8.やれやれだね

 ラスティが抱えていた書類は、教会から回収してきた寄付者の名簿だった。

 これからそこにある一人ひとりの名前を確認していくかと思うとうんざりする。

「ったく、うるせえな。おちおち仮眠もできやしねえ」

 奥にある応接用のソファから、不機嫌な男の声が聞こえた。

「シーガー、いたんだ」

「そりゃあいますよ、少尉殿。俺だって給料分は働いてるんでね」

 ソファで寝ていた男は、頭をがりがりとやりながら身を起こした。

 同僚の一人であるヴィトー・シーガー軍曹だった。

 映画俳優のような苦み走った二枚目ぶりは、ラスティがかつて戦場で出会ったころとなにも変わっていない。

 銀灰色の髪を整髪料で撫でつけて、あごには無精ひげ。

 着崩した軍服ですら絵になる。

 彼はのろのろと歩くと、ラスティの隣のデスクに座った。

「しかし、少尉も朝っぱらからご苦労なことで。その書類の束が今回の成果かよ」

「まあね。また名簿と睨めっこして潰していかないと」

「徹夜は勘弁してくれよ? 俺みたいな中年には酷な仕事だ」

 シーガーは心底からいやそうな顔をして、名簿の一冊を手に取った。

 雑にページをめくり、わざとらしく嘆息する。

 占領軍総司令部は地下に潜伏している反連邦勢力への資金援助を、ハーケン聖教の教会が寄付金を隠れ蓑に仲介していると睨んでいた。

 ハーケン聖教は旧四重帝国の国教であり、体制とも深い関わりのある勢力だったからだ。

 実際、戦犯の逃亡にも組織的に関与していることは間違いなかった。

 ゆえに占領軍総司令部で戦犯狩りを行う様々な組織が、教会を締めあげている。そしてそれが、エレメンタルの反連邦感情をさらに高める悪循環にもなっていた。

「旧四重帝国通貨のケーニヒはいまや紙クズ同然だ。一万ケーニヒでもパンひとつ買えやしねえ。強欲な教会の連中は、連邦通貨か宝石・貴金属の類の寄付しか受けつけてねえわけだが……」

 シーガーは寝起きの一服にと煙草を咥え、マッチで火をつけた。

 言葉と一緒に紫煙を吐く。

「定期的に高額の寄付をしている連中は露骨に怪しいが、結局は熱心な信者でしかねえ。その金は教会の差配で、反連邦の過激派のエレメンタリストどもに渡るかもしれねえがな。真っ黒に近い真っ白だ」

「けほっ……こいつを捕まえれば解決なんていう大口のスポンサーは、本当はいないかもしれない。そんな単純なものじゃないんだ」

 占領帝国に暮らす善良な国民一人ひとりの連邦への小さな不満が、教会というシステムに吸いあげられて巨大な資金になっている。

 過激派エレメンタリスト――旧四重帝国を支持して、過激なデモや主張を繰り返す熱心なエレメンタル至上主義者たちはこう呼ばれていたが、実際問題として旧四重帝国の国民は大なり小なりエレメンタリストだ。

「ふん。俺もそう思うぜ、少尉。スポンサーは占領帝国の全国民だ。資金源を絶てないとなりゃ、ハブになってる教会勢力を潰して物流ルートを締めあげていくしかねえわな。それができりゃ、とっくの昔にやってるだろうが」

「ハーケン聖教はエレメンタルの心底に根付いている信仰だからね」

 ラスティは手をぱたぱたとやって煙草の煙を散らした。

 宗教勢力に戦争を仕掛けると、本当の総力戦になる。

 まっているのは民兵によるゲリラ戦と、殉教精神による自爆攻撃。

 そこいらにいる老人や子供ですら敵になり、終わり方もわからない泥沼の戦争ができあがる。

「俺は昔――連邦が占領した小さな村で、前をいく輸送車が花売りの女の子の自爆で空まで吹っ飛ぶのを見た。バスケットには花じゃなく、トーチカでも吹き飛ばせそうなくらいの爆薬を詰めてやがった。少尉と同じ、ルーベルだったよ」

