第二話 甘い誘惑


 誤解のないように言っておく。俺は女と見れば使用人だろうが何だろうが片っ端から手を出しているわけでは決してない。騎士という職業はやたらとモテるから、こっちから声を掛ける必要はまずないのだ。


 元々俺は学院時代から女には不自由していなかった。王宮に騎士として勤め始めてからはそれが更に顕著になった。自慢でも嫌味でもない。


 王宮東宮にある騎士団稽古場には連日大勢の女共が群がっていて、鍛錬する騎士たちに黄色い声を上げているのだ。そりゃあ俺も男として可愛い女の子達にちやほやされるのは悪い気はしない。


 それでも俺は鍛錬中は黙々と集中したい性分だ。だから自宅で一人筋肉を鍛え、素振りをするのは毎朝の日課だった。




 俺は小さい頃から優秀な兄にどうも引け目を感じていて劣等感の塊である。


「ジュリエンはハンサムで女の子の扱い方を心得ているから付き合っていて楽しいわ。それでも結婚するならやはり貴方のお兄さま、フィリップさんのようなタイプよね。長男で爵位も継ぐ、堅実で将来性のある人が良いわ」


 以前付き合っていた女が俺の前で堂々とそうのたまった。俺の中の醜い感情を一気に引き出してくれたその女には腹が立ってそのまま関係は途絶えた。


 あんな計算高い身持ちの悪い女は兄貴にヤリ逃げされておしまいだ、と負け惜しみだが自分に言い聞かせていた。しばらく経って共通の友人から聞いたところによると、その女は俺と付き合っている頃からうちの兄に色目を使っていたが、兄には相手にもされていなかったそうだ。


 兄にそれとなく聞いてみると、あからさまな肉食系女子は好みではないとのことだった。


「クイヤール伯爵家の跡取りとして、王宮医師としての私だけでなく、私自身を好きになってくれる清楚で心が綺麗な人がいいのだけど、まあ難しいよね」


 兄には一生敵わないなと思った瞬間だった。家柄良し、見目良し、社会的地位も高い上に人格者だなんて出来すぎだろ。


 次期伯爵である兄と身分が釣り合い、両親の眼鏡に適い、且つ兄の理想のタイプの女がこの世に存在するとは思えないが、彼が良い縁に恵まれることを純粋に心から願った。




 さて、マドレーヌがうちに勤め始めてから、食事の時間がより楽しみになった俺だった。ポールの料理は毎日安定の質を保っているが、メニューのレパートリーがあまりない。だからマドレーヌが手伝った品はすぐに分かるようになった。お茶の時間に出される焼き菓子やデザートも種類が増えた。


 秋も深まりつつあったある夜のことだった。寝る前に何かつまみたくて、いつものように厨房に忍び込もうとしたらこんな時間だというのに灯りがついていた。ポールは朝食の準備のため夜は早い。俺の予想通り、厨房に居たのはマドレーヌだ。厨房の扉を開けると甘いチョコレートの匂いが漂っていた。


「何作ってんの?」


 火にくべた鍋の中身を混ぜている彼女に後ろから声を掛けた。


「キャッ、ああ若旦那さまでしたか……」


 マドレーヌはこちらを振り向いて頭を下げた。


「驚かせて悪いな。ちょっと小腹が空いて、誰も居ないと思って来てみたら君が居るからさ」


「それでは何かご用意いたします」


「夕食に出た豆のスープ、南部料理風の香辛料が少し効いていたろ、旨かった。まだ残っていたら温めてくれよ」


 彼女は俺のその言葉に意外だというような表情を見せたが、少し微笑んだ。


「お気に召されたようで光栄ですわ。今この鍋を火から下ろしますので、スープは少々お待ちいただけますか?」


 あのスープはポールの味ではないとすぐ分かったが、やはりマドレーヌが作ったのだった。先日はちらりと見ただけの彼女は、よく見るとぱっちりとした目が印象的な華やかで気の強そうな顔立ちだった。


「そのかき混ぜている鍋の中身はチョコレートか? ちょっと味見させろよ」


「はい、明日のお茶の時間にお出しする予定のチョコレートムースでございます」


 ただの下働きにしてはやたら言葉遣いも発音も美しい。彼女はさじにチョコレートをすくって渡してくれた。甘すぎず、オレンジの風味が効いている。


 彼女自身も味見をしていて、そのチョコレートを舐めている姿がなんとも色っぽい。地味な紺のドレスに白い調理帽とエプロンという何の色気もない姿だというのに俺はどうしてしまったというのだ。


