13.是非もなし

「少尉。自分はあのときに助けた子供の副官になるなどと、夢にも思わなかった」

 三頭の燃える犬――ガルムに囲まれて、軍曹は言った。

 いつものように、薄くなった額を撫でながら。

「そして今度は、こうして魔術戦をすることになるとは」

 言葉と同時に、背中にある半透明の赤い四枚羽が鈍く輝く。

「運命とは、どう転ぶかわからんものですな」

 義足がぎしりと音を立てた。

 彼に従うガルムたちと一緒に、ゆっくりと距離を詰めてくる。

(犬をけし掛けるつもりか)

 先頭を歩くガルムが、攻撃に移るまであと一完歩。

 音もなく、姿勢を低くしたガルムが飛び掛かってくる。

 赤く燃える体躯が火の粉を散らし、空気が焦げる感覚だけがある。

 ラスティは小さく息をはいた。

 背中に半透明の赤い四枚羽が現れ、鈍く輝く。

「――〈ムスペル・カッツバルゲル〉!」

 ルーベルの軍用制式マギア・クラフト。

 両手の拳に赤黒い炎を宿すなり、ラスティはガルムに向かって一歩を踏み込んだ。

 ほとんどぶつかるような距離。

 髪と肌がちりちりと焼ける。

 右の拳を、犬の顔面に横殴りに突き立てた。

 爆発。

 衝撃と爆音が石畳を吹き飛ばし、周囲の建物の窓ガラスが一斉に割れた。

 巻きあがった熱波で、走っていた自動車がひっくり返る。

 断末魔のような派手なクラクションが鳴り響いた。

 ガルムが軽々と数メートルを吹き飛んで、古いアパートの壁に激突した。

 続けざま、もう一頭。

 右から飛び掛かってくる。

 ラスティは右の拳を引き戻す反動で、左拳を斜め上に振り抜いた。

 再度の爆発。

 衝撃と熱波が、再び周囲を震わせる。

 二頭目のガルムが高々と宙に舞った。

 軍曹に目をやる。

 掲げた右手に、炎の槍が見える。

「〈ムスペル・ジャベリン〉……!」

 容赦なく投擲された。

 迫りくるマギア・クラフトの槍を、ラスティは身を投げ出すようにしてかわした。

 背後にあったカフェに炎の槍が飛び込み、店内から爆炎が吹きあがる。

 慌てて逃げだしたチェキーナが、焼け焦げた服に悲鳴をあげている。

 ラスティは石畳を転がってから身を起こし、飛び掛かってくる三頭目のガルムを見た。

 反射的に右腕を突き出し、マギア・クラフトを使う。

 ラスティの右腕を取り囲むように、短剣ほどの長さの炎の杭が六本現れた。

 瞬間、猛烈な勢いで次々に六本が撃ち出される。

 犬の腹部に全弾が命中し、ほとんど同時に六発の爆発が起きた。

 派手に吹き飛んだガルムが石畳に強かに身体を打ちつけ――なにごともなかったかのように立ちあがる。

 それは先に処理したほかの二頭も同じようだった。

 再び軍曹の周囲に集まってくる。

 ラスティは肩で息をしながら、犬に囲まれる軍曹と対峙した。

 周囲を破壊しただけで、状況はなにも変わっていない。

「バスカーヴィル大尉の十八番だった〈ソラス・リボルヴァ〉。まるで、大尉本人のような速射の妙技ですな」

「軍曹も犬の扱いがうまいよね。相変わらずさ」

 マギア・クラフトで生み出された炎の犬を破壊することは非常に困難だった。

 対処方法は極端に言えば二つしかない。

 犬が反応できない速度で魔術師本人を始末するか。

 犬が耐えられないほどの威力で攻撃するか。

 そういう意味では、ファルのサーベルは彼女が言うとおり特別製だ。

 あれはおとぎ話に登場する、魔剣や聖剣の類だ。

 ちらりと彼女を見ると、すでにサーベルは鞘に納められていた。

 爆風で吹き飛んだカフェのイスを起こして、悠然と座っている。

 長い脚を組んで、まるで観客のようにこちらを見ている。

(いや……)