 疑心暗鬼による民兵狩りは、住民全員を虐殺することになり、それがさらに反発を生む。

 それがわかっているからこそ、連邦はハーケン聖教の総本山には手を出していない。あくまでも戦犯支援の容疑が明確になった教会と、そこの責任者だけを処断している。

 ラスティを含めた現場の人間が知る由もない、高度で複雑怪奇な政治的駆け引きの末に生まれた茶番とも言えた。

「ま、俺みたいな兵隊は、給料分の仕事をするだけだがね」

「シーガーなら、軍以外でもやっていけそうだけど」

「そうかい? ガキのころは、実はケーキ屋になりたかったのさ。近所にうまい店があって、そこの味にはまってた。戦争がはじまってなけりゃ、ジェヴォーダンの王都にある有名な菓子職人の専門学校に進学してたよ」

 シーガーは短くなった煙草を灰皿に押しつけた。

「へえ、意外だ」

「だろ? けどまあ、お嬢とは腐れ縁なもんでね。もう少しはつき合うさ」

「その呼び方したら、また怒られるよ」

 ファルはまだ、チェキーナとなにやら言い争っていた。

「じゃあまずは、おっぱい揉むとこからでいいっすよ。ファルちゃん着痩せするけど、実はかなりのもんだって知ってるっす。うひひ」

「は? ちょっ、絶対いや……!」

「大丈夫。怖いのは最初だけで、すぐに気持ちよくなるっす。なんなら、あたしのおっぱいも揉んでいいっすよ」

「チェキなんて貧乳オブ貧乳でしょ!」

「ひどー。エルフは成長が遅いんすよ。あたしはこれからなんで」

 手をわきわきさせながら、チェキーナがファルに迫っている。

 それを見たシーガーは、わざとらしく舌打ちした。

「うるせえぞ、ヤク中のクソビッチエルフが! いい加減黙ってろ!」

 ぴたりと動きをとめて、チェキーナがへらへらと笑う。

「やだなあ。楽しく仕事をするための、上司とのコミュニケーションじゃないっすか」

「そんなに欲求不満なら、いますぐ俺が犯してやろうか、ええ!?」

「うーん。シーガーさん、顔はそこそこいいんすけどねえ」

 小首をかしげ、彼女は言った。

「自分本位なセックスしそうなんで、こっちから願い下げっす」

「おいおい、貧相な身体のクソエルフが言ってくれるじゃねえか」

「いやいやー、クソ早漏なシーガーさんに言われたくないっすねえ。うひひ」

「ぶっ飛ばすぞ、こら」

 シーガーが立ちあがり、チェキーナに詰め寄っていく。

 すっかりエルフのペースに乗せられているシーガーを見て、ラスティは小さく嘆息した。

 これが特に変わりのない、いまの彼の日常だった。一番年下であるラスティが一番の年長者であるかのような、そんな騒がしい場所だった。

「やれやれだね」

 苦笑し、チェキーナが転倒したせいで床に散らばったままになっている紙を拾い集める。以前に別の教会から回収した寄付者の名簿をもとに、彼女が行動確認をした人々の報告書のようだった。

 もっとも、シーガーの言うように誰もが真っ黒に近い真っ白だ。

 心のどこかで自分の寄付金が反連邦組織に渡るかも知れないと思いながら、消極的にそれを歓迎している。

「これは……」

 ラスティはたまたま拾いあげた資料に手をとめた。

 写真が添付してある、簡易な報告書だった。

 教会に少額の寄付を定期的に行っている、善良な一般市民。戦争初期に従軍したのちに負傷して一年で除隊し、一人で暮らしている。除隊後は軍とのつながりもなく、反連邦の思想も表立っては見られない。

 この占領帝国のどこにでもいる、文字通りの普通のエレメンタルだ。

 だが。

「ハーディ軍曹……?」

 ラスティは思わずその名前を口にした。

 添付された写真に写っている中年の男は、資料によればそんな名前ではない。

 それでも、その顔はラスティがよく知っている男のものだ。

 エアリエル・バスカーヴィル大尉が信頼する、優秀な魔術師であり下士官だった。

 ラスティの分隊で副官として彼を補佐し、最後の作戦で戦死したと思っていた。実際、占領帝国の復員省にはMIAではなく、戦死として報告されていた。

「どうかした?」

 ファルの声に我に返ったラスティは、

「いや――なんでもないよ」

 咄嗟にそう言った。

 なぜ彼女に報告をしないのか、自分でもよくわからなかった。

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