第4話 何か言いたいことは?

「さあ、新入社員の歓迎会よ。」


応接室にて皆が席に着いたことを確認すると、伊子さんは高々とグラスを掲げた。


「乾杯!」


未だに現状についていけない私は、とりあえず促されるままにグラスを持ち、周りに流されるように乾杯をしてしまった。今日はただ面接に来ただけだったはずなのに、どうやら既に入社したことになってしまったようだ。


「どうしたの、菊川さん。難しい顔して。もしかして口に合わなかったとか?」

「い、いえそんなことは。」


室内は、奥のソファーに伊子さん。その隣に華島さん。テーブルを挟んで、向かいのソファーで、伊子さんの対面上が私。その隣が文人さんだ。つまり、今私に話しかけているのは文人さんだ。彼は心配そうに私の表情を伺っている。やたら長い睫毛と、大きな瞳が少女漫画に出てくるイケメンのようだ。綺麗な顔に見つめられる経験なんてない私は思わず目を逸らしてしまった。


「あれ、嫌われちゃったかな?」


困ったなあ、なんて言いながらも少し嬉しそうに話す文人さんはやっぱり少しずれている気がする。変わった人だ。


「菊川くん!」


この空気をピシャリと一刀両断するように私の名前を呼んだのは、伊子さん曰くメガネストの華島さんだった。私が華島さんへ顔を向けると、彼は何やらソファーの後ろから両手で抱えるほどの大きさの箱、そうだな…例えるなら重箱のような箱を取り出した。箱には引き出しがついており、それを開けては閉め、また開けては閉めることを繰り返している。どうやら何かを探しているようだった。


「あの、なんでしょうか。」

「ちょっと待ちたまえ。今真剣に考えているのだから。」

「え。」

「こら、華島。そんなに上から目線で喋るな。大事な後輩だぞ。」

「……ちょっと待ってくれ、いや…、ください。今真剣に考えているところ……です。」

「それでよろしい。」


兎川さんは華島さんの頭をコンっと小突いた。ただ小突いたように見えたのだが、なかなかに威力があったようで華島さんは少し顔をしかめたが、その手は止まることなく何かを探し続けていた。


「これじゃない、えーと、これも違う。もっとこう、可愛らしくて地味なやつ。」

ぶつぶつ言いながら探し続けること数分。ようやく目当ての物が見つかったのか、華島さんの顔がパッと明るくなった。


「あった!これだこれ。俺の見立てに間違いはない。」


彼は勢いよく立ち上がると、目の前のテーブルに片手をついて、さながら映画スターのように軽やかに飛び越え、私の目の前に仁王立ちした。何なんですか、と言いたかったが目の前に立つ華島さんの圧がすごくて私は言葉が出なかった。


 華島さんは片手に何かを持っており、それを私の前に勢いよく出してきた。殴られる、と思った私は反射的に目を瞑ってしまった。しかし彼の拳は私に触れることはなく、前髪だけが風圧で少しだけ浮いただけだった。恐る恐る目をあけると、目の前には茶色を基調としたメガネが差し出されていた。


「先ほどは失礼した。コーヒーの件は俺が悪かった。これはせめてもの詫びだ。選りすぐりのメガネの中から君みたいなちんちくりん地味女子でもそれなりに華があるように見えるものをチョイスした。」


謝っているのか貶してるのかどっちなんだ、なんて思ったけど、目の前に差し出されているそれは茶色のフレームで内側には小さな桜の花びら模様が描かれており、とても可愛い作りをしていた。はっきり言ってものすごく好みだった。ただ…


「私、視力が両目とも1.0あるんですけど…。だからメガネは…。」

「君は馬鹿か。」


そういいながら、華島さんは私にメガネをかけた。驚くほど軽く、違和感のないかけ心地。メガネをしていることを忘れてしまいそうだった。


「メガネの用途は視力を矯正するためだけではない。普段のオシャレ、変装、サングラスの代わり、怪我や眼の疲れの予防、様々な用途があるんだ。それを知らないとは、俺は君に一時間、いや、一日はメガネについて説く必要がある。」


「まーた始まった。桜さん、この人メガネについて語りだすと長いんで、そのメガネ有難く受け取っておいた方がいいですよ。草介もすぐに謝ればいいのに素直じゃないなあ。」


クスクスと笑いながら、私たちのやり取りを見ている文人さん。今さりげなく下の名前で呼ばれたような気がしたんだけど。気のせいかな。


「ほら、華島。早く席に戻りなさい。私から可愛い新入社員の顔が見えないでしょ。」

「社長。この件に関しては俺は黙ってないですよ。黙りませんよ。いくら社長と言えど俺のメガネに対する情熱の炎を鎮火させるわけにはいきませんからね。」

「華島。」


伊子さんが再び声をかける。今私の目の前には華島さんがいるので、伊子さんがどんな表情をしているのかは分からないけれど、華島さんは肩をびくっと揺らして振り返り、伊子さんの顔をみると小さくお辞儀をして、怯えるように自分の席に戻った。どうやら華島さんは伊子さんには逆らえないようだ。これが上司と部下の力関係というやつだろうか。