 そう言えば近頃はご無沙汰で欲求不満が溜まっている。


「知ってるか? 女の大半はチョコレートよりもセックスの方が好きなんだぜ」


 思わず彼女を揶揄からかってみたくなり悪戯心が働いた。


「はい? それは……私には当てはまりませんね」


 何言ってんのよセクハラ男、と彼女の厳しい視線が俺の目を捉えた。真っ赤になって慌てるかと思ったが、まだ二十歳前くらいの娘なのに派手な顔立ちからして場数は踏んでいるのだろう。それなら俺も気が楽で、大いにそそられた。


「そう思うか? だったら今から証明してやるよ」


「えっと……若旦那さまは夜食をお求めで……スープなら今すぐ準備いたしますから」


 流石に驚いて後ずさりしている。無理もない。


「いや何か、別のもんが食いたくなった。例えば俺の目の前の旨そうなマドレーヌとかさ……」


 目を見開いている彼女の腰を抱いて強引に引き寄せたら彼女は抵抗もせず、華奢きゃしゃな割に出る所は出ている体が俺の腕の中にすっぽり収まった。


「えっ……」


 押し返されるかとも思ったが、嫌がっているようでもない。もちろん抵抗されたら俺はすぐにやめるつもりだった。主家の息子という立場を利用して使用人にセクハラをしたいわけではない。


 彼女の顎を持ち上げて唇を奪ったらマドレーヌも両腕を俺の背中に回してキスに応えてくるのだ。チョコレートを舐めているような感覚は最初だけで、それからお互いの舌を絡めて貪り合った。


 俺はもっと先に進むことにした。俺の手が彼女の体のあちこちを這い出すと何とも色っぽい低めの喘ぎ声が聞こえてきた。


「あ、あぁ……」


 俺は益々調子に乗り、興奮して硬くなった自身を彼女の下腹部に強く押し付けた。ところがそこでマドレーヌは俺から少し体を離してしまう。


「あの、こんな時間とはいえ、やはり良くありませんわ。どなたかに見られると私困りますから……」


わりいな。まさかこんな時間に誰かが来ることはないだろうけど鍵掛けるわ今」


 俺は厨房の扉を閉めたが、錠がなかった。


「ではこの下の食料庫に行きましょうか。あのう、お言葉ですが、避妊具なんてお持ちではないですよ、ね?」


 確かに飲み会など夜中に出掛ける時にはもしものために持っているが、寝衣で自宅内をうろついているだけなのに持っている方がおかしい。


「俺の部屋にはあるけどさ、このサカった状態で屋敷内をうろちょろしていて兄貴ならともかく、もし両親や執事に見られると非常にヤバい」


 寝衣を押し上げてその存在を主張している俺自身を指しながら言った。そこでマドレーヌはふっと笑みをこぼした。彼女は微笑むとより可愛く幼く見える。今晩のところはヤらせてもらえなくてもまあいいかと思えてきた。


「でしたら本番行為はなしにしましょう、さあ」


 ところが彼女は不敵に妖艶な笑みを浮かべて俺の胸板をそっと撫でてから俺の手を取り、いざなうのだった。俺にしてもこの魅惑的な誘いを断る理由もない。


 そして地下の食料庫で白いエプロン姿の彼女が俺の前にひざまずいて奉仕してくれるのに異様な快感を覚えた。その後、攻守交替してもエプロンもドレスも脱がさず、俺の手によって翻弄ほんろうされている着衣のマドレーヌに興奮が止まなかった。




 こうしてマドレーヌとの秘密の関係が始まったのだ。最初彼女に告げた通り、次回からは避妊具持参で夜中に厨房を訪れ、食糧庫での情事にふけるのが習慣になっていた。


 マドレーヌはいつ行っても俺を拒まなかった。こんな関係が長く続くとは到底思えなかったが、どちらかがやめようと言い出さない限り終わりにする必要もない。


 そんな冷めた見方をしていた俺だが、どんどん彼女にのめり込んで厨房を訪れる頻度も増えていた。




***ひとこと***

第一話の冒頭に至るようになった経緯でした。ジュリエン君、マドレーヌちゃんに胃袋もアソコもしっかりと掴まれちゃっていますが……


甘い誘惑 イベリス

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