 ラスティは小さく頭を振った。

 あれは、飼い犬が命令をきちんと守れるのかを観察している飼い主の顔だ。

「やれやれだね」

 彼女の躾は、バスカーヴィルのそれよりも厳しい。

 ラスティの背中から、赤い四枚羽が消える。

 こちらがなにをしようとしているのかを悟ったのか、軍曹はわずかに笑った。

 お互いの視線が交錯し、ラスティは目をかっと見開いた。

 赤玉の精霊人――ルーベルの赤い瞳。

 それが黒く濁っていく。

「ふふ。マギア・クラフトの鬼才――エアリエル・バスカーヴィルは、かつて発表した論文でこんなことを言った」

 ファルが、誰に言うわけでもなく独りごちた。

「四色精霊の末裔たるエレメンタルは、混血によって他の精霊人のような固有のマギア・クラフトを失ってしまった。だが、そもそも四つにわかれていたことのほうがおかしいのだ、と。エレメンタルの固有のマギア・クラフトとは、本来はもっと別のものに違いないと。精霊女王ティターニアのマギア・クラフトがあって然るべきなのだと。そして――」

 ラスティの背中に、半透明の黒い四枚羽が現れた。

 それはどこか禍々しく、それでいて美しい。

「その色は黒だろうと。四色すべてを混ぜ合わせた、すべてを染める色。それこそ精霊女王ティターニアの力――」

 大尉は本当の天才だった。

 自らの仮説を証明した。

 自分自身で。

 あるいは、ラスティ・フレシェットで。

「――スヴァルトのマギア・クラフト」

 ファルの言葉が、背中に投げかけられる。

「そうでしょ、ラスティ?」

 ラスティは答えなかった。

 彼女がいまどんな表情なのかわかりはしないが、きっと笑っている。

 彼の背中にある黒い四枚羽が鈍く輝いた。

 周囲に黒い電光が迸る。

「〈ティターニア・セイバーズ〉」

 囁くようにして、彼は言った。

 瞬間。

 眼前に一本の剣が現れる。

 その刀身は炎とも雷ともわからない、黒い揺らぎに包まれていた。

 続けざま、同じ剣がラスティを中心にして時計回りに次々と出現した。

 その数、合計十二本。

 眼前の一本を手に取り、無造作に一歩を踏み出す。

 周囲に展開する残りの十一本は、等間隔を保ったまま円形に彼を取り囲んでいた。

 まるで、ラスティにつき従う騎士のようだ。

「少尉。いつ見ても、美しいマギア・クラフトですな」

「そうだね。大尉のお気に入りだった」

 軍曹が右腕をこちらに向けた。

 六本の炎の杭が現れる。

〈ソラス・リボルヴァ〉はバスカーヴィルが開発したマギア・クラフトだ。

 当然、軍曹だって扱える。

 炎の杭が、軍曹の右腕から時計回りに連続で撃ち出された。

 ラスティは迫りくる六本の杭をかわそうとはしなかった。

「世界が黒くなる」

 それは――このマギア・クラフトを使うときのバスカーヴィルの口癖だっただろうか。

 手にした黒剣を構えるなり、一本目の杭を袈裟懸けに叩き落した。

 マギア・クラフトによる派手な爆発が起きるわけでもなく。

 ファルのサーベルのように、マギア・クラフトを斬るわけでもなく。

 黒く染まる。

 まるで立派な絵画に、ハケで黒いペンキを塗りたくったかのように。

 刀身が触れた瞬間、剣閃に沿ってすべてが黒く塗りつぶされる。

 意味を失う。

 ラスティは続けざま、五本の杭を次々に叩き落した。

 二本目を跳ねあげ、三本目を横薙ぎにし、四本目を再び袈裟懸けにし――

 同時にじりじりと間合いを詰めていく。

 飛来するすべての杭を消滅させて、ラスティはガルムの間合いに足を踏み入れた。

 炎の犬が、こちらを襲撃するために動き出す。

 三頭が同時に、正面、そして左右に展開する。

 音もなく石畳を疾駆するガルムたちが、大きく跳躍した。

 三頭がそれぞれの方向から跳び掛かってくる。

 それに反応するようにして、円型に展開していた黒剣が一斉に動き出す。

 位置を変えて、ラスティの左右にずらりと並ぶ。

 まるで広がる翼のようだ。

 ラスティは正面から飛び掛かってきたガルムを見据えた。

 両翼の黒剣が、外側から順番にその剣先を立てていく。

「さて。僕は大尉ほど、このマギア・クラフトをうまく使えないからな」

 瞬間、黒剣が次々に射出された。

 左右の外側から間断なく、順番に。

 一本が、正面から飛び掛かかってきたガルムを串刺しにする。

 続けざま、二本、三本。

 黒い爆発が大気を震わせる。

 だが、そのエネルギーは内側に向かい、放電する黒い球体がガルムを包み込んだ。

 それが一気に小さくなっていく。

 やがて拳大にまで圧縮されて、炎の犬は消えた。

(やっぱり、全然当たらない)

