第28話 ドゥーンと過去を喰む獣/トワイライトとトワイライト


 》


 あの魔獣を倒すこと自体は、実はそう難しいことではない。

 一度トワイが倒しているからだ。

 能力についても検証が済んでいて対処が可能だし、最悪ゴゾーラのところにある「スサノオ」を呼び出せばより丸い。


 だが、今においては状況に「縛り」が生じている。

 それはもちろん、精霊が何を置いても守るべき、として俺たちに交渉まで持ちかけてきた、くだんの「卵」のことであった。


 ──たまご──


 ──もり──


 ──こっちがわ──


 ──きた──


 ──みなみ──


 ──きた……?──


 ──どっち──


「わかるよ……」


 何かノエルが訳知り顔でうんうんと頷いているのが謎だが、まあ精霊の言いたいことはわかっていた。


「卵の場所は、あの時空間移動によって浮かび上がっていた『空白地帯』。森の北側、つまりはあの魔獣と今俺たちがいる地点のちょうど間あたりか」


 精霊の言う「卵」とやらの位置に、俺は目星をつける。


 俺たちが立つ岩場から森のある南側を見下ろすと、傾斜の鋭い岸壁じみた斜面を降りた先に直角に切り立った本当の崖がある。

 その真下、数百メートルほどをくだった先の森あたりに、例の「空白地帯」はあるようだった。


 普通に考えればこのまま斜面と崖をおり、「卵」とやらを保護したいところだが、


「魔獣、動かないな。どうしたのだろうか」


 トワイが見る先、目算で二十数キロといった距離のあたりに、生き物というより風景の一部と考えた方が納得できそうな規模で、「ダイダルダイロス」と呼ばれた魔獣が立っている。

