第八話 結婚式の祝宴


 ジュリエンは今日の結婚式に家族で出席していました。彼の隣にお兄さまのフィリップさまとご両親もいらっしゃいました。そう言えばクイヤール伯爵家は家族ぐるみでテネーブル家と懇意にしているのでした。


 ジュリエンも遠征から一時的に帰ってきているのでしょう。それとも遠征期間はもう終わったのかもしれません。どちらにしろ、私にはもう関係のないことでした。


 エプロン姿の料理人マドレーヌとは違い、貴族令嬢モードのダフネ・ジルベール=ゴティエは化粧もしているし髪型も違います。ジュリエンに気付かれることもないでしょうし、そもそも私の顔なんて覚えていないかもしれません。


 私は静かに深呼吸をして大丈夫だと自分に言い聞かせていました。私が悩みに悩んだ末に書いた文はジュリエンに読んでもらえたのかどうか分かりませんが、彼にもう憎まれていなければいいな、という気持ちだけはありました。ジュリエンから冷たい視線を浴びせられるのだけは耐えられません。


 私は婚姻の儀式に集中しようと努めました。静粛で厳かな大聖堂の中、新婦である姉が義父の前テネーブル公爵さまに付き添われて入場してきます。


 姉は朝から緊張のためか、口数が少なかったような気がします。朝食もろくに喉を通っていませんでした。


 王都大聖堂など、庶民として暮らしている私たち一家にはまず縁のない場所でした。姉はそれでも萎縮することもなく、堂々と胸を張ってゆっくりと祭壇前にいる愛しい男性の元へ歩んで行きます。


 方や新郎のテネーブルさまはにこやかな笑顔で姉の手を取っていました。彼がとても嬉しそうなのは誰の目にも明らかです。




 式は滞りなく進み、祭壇前で新郎新婦がそれぞれ誓いの言葉を言います。そして二人は向かい合い、大司祭さまの声だけが静まり返った大聖堂内に響き渡っていました。


「ここにフランソワ・テネーブル、クロエ・ジルベールの二人を夫婦として認めます」


 そして正式に夫婦になった二人は口付けを交わしたのですが、キスが終わってもテネーブルさまが姉をしっかりと抱きしめてなかなか動きませんでした。


「クロエェ、良かったぁ……」


 一列目の席に座っている私たちの耳に、そんなテネーブルさまの声が入ってきました。


「うぉっほん!」


 大司祭さまが咳払いをされています。そこで真っ赤になっている姉をやっと解放したテネーブルさまは彼女の手を取り、今度はその手を引いて大聖堂の正面出入口に向かいました。その後に大勢の参列客が続きます。


「感動してしまいましたわ。私の小さかったクロエが愛する人に嫁いだのですもの」


「キャロリン、私たちもこの祭壇前で誓いの口付けを交わしましょうか」


「えっ、何をおっしゃるのですか、クリスチャン」


「ねえ、いいでしょう。私たちは式を挙げていないのですから。そもそも私とだったら大聖堂で式など出来ませんけれどもね」


「私は式なんてどうでも良くて、貴方の妻になれたことで幸せいっぱいだとお分かりでしょう」


「それは私もです」


 母の手を取って立たせ、クリスチャンは祭壇の前に母を連れて行きます。何だかんだ言いながら口付けを始めた二人でした。私はそんな両親を温かい目で見ていました。


 その間に他の参列客の方々はほとんど大聖堂前に出てしまわれたようです。私たち三人も外に出ると、新郎新婦が皆さんに見送られながら馬車に乗りこんでいました。これからテネーブル公爵家で晩餐会が行われるのです。


 晩餐会の後、私と両親は公爵家の離れに泊まらせてもらうことになっていました。夜遅くなるだろうから、というテネーブル家の皆さまのお気遣いです。


 それでもそんなに遅くまで晩餐会に残るつもりもありませんでした。大勢の招待客にはまず知り合いも居なくて、姉の親友のエレインさんと旦那さまのウリィアムさんくらいです。




 結婚式後の晩餐会は格好の出会いの場だと友人たちにはけしかけられています。しかし、今の私はそんな肉食系のギラついた目で男狩りをする気分にもなれませんでした。


 それに、ジュリエンとご家族が式に居たということは、彼らも晩餐会にも来るに決まっています。念のため私は常に扇で顔を隠し、ダンスも絶対に踊らないことにしました。そもそも私は一通り習ったとはいえ、まだまだ初心者レベルなのです。


