【登場していないキャラの過去編】中庭で毎日剣を振っていたら図書委員系女子に「弱いでしょ。見てわかる」とケンカ売られたんだけど//2607

第1話

 神歴ニ六〇七年。晩春。


 エルゼール士官学校が設立されてから二度目の春が終わろうとしていた。


 門から続く桃色の花を覆っていた並木は、すっかり新緑へと装いを変えている。この時期だけは下を向いて歩け、とは先輩から後輩への教えの一つとなっていた。瑞々しい葉を主食とする芋虫たちが地を這っていることがあるからだ。真新しい革靴を小さな命で汚さぬための教訓だ。お互いのために実践する者も多い。


 入学してから一月ほど経つと、生徒個人のポテンシャルが判明してくる時期でもある。


「カエリニア先生は今年の生徒をどう思う」


 禿頭の大男が隣の机の女に声かける。


「例年通り、と言えば例年通りですね~。推薦組のコードも、私の記憶通りならばほとんど変わりないと思います」


 ミルクを入れた紅茶色の髪を持つカエリニア──アティア・カエリニア──と呼ばれた女は、そう応える。

 と言っても、


「二年生には前回と違うコードを持つ生徒もいましたから。確定はできませんね~」


「我々の記憶も大概当てにならないからな……」


「ええ、彼らに比べたら、私たちは年寄の部類になりますからね~。ウェケッリネス先生は、今は……」


「五三だ。子どもを二人も持つことが出来たよ」


 ウェケッリネス──スプリウス・ウェケッリヌス──は胸ポケットから取り出すのは、彼ら夫婦と少年二人が写っている写真だ。


 持ち主が死亡すれば自然消滅することを条件に、色褪せることのない魔法術式がかけられている。撮影するには一般家庭の半年分の収入ほどの対価と、いくつかの税金を納める必要があるのだが。彼のような生粋の軍人ならば、今世の思い出として残すためならば惜しくもなかったのだろう。


「二人とも俺に似ずに頭が良くてな。大学からの推薦も来ているんだ。いやあ、顔も妻に似てよかった。俺似だったら今の時代じゃ女性が寄ってこなかっただろう」


 などと、写真をカエリニアに見せながら子どもの自慢を始めた彼の表情は綻んでいる。黙っていれば厳めしいだけの男が、こんな表情だ。さぞかし、自分の子供が愛らしいのだろう。


「カエリニア先生も子どもを育てたいとは思わないか? 成長を見届けるのはいいぞ、人生を豊かにしてくれる」


「子どもどころか、恋人すらいませんよ」


 士官学校の教師になる。つまりは軍人となると決まってからも、恋愛を求めていなかったわけではない。崇拝するアリア教の主神、アリア様が運命を導くのであればそれも良しだと考えている。


 だが、運命的な相手と出会えていないし、それでなくとも今の立場は教師だ。育てるべき子どもは多い。


「手のかかる生徒たちでいっぱいいっぱいですからね~」


 カエリニアの机の上には、入学生徒の資料が二つの山に分かれて置かれている。


「推薦組と、一般入学組で分けてみました」


「手のかかりそうなのはどっちかね?」


「う~ん、性格に難があるのは推薦組ですね~。二年生のバルバ君を筆頭に協調性が

薄かったりしますから」


「あの、カラリ公国公主の次男坊か」


「本人の前では言わないでくださいよ~」


「事実は事実だろう。それで腐ってしまうようじゃ士官として二流だ」


「だとしても、乗り越え方があるはずです。矯正するようなやり方はあまり賛同できません。


 それより、手がかかるのは一般入学組ですよ」


 カエリニアは推薦組の資料を脇に置いて、一般入学組のファイルを広げる。


「うちの息子たちほどじゃないが、みんな綺麗な顔をしているな」


「貴族や富豪のお坊ちゃんがほとんどですからね」


 一般入学といっても、学術や体術試験を乗り越えるだけでは入学は許可されない。多額の試験料と入学費、それに運営元のアリア教への上納金までもが必要となる。

 それこそ、写真撮影代とは比べ物にならない。ブロック一つ分の一般家庭の生涯年収を優に超える額だ。


 そこまでして入学させたい場所なのか。疑問にも思えるが、彼らのおかげでここでの不自由のない生活ができているようなものなのだ。


「彼らも生徒は生徒ですから、平等に扱います。そういう契約ですから。ただ……」


「ただ?」


 こちらがその気でも、平等に扱えない場合もある。否、様々な理由から平等に扱えない事態がある。

 言葉を選ばずに言えば、


「少し能力が低すぎる生徒がいまして。平等に訓練へ参加させると怪我や故障に繋がりかねず。かといって、彼のレベルまで難度を落とすとなると、授業に支障が出てしまいます」


 ふむ、とウェケッリネスが禿頭をペチッと叩く。困った際によくやる、彼の癖だ。応急を求められるような場面でも、間抜けな音が響くので、聴く者の笑いを誘う。


「本人はどうなんだ。落ち込んでいるのか。それとも腐った果実みたいに周りまで廃棄品にしてやろうとしているのか」


「まさか。彼はそんな子じゃありませんよ」


 カエリニアは天井を見上げる。女神アリアが慈悲深き瞳を細め、見下ろしてくれている。


 女神さまはいつだって、傍に居てくださる。


 努力や悲しみを乗り越えれば、アリア様は幸福になる運命を下賜される。未来はアリア様の手の中。努力の代償に平等な運命。与えられるべき人間にも。与えられぬべき人間にも。


 毛虫は蛹になり、やがて蝶となる運命。身を隠さなければ外敵に襲われ、食事を持続できなければ餓死。何かが外の世界と足りなければ、約束されていた未来はいとも容易く閉ざされる。


「運命とはいえ、少々酷ですよね~」


 二六〇七年度入学。一年生。ギヨーム・ロラゲの運命は、平凡からそう遠くない位置に道を作っていた。


 実家は何代も続く貿易商の家系。領主貴族とも良好な関係を築いており、商売は問題なく行えている。


 幼いころから何不自由なく育てられ、やがて家業を継ぐ長男のみにかけられる期待と教育を傍目に、自らはその数段格が落とされた教養を身に着けていく。


 よくある話。


 家業や家督は長男が継ぐ。実力どうこうで決められるものではない。次男以降の男児が、兄より優れていようと揺るがぬセオリー。もし、実力主義を謡ってしまえば、兄弟間で醜い争いが起こるやもしれない。


 無駄な血を流さぬために、人間たちが作り出したセオリーにロラゲは疑問を抱いたことはなかった。


 それが、普通なのだと。

 家業は能力も人間性にも非のない長男が継ぐ。妹たちは貴族や有力な商家などと縁を結び、家を出ていく。


 自分を含めた、男兄弟たちも妹たちと同じように縁談を結び、婿養子となるか、兄を手伝いロラゲ家に尽くすか。

騎士となる選択肢だってある。騎士となり、武勲を立てれば、貴族たちへの土産話となるし、軍部の上層部にまで入り込めれば、貴族のみ侵入を許される政界へ、影響ぐらいは与えられるようになる。


 ギヨーム・ロラゲに与えられたのは第三の選択肢だった。


 騎士となり、ロラゲ家の名を広めること。


 これが、四男の彼に約束された未来だった。

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