第25話 「暮れずの黄昏」VS「ディアンマ大森林」


 》


 じいちゃんが考案した「ハザマ貫闘流」は、闘気・魔力に頼らないものとして無類の拳法である。

 少なくとも俺はそう信じてきたし、それは「拳爛会」というギルドの実績でも証明できたように思う。


 だが、無類であるということは無敵ではない。

 たとえ無敵であったとしても、それは「最強」という言葉とは程遠いのだということを、俺は知った。


 三年前のことだ。


 拳でのみ戦うを旨とする「拳爛会」を率いていた俺は、ある日「前人未到」とされた、未開拓区域への挑戦を目論んだ。

 無論、多種多様な魔獣が闊歩する危険地帯だ。準備は怠らなかったし、あらゆる事象への対策も入念に講じたつもりだった。


 足りなかった。


 決して、甘く見ていたわけではないのだ。

 俺たちの「無手空拳」は確かに他の戦種と比べれば対応力に劣るが、その分知識は十分に蓄えてきた。


 人間を騙し、他者を貶め、同族であっても食い物にするのが、「魔獣」という生き物たちだ。

 しかしそれらは、俺たちの忌むべき仇敵であっても、決して天敵ではないのだとじいちゃんは言っていた。

 どのような魔獣が相手であっても、俺たちは十分に戦える。

 どのような魔獣が相手であっても、生きて帰ることくらいはできる。

 そのような自負が、俺たちにはあったのだ。


 足りなかったのは、ああ。

 今考えれば、呆れるほどに話は単純だ。


 練度、であった。


 》


 左から右へ言葉が抜ける。


『位置を知らせろ。大体でいい。わからねェなら、まずは山脈の方向だ。それから、太陽の位置、風の向き。次に植生。キノコでもいい。何? 名前がわからない? 一回食ってみ? ……舌が痺れる? ははは毒だなそれ。南東方面だ翼人部隊急げ』


 それは、トーマスから渡されたマーカーを通した、頭の中に直接響く声だった。

 無手空拳使いとしては、魔術や呪言に頼った装備はできる限り省きたいのが心情であったが、今の俺はギルマスでもなんでもない、イチギルメンだ。

 それを使うに否やはない。

 だが、


「──ち。ムカつくヤローの声がすんな」


 実力もないくせに、いつも最前線で声を張る男。

 戦闘も剣もからっきしのくせに、いつもトワイライトの隣にいた男の声が、心底不快なことに、頭の中を直に駆け抜けていくのだ。


『まったく応答がねェのが何人かいンな。幽鬼系でも声帯のねェタイプはキャスリンに任せるとして、あとは……ああ、ガレス。戦闘中か。悪霊系に巻かれてンなら厄介だな。だが大丈夫、これ見ろ。遠征の必需品、神聖術理をありったけブチ込んだ術式符。周囲100キロ余裕で浄霊するこれを……こうだ! ……どうだ? ン? キャスリンからも応答がなくなったな。ははは当たり前かイッテェなてめェキャスリンいつの間に後ろに!』


 的確な指示。

 的確な対応。

 よく考えるとたった今何か的確ではないシーンがあった気もするが、まぁ皆が生きて帰れるならある程度はご愛嬌、ってところか。一部幽霊だが。


『幻光虫への対処は簡単だ。無視しろ。虫だけにな。……おい、誰からも応答がなくなったがどうした諸君。全員死んだか。……なンだ生きてるじゃねェか。ちょっと真面目にやってくンねェかてめェら今ギルド存続の危機だぞ? 木々だけにな。……あっ、おい今ウルティマちょっと笑ったろ! なあ! 笑ったよな今!』


 一見ふざけているようにも聞こえるが、というか実際にふざけているのだが、応答が続く中、次々とドゥーンの元へと仲間たちが集結しつつあるのが、念話越しにもわかった。ふざけてはいるのだが。


 位置を特定し、相対する魔獣への対処を講じ、皆が生き残る術を画策する。

 そうして弾き出されつつある結果は、これまで幾度となくギルドの窮地を救い、ギルドを大陸屈指の規模へと押し上げてきた、その「流れ」そのものだ。


 その全てを、あの男はトワイライトの指示なのだと言う。

 そういうことにしておけと、あの男はいつも面倒臭そうな顔で言う。


「……気に食わねえぜ」


 お前がいてもいなくても、俺たちは強い。

 お前がいてもいなくても、トワイライト・レイドという男は英雄である。

 そのことを証明するための遠征であったのに、どうしてお前はまたこの戦場にいる?