 しかし、腕を生やし、岩の表皮を完成させ、以前湿原で見たものと同じような姿に「進化」してから、魔獣はその動きをぴたりと止めてしまっていた。


 理由はわからない。

 もしあの魔獣の本能が「食欲」に傾倒するものだとするなら、今はまだ腹が減っていない、ということだろうか。


 もしくは、


「周囲に餌がない、ということだろうか」


「……しかしトワイライトぉ。周囲は全て森。あの魔獣が以前と同じく『水』を求めるなら、水源はいくらでもありそうなものですがぁ」


 ──ちがう──


 精霊がマティーファの言葉を否定する。


 ──だいだるだいろす──


 ──おそれられた──


 ──すべてのひと──


 ──いきもの──


 ──だいだるだいろす──


 ──おそれた──


 ──だいだるだいろす──


 ──たべる──


 ──いろいろたべる──


 ──みず、たべる──


 ──みず、たべるものはそうでもない──


 ──みず、たべない──


 ──みず、たべないかわりに「いろいろ」たべる──


 ──おそれられたまじゅう──


 ──さいあくとよばれたまじゅう──


 ──まりょく、たべた──


 ──ひとも、たべた──


 ──さいげんなく、たべた──


「……そのような恐ろしいもの、異世界ではどうやって対処していたのぉ?」


 ──しらん──


「きゅ、急にドライ……!」


「……しかし、そうだとすると厄介だな」


 なぜなら、


「あいつに俺たちが近づけば、そンだけで再び動き出してこっちを襲ってくる可能性だってある」


「それだけじゃないぞ、ドゥーン」


 トワイが言う。


「あの魔獣は概念反射もすごいが、咆哮もすごい。『とりあえず一丁』みたいな感じで撃ってくる。俺は避けるか耐えるかすれば済むが」


 それ俺が受けたら死ぬヤツだな。


「済むが──あれが撃たれれば、おそらく森にあるという『卵』も無事では済むまい。……実質、俺たちは近づけないぞ、あの魔獣に」


「はァ。……諦めるか」


 ──ころすぞ──


「つ、ついに直で暴言が来たな!」


 まあ諦めるというのは冗談だとしても、だ。

 俺は考えていたことを口に出す。


「どうあれ、あの魔獣が本当に『人』を食うのか、それとも別の何かを糧とするのか。そのあたりをはっきりさせねェと、動くに動けねェな」


 するとそれを聞いたトワイが、なぜか腰の「ミカヅチ」を抜剣して切っ先を南へと向けながら言った。


「一発いっとくか、ドゥーン」


「……オメェが一発でやられたら詰むだろうが」


「わらわが一発いくか? ドゥーン」


「オメェ、前回はそれで一週間寝込んだじゃねェか」


「私が一発いっとこうか、アニキ」


「よし、いけ」


「わ、私だけ軽く使おうとしてない!?」


 自分で言い出したのにどうして狼狽えるんだお前は。


 ともかく、方針を決めるにも何かしら情報が必要であることは確かだった。

 だが、「探り」を入れるにしても膨大なリスクが伴うという状況だ。

 普通であれば、俺やキャスリンなどの斥候に適した人材が、現地に赴くなり適当に突っつくなりするのだが、今回に関してはやはり「卵」がネックとなっている。


 大体、あれが「人を食うかも」なんて情報が出てきた時点で、まともな斥候を行える算段は消え失せたようなものだ。

 あるいは命を捨ててまでギルドに尽くそう、なんてバカがトワイ以外にいるのであれば話は別なのだが。


 と、そこで俺は思いついた。


「なァ、精霊さまよ。あんた、あの『森』そのものなンだろう。だったらアイツの周りの状況とか、能力とか、探ったりできねェのか」


 ──できる──


 ──できる──


 ──できるが──


 ──できるが──


 ──ひつようではない──


 ……必要ではない?


「どういうことだそれは。あの魔獣の能力を探れれば、『卵』を守ることに繋がンだぞ」


 ──しってる──


 ──しってる──


 ──しってるから──


 ……ン?