「さて、菊川さん…いや、長いから桜でいいかしら。」

「ええ、まあ。」

「じゃあ、桜。うちの会社のルールを説明させてもらうね。」

 伊子さんは一度座りなおして、長い足を組んだ。


「うちはさっきも言った通り平たく言えば情報屋。依頼された情報を集めるて伝えるのが仕事。情報を仕入れる為には色々してもらうことになるわ。具体的には…まあ、実践してもらった方が早いから割愛するわ。ほんと色々だから。私は主に指示を出すのが仕事。必要があれば現場にも出るけれど、めったにないわね。現場で動いてもらうのはそこの2人と、桜。貴女をいれて3人。ルールは一つ。私の指示外の行動を取らないこと。これは貴女を守るためでもあるから、これだけは守ってね。」


にっこりと笑う伊子さん。


「桜はまだ大学生だったわよね。とりあえず明日学校が終わり次第ここにきてね。」

なんだか曖昧な説明だな。やっぱり既に社員の一人としてカウントされているし。

今日は朝から驚くことばっかりで頭の整理が全然できてなかったけど、よくよく考えたらおかしいよ。そりゃ見た目もこんなに綺麗にしてもらえたし、ケーキは美味しいし、人だってちょっと変わってるけど悪い人達ではなさそうだ。それに給料だって十分すぎるくらい。でも就職するに当たって何をする会社なのかよくわからないってどうかと思う。だいたい情報屋なんて仕事今まで聞いたこともないし。就職は今後の生活を左右するんだから……。


「どうしたの桜。ぶつぶつ呟いて。」

「いえ。ただ…。」


伊子さんたちには申し訳ないけど、ここは一旦考えさせてもらおう。

私が口を開きかけた時だった。伊子さんは満面の笑みでポケットから小さな機械を取り出し、テーブルの上に置いた。その場にいる全員の視線が機械に集まる。伊子さんがボタンを押すと、機械からは音声が流れ始めた。聞き覚えのある声だった。



「桜は就職する気ある?」

「それは…もちろん。」

「本当?」

「本当だよ。」

「どんな仕事でも?」

「どんな仕事でも。」



「…………。」

シンと静まり返る部屋。崩すことのない満面の笑みの伊子さん。無言の圧力を感じる。

「どんな仕事でも、ね。」


伊子さんが笑う。続きを話さなくても分かる。言いたいことは大体わかる。私でもそれくらいの空気は読める。でもちょっと待って。いつの間に昨日の私とリカの会話を録音されていたの。だってあの時喫茶店にいたのはマスターと、サラリーマン二人しかいなかったはず。




あれ?サラリーマン二人……。





「スーツにメガネの俺。なかなか仕事が出来そうなスタイルだっただろう文人。」

「このスーツに合うメガネはこれじゃないんだって喫茶店に行くまでメガネ店を5件走って探し回ったのはどこのどいつだよ…おかげで汗だくだったよ。まあ、マスターの入れるアイスコーヒーは最高だったけどね。」

「でもなかなかうまく録音取れてると思わないか?」

「それは僕がボイスレコーダーを置く位置と録音開始するタイミングが良かったからだよ。」


テーブル上のグラスを口に運びながら二人が会話を始めた。もしかしてあの時いたサラリーマンは…。




「お二人だったんですか。」

「何が?」

「昨日喫茶店にいたのは。」

「うん。」




………。私は混乱した。いったいどこからこの面接は始まっていたんだろう。どこからこの人たちの手のひらの上で転がされてたんだろう。駄目だ。頭がこんがらがってきた。


「桜、眉間に皺寄ってるわよ。折角可愛くしてるんだからもっとにっこり笑いなさいな。」

クスッと笑う伊子さん。


「というわけで改めましてようこそ兎川オフィスへ。何か言いたいことは?」


言いたいことも、聞きたいことも山の様にある。でも今は何を言っても駄目のような気がする。というか駄目だろうな。ええい、もうどうにでもなれ。どんな仕事か分からないけど、自分に無理だと思ったんなら逃げるなり辞めるなりすればいいんだ。そうだ、そうしよう。



「……ありません。」

「そう、じゃあ今後ともよろしくね。桜。」



 こうして私の就活戦争は終焉を迎えたのであった。



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