第5話 熊は苦手なの

 朝を告げる小鳥の声で、さわやかに目覚めた。


「シャルロット様、おはようございます。よくおやすみでしたね?」


 クレールはとっくに目覚めていたようだけど、私を起こさないように一緒に横になっててくれてたみたいだ。


「うん……なぜか、ものすごく気持ちいいの。いつも朝起きた時は魔力が溜まってて気持ちが悪くなってるんだけど、今朝はそんなことなくてスッキリしてるのよ。不思議よね?」


 そうなんだ。私はあふれるほどの魔力を次から次へ生み出す体質で、その魔力が容量一杯になると体調が悪くなってしまうのだ。それも、その魔力は聖女が神聖魔法で使う……いわば精神力とは違う力みたいで、聖女のお仕事ではほとんど消費できない。だから照明や煮炊き用の魔道具に魔力を注ぎ込んだりしてむりやり使って減らすことで体調を保っていたのだけど、夜の間は溜まる一方。だからいつも寝起きは調子が悪かったのだ。


「確かにそうですね。いつも朝になるとシャルロット様の全身から、強い魔力があふれだすのが見えるのですが……今朝はなぜだか見えませんね」


 クレールは魔法使いではないが、魔力の流れが見えるのだという。そこは魔狼の血のなせる業なのかな。その眼で見ても、今の私は、いい状態みたいだ。


「クレールとのキャンプが楽しかったせいなのかな? こんなに調子が良くなるなら毎晩野宿してもいいな」


「ふふっ。それはようございました。では私は、朝食の支度をいたしますね」


 手早く身支度を整えたクレールが、早速猛然と働きはじめる。ぼぅっとそれを見つめるだけの私、大変申し訳ないけど、戦力にならないものは仕方ない。せめて自分の身支度だけでも、進めておこう。


 冷たい湧水で顔を洗って髪をまとめ、ついでにちょっと離れたところでお花摘み。すっきりさっぱりしてご機嫌な私の耳に、クレールの切迫した声……私の名前を呼ぶ声が聞こえた。


 急いで駆け戻る。急ぎ過ぎて途中にあった木の浮き根に右足の親指をしたたか打ち付けて、今もじんじん痛んでいるのは内緒だ。テントの近くでファルシオン……ようは片刃の剣ね……を構えたクレールが、木立の向こうに鋭い眼を向けていた。


「シャルロット様、ご無事で!」


 うん、足の親指が、全然無事じゃないんだけどね。涙が出るほど痛いよ。


「そこの大木の後ろに隠れていてください!」


「何か、来るの?」


「ええ。大きい獣……おそらく熊です」


「熊っ!」


 やばい。熊は苦手だ。魔獣だったら意志を通じることができる私だけど、普通の熊にはそんなに高等な知能がないから、平和的な話し合いなんかとてもできないし。


 きゅっと形の良い眉を寄せ、戦闘体勢に入ったクレールは、女の私から見ても、とっても凛々しくて、かっこいい。そんなことを言ってる場合じゃないことはわかってるけど、思わず見惚れてしまいそうだわ。


 そして現れた大熊は、立ち上がった高さが私達の五割増しくらい、かなりの大物だった。


「お嬢様、木の陰から出ないで下さいっ!」


 そう叫ぶなり、細かいヒットアンドアウェイを仕掛けて、熊の注意を自分に引き付けようとするクレール。お嬢様呼びに戻ってしまっているけど、そんなことを突っ込んでいる場合じゃ、ないわよね。肉弾戦闘に関してはからっきしの私だ、ここは邪魔にならないように言われた通り引いてこそこそと木陰に隠れ、彼女の戦いをチラチラとうかがう。


 細かい傷をいくつか付けられて、いらだった大熊が咆哮を上げてクレールに突撃しようとした刹那、私は大木の陰から「恐怖」の意識を、思いっきり熊にぶつけた。知能の低い獣と会話することは出来ないけど、「恐怖」や「怒り」のように単純な感情をかき立てることなら、私の「獣と意志を通じる」能力を使えば、できるのだ。


 一瞬の恐怖にとらわれた熊は暫く動きを止めて逡巡していたけれど、その「恐怖」の気を放った私に気付き、怒りをあらわにして攻撃態勢をとった。うわ、これは結構やばいかも。


 でも、これがクレールの待っていた瞬間だった。


 熊の意識が私の方に向いた次の瞬間、クレールは素早く熊に肉薄し、その首筋に向けてファルシオンを一颯する……次の瞬間、熊の両眼から光が失われる。そして、その首から先がゆっくりと胴から滑り離れて、重い音をたてて地面に落ちた。


 え? これ、すごくない? 


 そもそもファルシオンの刀身長さより、熊の首が太かったはずなんだけど。刃が届かなくても斬り落としちゃうなんて、まるで伝説の剣豪みたいだわ。クレール素敵、すごすぎ、超絶かっこいい。


「すごいわ、クレールっ! いつの間にこんな秘技を身につけたの! 熊の首を一刀両断なんて、王都の近衛騎士でも出来ないことよ、素晴らしいわ。これなら冒険者として英雄と称されるような活躍も夢じゃなくてよ!」


「……」


 ほめちぎる私だが、なぜかクレールの反応が、ない。ほめ言葉が大げさすぎたのだろうか、とちょっと反省してみる、あの技が伝説級であることは間違いない。王城の騎士がグレイヴで……ようは重量級の薙刀ね……力一杯薙ぎ斬ったって、首に深く食い込むだけで切り飛ばせはしないと思うわ。


「クレール? どうしたの? 今ので、どこか痛めちゃったの?」


「……い、いえ……」


 クレールの顔色は青白く、その眼は落ち着きなく動いている。あれ? もしかして……この結果は彼女にも、予想外だったってことなのかな?


「魔力を使って、剣の長さ以上に『剣気』を飛ばす術は会得しておりますが、こんなに威力が出るものではないはずで……頸動脈を断つことだけを狙った攻撃だったのですが」


「危ない目にあって本気が出たから、いきなり奥儀開眼しちゃった、とかいうことじゃなくて?」


「いえ、そうではないと思います。強いて言えば何か、私も今朝起きてからものすごく身体の調子がいいので、その影響があるのかと。ファルシオンだって重さが感じられないほど軽く振れますし、剣に纏う魔力の強さもいつもより……あっ……」


 綺麗な翡翠色の瞳が、大きく見開かれる。何かわかったのかな。


「どうしたの、クレール?」


「あの……このファルシオンが纏う魔力の色は、私のものじゃありません。これは、シャルロット様の魔力ですよ」


「はぁ??」

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