 ──しってる──


 ──しってる──


 ──しってる──


 ──あのまじゅう──


 ──あのこたい──


 ──たべる──


 ──かこ、たべる──


 ──かこ──


 ──げんざい──


 ──みらい──


 ──の──


 ──かこ、たべる──


「……うン?」


 と、その時だった。


 ここ十数分、ずっと沈黙を保っていた大魔獣から、突如として振動と共に激しい唸りの音が響き始めたのだ。

 魔獣の直下、ディアンマの深い森からは、その振動に伴う鳥や動物、あるいは魔獣たちが放つものであろう、ぎゃあぎゃあというざわめきがこちらにまで届いてくる。


 魔獣が動いた。

 と言っても、別に足や手を動かしたわけではない。


 魔獣を形作る岩のような表皮、そこにヒビを入れ、あるいはいくつかの石片を周囲へと撒き散らしながら、魔獣の首が、ぎぎぎ、と音を立てながら回っていくのだ。


 それはまぎれもなく、大魔獣の首がこちらを向いた音だった。


 ──まじゅう──


 ──まじゅう──


 ──だいだるだいろす──


 ──とまっていたのは──


 ──うごかなかったのは──


 ──みていたから──


 ──たべるにあたいする──


 ──「かこ」のもちぬし──


 ──みさだめていたから──


 魔獣の瞳が俺たちへと向けられたなり、その瞳孔が赤く光り、そのあと青く光った。


 まるで雷のような鮮烈さで。

 あるいは日の出の際に地平線から届く閃光のように。


 光は、瞬時に俺たちがいる山の中腹まで届けられ、


 ──だいだるだいろす──


 ──たべる──


 ──かこ──


 ──たべる──


 ──たたかう──


 ──ひと──


 ──かこ──


 ──たたかう──


 ──かこのじぶん──


 ──いまのじぶん──


 ──だいだるだいろす、きにいった──


 ──たべるにあたいするとみさだめた──


 それは、


 ──どぅーん、とわいらいと、のえる、れいちぇる──


 あと、


 ──その……そこのひと──


「マティーファ! マティーファ・ギブソン!」


 ──それ──


 そして最後に、原初精霊は言った。


 ──まあ、がんばれ──


 それを聞いた俺たちは、異口同音に叫んだ。


「「「「「……早く言え……!」」」」」


 直後、その言葉が届いたかどうかすらわからないまま、俺の意識はいざなわれるようにして闇に閉じていった。


 》


 視界が再び開けたとき、俺が立っていたのは、寒風吹きすさぶ荒野だった。


 あたりにあるものは、岩と砂と地面のみ。

 環境だけで言うなら先ほどまでの山の中腹とそう変わりはないが、同じような景色がはるか地平線まで続いているのは、ここが地上であることを示していた。


 ここが「虚構領域」だとすれば、そう珍しい風景というわけでもないが、


「……懐かしい景色、だなァ?」


 俺は、ここが「どこ」であるのかを瞬時に理解していた。


 過去を食べ漁る魔獣。

 過去を糧とする厄災。


 それが「こういう」意味だとは思わなかったが、そも「魔獣」という生き物に常識は通用しない。

 ありとあらゆるが有り得、ありとあらゆるを許容する。

 それに対処し、あらゆる準備と対策を講じるのが「開拓者」というものたちなのだ。


「──」


 目の前。


 風の巻き起こりだけが継続して奏でられる中、新たに生じたのは、靴が砂を噛む音だった。


 俺の目の前には、黒髪の少年が立っている。

 そう。

 大陸ではとても珍しいものであるはずの、黒の髪の、だ。


 年の頃は十歳前後だろうか。

 身につけるものは麻か何かでできたシャツと短パンで、その体はお世辞にも鍛えられているとは言い難い。


 体質的に、肉が付きづらい体だったのだ。

 だからトワイやノエルにも置いていかれて、ゆえに少年は、とても焦っていた。


 だが少年はひとりではなかった。


 少年の体を覆うようにして、少年の体を荒野の風から守るようにして。

 そのかたわらには、体長二メートル、翼開長で言うなら五メートルほどの竜が佇んでいたのだ。


 鱗の色は鮮やかなエメラルドグリーン。瞳の色は沈むようなアズールで、すらりと伸びた四足はしっかりと大地を踏み締めている。


 俺は言った。


「久しぶりだなァ。……シャオ」


 名を呼ばれた竜が、キィ、と細い鳴き声をあげる。


 そこに立っていたのは、過去の自分だ。

 しかし彼は、「ドゥーン・ザッハーク」ではなかった。

 ドゥーンだ。

 それは、師匠たちと出会う前の、ただのドゥーンという名の少年だった。


 》


 足元には板張りの床があり、左右には板張りの壁がある。

 天井には暗闇に隠れるようにして梁が通されており、つまりここは俺が幼い頃通い詰めていた道場だった。


「懐かしいな。そう言えば『黄昏』を立ち上げてからは帰っていない、か。今度ドゥーンとノエルを誘ってみるとしようか」


 もっとも、故郷とはいえ「帰る家」というのも特にないのだが。


 そんな中で俺の正面で木刀を構えていたのは、金色の髪を流した十二、三歳くらいの少年だった。


「ふむ」


 俺は言う。


「全盛期の俺、か」


 察するに、ここは俺の記憶から作り出した「過去」の風景なのだろう。

 精神感応系の力を持つ魔獣というのも、虚構領域には数多く存在する。

 こういった「映像」を見せる魔獣というのも、珍しくはあるが皆無ではないし、そこから「帰ってこられなくなった」開拓者というのにも心当たりがあった。


 あの魔獣が「過去」を食べる、というのであれば、これはその一環なのだろう。

 よくはわからないが、この金髪の少年に俺が負けてしまったら、きっとそれが魔獣にとっての「食事完了」ということなのだ。


 過去を見せ、そこにある「想い」を取り出す?

