す」


「何よ、その屁理屈? そう言う問題じゃないでしょうが!」


 私を抱きしめているジュリエンの両手は既にけしからん動きを始めています。


「その王宮の厨房エプロン姿もスゴくイイ、ソソるよ、ダフネ。最近めっきり元気がなくなっていた俺のムスコも完全復活してビンビンだ、ほら触ってみろ」


「いやだ、ちょっと……何もうおっ勃ててるのよ!」


「まずはそのごちゃごちゃとうるさいその口を塞いでやらないとなぁ」


 私はいきなりそこで唇を奪われていました。それは今までのわだかまりを全て忘れさせられそうな熱烈なキスでした。


「ジュリエン……あぁぁん」


「ほら、お前も感じてきてるんじゃないか……」


 彼が私にそう囁く通り、恥ずかしながら私の体にも火がついてその気になってしまっていました。


「あのう、お客様、どうか続きはお部屋でお願い致します……」


「おっとわりぃな」


「もう、やだぁ……」


 近衛の制服と料理人のエプロン姿という目立つ格好で真っ昼間から、しかも宿の正面玄関前でラブシーンを繰り広げていた私たちでした。ジュリエンは受付係から鍵を受け取り、堂々と中に入って行きます。彼に手を引かれている私は恥ずかしさで消え入りたい気分でした。


 そして部屋に入るなり、私たちはもつれるように寝台に倒れ込み、久しぶりにお互いをむさぼり合いました。ジュリエンに愛の言葉を囁かれ、私は幾度となく快楽の波に溺れ、ふと気付いたら外は薄暗くなっていました。


「いやだ、私たちったら、もうこんな時間だなんて……」


「このまま一緒に朝を迎えたいのは山々なんだけど、いきなり朝帰りさせるわけにはいかないから、送って行く。ご家族の俺に対する印象をこれ以上悪くしたくないし」


 私も今晩はこのままジュリエンの温かい胸の中で眠りに就きたい気持ちでした。それに彼は明日には遠征先に戻ってしまうのです。


「これ以上悪くってどういうことよ?」


 我が家に向かう辻馬車の中で彼は私の本名と居場所を知るまでの苦労の道のりを話してくれました。


「かれこれこういう経緯でさ、お前の姉上と御継父殿に吊るし上げられてしっかりたんまり絞られた」


「姉はともかく、クリスチャンまで……」


「見兼ねた御母上がそのくらいにして差し上げたら、とおっしゃってくれなかったら俺は今朝お前の所まで辿り着けていなかったよ。という事だから今晩は誠実さを証明するために遅くならないうちに送り届ける」


 そして馬車が我が家に着くと、ジュリエンも私について馬車を降り、両親に改めて挨拶をしていました。


「おかげさまでダフネさんに受け入れてもらえました。ありがとうございました」


「まあ、良かったわね、ダフネ。クイヤールさまもよろしかったら夕食をご一緒しませんか? どうぞお入りください」


「うちの大事な娘と交際できるとは貴方も非常に運の良い方ですね」


「全くもって御父上のおっしゃる通りです」


「はい? 貴方に父上と呼ばれるにはまだ早すぎます」


 複雑な表情のクリスチャンに私と母は思わず笑いだしました。




 ジュリエンが帰宅する前、翌朝も二人で会う予定を立てました。そう言えば料理長が明日も休みにしてくれたのでした。


「明日は午後の乗合馬車でペンクールに戻るから、午前中は一緒に過ごそう。朝食後に迎えに来る。そうだな、エプロン一枚持ってきてくれ」


 そして初夏の美しく晴れた朝、乗馬服姿のジュリエンは見事な栗毛の馬に乗って来ました。私もお屋敷に勤めていた時に彼が時々遠乗りに行くのを見掛けていました。私は彼の前に横座りで乗せられます。


「貴方のことだからてっきりまた連れ込み宿に行って、私にエプロン着せて、という展開かと思ったわ」


「いや、それも考えたけれど……フランソワとクロエさんが馬に二人乗りで出掛けているのを見て、ちょっと羨ましかったんだよな。これって俺達の初デートってやつ? 天気にも恵まれたし」


「そうね、私たち一緒に出掛けたことなんてないものね。貴方がペンクールに行ってしまう前に良い思い出になるわ」


「思い出はこれからも二人で沢山作っていこうな」


 結局私たちは王都南の森を抜け、野原を駆けて行き、小さな湖に着くとそこで馬を下りました。ポールさんの作ってくれた軽食を食べ、その後は誰も居ない草原で二人きりというシチュエーションにお互い気が高ぶってしまいました。ということで結局エプロンも大いに活用したのでした……




 その後、私は家に送ってもらうと、もうすぐジュリエンが再びペンクールの地に旅立つ時間になりました。


「まとまった休みが取れたらすぐにまた帰ってくるから。このエプロン貰ってもいいか?」


「何に使うのよ? 貴方、料理をするわけじゃないわよね」


「いや、だから、その、お前が居ない寂しさを紛らわすためにさ……」


「単身赴任の身軽さで現地の女と裸エプロンプレイなんてしまくっていたら承知しないわよ。やるだけならともかく、変な病気を貰ってこないでよ! 私の包丁は常に研いであるのですからね!」


「ヤるだけならって俺はそこまで信用されてないわけ? お前のエプロンは俺が自分を慰めて一人で楽しむのに使うに決まってるだろーが!」


 ジュリエンは堂々と胸を張って言うので、具体的にどう使うのか聞くのはやめました。私は大きなため息をつき、もうあまり着なくなったエプロンを何枚か出してジュリエンに渡しました。


「おおっ、ありがたい。愛してるよ、ダフネ。汚れるから替えも要るしな。こういうフリルがついたのもいいけど、シンプルなだけのも萌える。色はやっぱ白が一番だ」


 彼はそう言ってその白い布地に頬ずりをしています。色々突っ込みどころ満載でしたが、彼が純粋に喜んでいるのでこれ以上口を開くのはやめました。


 私はジュリエンを乗合馬車乗り場まで見送りに行き、私のエプロンをしっかりと胸に抱えた彼が乗り込んだ馬車が視界からいなくなるまで見守っていました。




***ひとこと***

しっかり仲直りも出来、クリスチャンにも何とか認められて、その上ダフネエプロンも何枚か手に入れたジュリエン君でした。これで一人寝の寂しさも少しは紛れることでしょう。まあ、具体的に述べるのは避けておきます。


旅立ち イカリソウ

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