 とにかく、花嫁の親族ですから姉とテネーブル家の皆さまに恥をかかせないように振舞うのが得策です。


 晩餐会では私と両親はエレインさんとウィリアムさん他、姉が職場でお世話になっている方々と同席でした。


 私は公爵家で出される豪華な婚礼料理に舌鼓を打つことに専念しました。前菜にスープ、メインは魚に肉、それにデザートは二種類も出されました。


「出来れば公爵家の厨房に臨時で雇ってもらって式を支える裏方に徹したかったですわ」


 私はエレインさんにこっそりと打ち明けていました。私は本気でそう思っていたのです。貴族の婚礼料理を準備するなんて貴重な経験になると思いました。


「それでも我儘を言って姉夫婦を困らせるわけにはいきませんものね」


「そうね、テネーブルさまは義妹のダフネをこき使うことに抵抗があるわよね」


「エレインさんは後で踊りますか?」


「まさか! 私なんてフォークダンスしか出来ないのに」


 幅広く事業を手掛けているウィリアムさんと不動産業を営むクリスチャンは貴族社会にも知り合いが少なからず居るのです。両親とウィリアムさんは食後、その知り合いの方々に挨拶をすると言い、席を外しました。


 私はエレインさんとテラスに避難して二人で静かに時間を潰していると、しばらくしてウィリアムさんが一人で私たちの所へやって来ました。私の両親はテネーブル家のご両親や親戚の方々と歓談中だそうです。


 エレインさんとウィリアムさんは新郎新婦に一言挨拶をしてもう帰宅されると言うので、私も離れに引き上げることにしました。


 テラスからそのまま出て離れに向かう前、飲み物を取りに行こうと隣の小広間に庭側の扉から入ったところでした。そこで男女数人が話していることが嫌でも耳に入ってきました。


「招待客はほとんどテネーブル家側の人間ですけれどもね」


「そりゃそうだろう。奥さんの方は取り潰しになった男爵家出身で、庶民同然の生活をしているそうだから。貴族の集まりに呼べる親戚も知り合いも居ないのさ」


 新婦側の招待客が圧倒的に少ないのはしょうがありません。この後の会話の流れが容易に予測出来ます。


「どうやって公爵夫人の座を射止めたのか、大いに気になるところよね。彼女、見た目によらずあっちのテクがスゴいとか? 下々の者は誰彼構わずねやでの技を磨くそうですものね」


 姉に限ってはまずあり得ません。テネーブルさまと交際するまで経験なんて皆無の姉でした。そんな姉に実戦で役立つ性教育を施し、女子力アップに協力していたのはエレインさんと私なのです。


「そりゃあそうさ、誰もが口に出して言わないだけで、なぁ? フランソワはまんまと篭絡ろうらくされて、もう仕込まされたのかもよ。数か月もすれば分かるさ」


 的外れもいいとこです。これ以上聞きたくなくて私はすぐに出て行こうとしました。その時に私の反対側、大広間側の扉の前にジュリエンが立っているのに気付きました。今すぐこの場を去らないといけないのに、小広間の隅で私は硬直したまま動けませんでした。


「あぁーあ、ここは空気が悪いな。おい、今の会話、テネーブル家と新婦の家族の前で堂々と出来る度胸があるならしてみろよ」


 悪意のこもった会話に加わるか、聞こえなかったふりをすると思っていたのに、ジュリエンは真っ向から彼らを批判しています。


「大体な、フランソワの方がクロエさんに振り向いてもらおうと必死になってストーカーの如く彼女を追いかけ回していたんだぜ。新郎新婦と親しくしている人間なら誰でも知っていることだ。それに、二人は去年の夏に婚約して今日式を挙げたんだ。デキ婚なわけないだろ。それに今更そんなこと誰が気にすんだよ?」


 驚きのため私は扇で顔を隠すことも忘れていました。そして、その部屋に居る人物全員を威嚇するように見回したジュリエンと一瞬だけ目が合ったような気がしました。


 そこで我に返った私はくるりと向きを変え、テラスを駆け下りて屋敷の壁伝いに離れに一目散で逃げました。




***ひとこと***

エレインとウィリアム、友情出演でした。


さて、学生時代は学業とよろず屋の仕事で忙しかったクロエですから、恋愛偏差値だけは超低かったのですよね。その上、あの生真面目な性格ですからフランソワとのデートでも変な方向に暴走しておりました。懐かしいですねー。


結婚式の祝宴 オレンジ

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