 いや、それは仮説としては少しばかり曖昧か。

 いずれにせよ、これが意味のある行為であることは確かである。

 ならば俺の為すべきは、剣を構えて待っている目の前の少年を、打ち倒してしまうことなのだろう。


 果たして俺が負けてしまったとき、俺の体に一体何が起こるというのだろうか。

 この記憶を失ってしまうのだろうか。

 それとも、もっとひどいことが起きるのだろうか。


「ふむ」


 俺はもう一度そう言って、黄金の剣「ミカヅチ」を構えた。


 すると相手、木刀を構えた過去の俺が、


「『ふむ』ってなんですか、『ふむ』って。頭いいつもりですかそれで。俺より頭悪いくせに」


 》


 俺は反論した。


「………………頭の良し悪しは、この場ではわからないと思うが?」


 過去の俺は、は、と喉の奥で笑い、


「その返しがまた頭悪いって言ってんですよ、わかんないですかね? 大体ですね、あなた俺が誰だかご存知ですか? レイド家の長男ですよ、レイド家の。反論するなら立場ってものを考えてから発言してくださいよ子供っぽいですねほんと」


「………………俺の家も、一応は君のものと同じような位にあると自負しているんだが」


「はぁーーーーーー? なんですか妄想ですか気色悪い。大体恥ずかしくないんですか子供に本気で反論したりなんかして。おふざけですよ、おふざけ。真面目に受け取らないでください」


「………………おふざけであっても、言っていいことと悪いことが」


「だぁから、真面目に受け取らないでください、って言ってるんですよ。そういうところですよ? 学がないだけならまだしも、常識知らずとか、本当に恥ずかしいですねあなた。どこで教育受けたんですか? それとも受けてないんですか」


 大体ですよ? と過去の俺は言う。


「あなた誰ですか? ここは先生の道場ですよ。部外者がどうしてここに……って、もしかして先生が新たに呼んだ受講生ですか?」


 ち、と過去の俺は舌打ちをして、


「余計なことを。どうしてあのじいさんは何回言ってもわからないんでしょうか。他の人に剣術を教えるなんて全部ムダ。先生は、俺にだけ剣術を教えてくれてればいいんですよ」


 ああ、と俺は思い出す。


「……君はそう言って、他の受講生を全員追い出したのだったな。先生が止めるのも無視して」


「だって、それが一番世界のためですから。将来この領地を背負って立つ俺だけが剣を教えてもらえれば、それ以外には何もいりません」


 俺はわかっていても言わずにはいられなかった。


「しかしそれでは、先生の生活が」


「はぁ。あなたもお金の話ですか。金、金、金。お金よりもっと大切なものだってあるでしょう。それを差し置いて俺に剣術を教えない、なんてのは、間違ってますよ。それなのに」


 過去の俺は、はぁ、とため息をつく。


「昨日も先生は、稽古の途中で帰られてしまった。何が持病ですか、元気じゃないですかあのじいさん。……さては俺に内緒で他の子供に剣術教えてるとか? あれほど言ったのにそんなこと……いえ、しかしあり得ますね……」


 だとすれば、


「だとすれば、子供たちの方をどうにかする方がいいですかね。二度とここの敷居を跨げないように。……うん、いいですね。そのほうがいいです。だってあいつらの親も所詮、俺の父のおかげで職にありつけてるんですから」


「はぁーーーーっ!」


 俺は自分の体を抱きながら鶏のような裏声で叫んだ。


 それを聞いてびくりと体を震わせた過去の俺は、心底驚いたような顔をこちらを見つめ、


「な、なんですかいきなり……」


「気にするな。こちらの話だ」


 ちょっとゲージがはち切れただけだ。うん。問題ない。


 俺は、改めて黄金の剣「ミカヅチ」を構える。

 対し、それを見た過去の俺は、怪訝な顔つきになりながらも己の木刀を構えた。


「最低限の礼儀はわきまえているようだな」


「……子供に真剣向ける礼儀ってなんですか」


 それに関しては正論だと思うが、得物がこれしかないのだから仕方がない。


「君も『できる』んだろう。なら、もう言葉はいらないはずだ」


 俺は言う。


「その剣で、君が正しいと証明してみろ。俺は『今の』俺が正しいと、全力で証明する。……もし、それができないと言うのなら」


 俺は、過去の俺に言った。


「ここで死ね」

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