 ラスティはそんな様子に目もくれず、射出した黒剣が左右の目標から外れたことを確認していた。十一本も撃って正面の目標に三本だけ命中するとは、バスカーヴィルが見ていたら大いに笑うだろう。

 外れた黒剣は再び戻ってくるが、それをまっている時間はない。

 ラスティはぐっと腰を落とすなり、右手側から迫るガルムに向かって石畳を蹴り飛ばして距離を詰めた。

 空中に身を躍らせている炎の犬は顎を大きく開き、肉食獣そのものだった。

 腹の下をかいくぐるようにして姿勢を低くして、すれ違いざまに黒剣をガルムの喉元にすっと入れる。

 一気に腹を掻っ捌いた。

 手応えというものはまったくない。

 ただ、剣の軌跡は一条の黒い帯となってガルムを塗りつぶした。

 まるで癇癪を起した子供が落書きにそうするように。

 そして、炎の犬がこの世界から消える。

 左手側からもう一頭。

 ラスティは舞い戻ってきた黒剣の一本を左手で掴むなり、そのまま振り下ろした。

 剣先がガルムの眉間を捉え、鼻から顎にかけてを一閃する。

 犬の顔を、黒い軌跡が真っ二つにした。

 次の瞬間には、ガルムの頭が黒く塗られて消える。

 黒剣を振るったそのままの勢いで、ラスティは無防備になった軍曹に向かって駆けた。

 苦楽をともにした戦友を。

 彼の分隊の副官だった男を。

 自分のためだけに殺すのだ。

「少尉、あなたが決められたことです」

 軍曹がこちらを見据え、静かに言った。


「是非もなし」


 ラスティはすれ違いざま、黒剣を横薙ぎにして胴を抜いた。

 黒い一閃が走り、軍曹の身体が黒く染まる。

 鮮血はない。

 刃で斬ったわけではなく、触れたところから消しているのだ。

 軍曹の大きな身体が揺れて、膝から崩れ落ちる。

 映画や小説のように、気の利いた最後の言葉なんてものはなかった。

 即死だ。

 黒く染まり、そして世界から消える。

 あるいは、十五年以上、妄執のなかでしか会えなかった家族に会いにいく。

 ラスティが小さく息を吐くと、背中の黒い四枚羽が消えた。

 同時に残っていた黒剣も消える。

 あとには破壊された石畳やアパート、ひっくり返った自動車、マギア・クラフトの炎が消えないカフェだけが残った。

「ふふ。結構」

 イスから立ちあがったファルがゆっくりと近づいてくる。

 頭一つ分は高い彼女を見あげて、ラスティは言った。

「これで満足?」

「えらいえらい」

「なんで頭を撫でるのさ……!」

「ほめているんだけど?」

「もう少し違う感じのやつあるだろ」

「むむ。反抗的」

「飼い犬に手を噛まれないように、気をつけるんだね」

「そして生意気」

「だから、頭を撫でないでよ」

 ラスティが抗議の声をあげるが、ファルはそれを無視して頭を撫でてくる。

 そして、彼女が耳元でそっと囁いた。

「ラスティ、君はこれからも戦友を殺す」

「……」

「私は君が躾を守る優秀な猟犬でいてくれる限り、対価を払い続ける」

「……そうだね」

 獣の笑みを浮かべるファルに、ラスティはそれだけを言った。

 この女だって、軍曹となにが違うというのだ。

 戦犯魔術師を殺すという、エアリエル・バスカーヴィルを殺すという、妄執に取りつかれている。

 その理由を、ラスティは知らない。

 だが、それがファル・ソルベルグにとっての正義には違いなかった。

 ラスティにとっての正義が、いまはそんな女に犬として飼われることであるのと同じように。


 かつて。


 バスカーヴィルが言った言葉を思い出す。

 正しいことは人の数だけある。

 才能や力は自分が正しいと思うことに使えばいい。

 他人の正義や評価を気にしてもはじまらん。

 癪に障るけれど。

 僕はあなたのその言葉にずっと救われている気がするよ、大尉。

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