第五章 覚悟を決めて

第47話 答えは決まってるのにな



「こういう表情は変わらないな……」



 俺の足元には猫みたいに丸くなり寝る奏の姿。

 それを見ていると、彼女が自習席で寝てしまっていたことを昨日ように思い出す。

 普段は大人びているのに、寝顔だけはどこか子供っぽくて、起こすのが忍びなく思ったのが懐かしい思い出だ。


 ……変わったのは、化粧をするようになったぐらいか。

 昔は黒髪で見るからに清楚系って感じをしてたもんな。

 それが今では、自分をしっかりと持った立派な女性となっているなんて。

 人の成長には、驚かずにはいられない。



「はは……。今では立場が逆転したな。教え子に教えられ続けるなんて、先生失格かもしれない。嬉しい気持ちもあるのが複雑なとこだけど……」



 俺は自嘲気味に笑い、大きく息を吐く。

 脚に視線を落とし、彼女の顔を見つめる。

 あまりにも気持ち良さそうに寝るもんだから、若干足が痺れていても彼女をどかす気にはなれなかった。



「……私、しんたろーの…。相応しい人間に、なれた……かなぁ……」


「…………寝言か」



 今の寝言に俺の胸がチクリと痛んだ。


 忘れもしない奏からの告白。

 俺はそれをふと、思い出していた。




 ◇◇◇



 大学に合格し、塾を去る最後の日。

 アルバイトのみんなが帰るまで、彼女は残っていた。


 いつものように俺に話しかけてくる彼女は、どこかぎこちなく緊張しているようだった。

 躊躇いながら、もじもじとしながら、らしくない態度をとる。

 そんな彼女ようやく口を開き、出た言葉が——。



『私、先生が好き。先生の隣に……ずっといてはダメ?』



 という、告白のセリフだった。

 俺は、彼女の言葉に驚き、それから真っ直ぐに目を見る。



『それって、まさか』


『えっと、急にこんなことを言って迷惑だよね……。でも、私の気持ちを知って欲しかったから。ダメだとわかってても我慢できなかったの』


『ありがとう。気持ちは嬉しいよ……でもね、俺は結婚してるんだ。その人を一生、愛するって決めている。だから、奏の気持ちには答えられない』


『…………そうですよ、ね」


『ごめんね』


『ううん。ダメ元で言っただけだから……。でも、悔しいなぁ〜』



 彼女は頭を掻き、大きなため息をついた。

 それから顔を何度か叩き、にかっと笑みを俺に向けてくる。



『よしっ! これで綺麗さっぱり諦める!! 別の人をしっかり探すぞ〜っ!』


『えっと……切り替え早くない?』


『アハハッ! それが私だからねっ! 有賀っちに私は相応しくなかったし、もう埋まってしまった席に固執するのは嫌だし、相手に迷惑なことだからね。うんうん、何事も切り替えが大事!』



 自己解決と言わんばかりに頷く彼女。


 もう納得した。

 こんなこと吹っ切れている。

 そんなことが言いたげな顔で、ややオーバーにリアクションをとっていた。


 俺には奏の考えは嫌というほどわかっていた……。


 ――迷惑をかけたくない。

 なるべく感情を抑えて、平気なフリをしているってことが……。

 俺は、そんな彼女にかける言葉が思い浮かばなかった。


 だから、俺は彼女の態度に合わせた。

 今まで通りの関係でいられるように……。



『じゃあ、有賀っちまたね! 同じ街に住んでるから会う機会はあると思うから……あ』


『どうした?』


『街ですれ違ったのに気まずくて無視とかはやめてよねっ? 今日で私は塾を卒業だけど、元生徒と先生の関係としてたまに遊びに来るつもりだから!』


『おいおい。また入り浸るのか??』


『もちっ』



 そう返事をした彼女の目には涙が浮かんでいて、顔だけは笑っていた。



『じゃあね有賀っち。その……ありがと、ね。このテキストは寄贈してくから』


『おう。ありがとな』


『ん!』



 最後の別れ、彼女はこちらを振り返らなかった。

 いや、振り返れなかったんだろう。


 態度だけは元気に振る舞っていたけど、声は震えていた。

 そして、彼女が置いていった教材には涙が滲んでいたのだから……。



◇◇◇



 あの日から、彼女の行動には好意が見え隠れするものの、はっきりと言葉を伝えることはなくなっている。

 バイトとして戻ってきてからも、最終的な言葉は伝えずに、傷心した俺の横で支えてくれているのだ。



「……奏が向けている気持ちも、待っている理由も……。急かさない理由も……すべては俺の為。ほんと、どこまで一途なんだよ」



 でも、そんな彼女に俺は癒されていた。


 彼女からしたら男の家に転がり込んで、自暴自棄になった男性に何されるかもわからないというリスクがある。

 未知に対する恐怖……。いくら一緒に過ごしてきていても、プライベートの俺を奏は知らない。

 だから、きっと怖い気持ちもあったことだろう。


 そんな状況なのに、一途に想い……勇気を出して支えてくれた。

 こんなにも華奢な女の子がだ。


 俺は奏のことをどう思って…………いや、そういうことだよな。

 早いとか、時間をかけないといけないとか…そういうことじゃない。


 だったら――



「必要なのは、覚悟。それを決めなきゃいけないのは……俺だよな」



 傷ついた気持ちがあっても、先生と生徒だったという過去があっても……そして、昔に彼女の申し出を断った事実があったとしても、俺は前に進まなくてはいけない。


 今の関係が居心地が良かったとしても、目に見えない気持ちではなく“形”が欲しいと思ってしまう。

 前みたいに、それが壊されることがあったとしても……。


 献身的に尽くしてくれた奏と俺はそういう繋がりが欲しい。

 わがままにも、そう思ってしまった。



「大人なのに、こういう所は子供のままじゃん俺。もう答えは決まってるのにな」



 俺は空になった缶を軽く突く。

 それから、彼女の頭を優しく撫でたのだった。

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