 

 ……気に食わねえぜ。


 そうして皆の応答と対処が進むうち、


『──おい、聞こえるか、ガトー。ガトー・トールギス。報告をしろ』


 ムカつく男、ドゥーン・ザッハークが、こちらへと声を放ってきた。


「ああ」


 森の中。

 俺は、仲間たちとはぐれてひとり佇んでいる。


 薄闇に紛れるのは、ひとつの影だった。

 木々の間を高速で移動し、その気配だけを残し、決して姿を悟らせず、ただただ黙ったまま獲物を切り刻む、この森における三種の「最強種」の一体。


 ジール・ドラゴ。


 黒の鱗を持った中型の竜種。計測された最高速は、木々の間を縫う不規則な動きにもかかわらず、300キロを超えたとの話も聞く。


 仇敵だ。


 あるいは天敵だ。


 きっとドゥーンはこの最強の竜への対処も持っているのだろうが、俺はそれを聞くつもりはなかった。

 だから言う。


「三年ぶりの相手だぜ、ドゥーン。あの時はトワイライトに助けられたが、今度は」


『そうか。頑張れ』


 そう言ってドゥーンは、こちらとの念話を閉じた。


 》


 一旦閉じたガトーとの念話が、どうしたことか向こうから復活した。

 俺は言う。


「どうしたガトー。アドバイスが欲しいか」


『地獄に落ちろ』


 そう言ってガトーは、念話を切った。


 》


 空へと飛び上がったアニキと羽女へと、魔獣が持つ四対八個の目が向くが、無論私はそれを許さない。

 森の地面を蹴り削る勢いで突貫をかければ、魔獣たちのヘイトは簡単にこちらへと集まった。


 ……上々!


 四体の猿型魔獣、確かアニキが「ブラッドマンキータ」とか呼んでたヤツの一体が、手にした棍棒を振りかぶってきた。


 速い。いや遅い。いやもちろん一般的には速いんだが、戦闘中に言ってみたいセリフとしては結構上位のヤツじゃんか。「遅い」って。


 だから言った。


「……遅い!」


 思ってたよりは速い一撃が魔獣の一体から横なぎに振われてヒヤリとしたが、私はそれを低く潜るようなダッシュで切り抜ける。


 頭の上を豪風が通り過ぎ、私の体はマンキータの向かって左を抜け、背後へと至った。


「そいや!」


 振り返りながらの狙いはそのまま、マンキータの右脇だ。

 どのような強靭な毛皮で覆われていようと、下から上へと振り抜かれる大剣「老骨白亜」の一撃は、その右腕を豆腐のように断つだろう。

 戦闘とは、小さなダメージの蓄積だ。

 この魔獣がどれだけ強力な個体であろうと、腕一本を八回繰り返せば、四体の魔獣は地に伏せることになる。

 だが、


「!」


 剣を振るう私の両側から、影が落ちてきた。


 二体のマンキータ、その二本の棍棒だ。

 私の体から比べるとまるで馬車が落ちてくるような規模で、鉄鉱石の塊が膂力まかせに振われた。 

 無論、位置どりやマンキータ同士の距離は把握していた。

 していたはず、なのだが、


 ……五体目と六体目!?


 否。違う。そんなはずはない。だって気配は増えていない。


 つまりは、私が位置を把握していたはずのマンキータが、瞬間移動じみた速度でこちらへと到達し、腕を断たれようとしていた仲間のフォローに入ったのだ。


 重量は大岩のそれ。


 硬度は不出来な鋼鉄のそれ。


 二本の棍棒が、風切り音すら置き去りする速度で私の頭上に降ってきて、


「甘い」


 私の頭と二本の棍棒、その間に差し込まれた黄金の剣が、落ちてきていた莫大な重量を上へと弾き返した。


 》


 火花と鉄音が森の薄闇を照らし、得物を弾かれた二体のマンキータが体勢を崩す。


「君は左を」


 そう言葉を落としたトワイライトに応じ、私は左のマンキータを、左の、左。左か。左ってどっちだ。お茶碗を持つ方か。それはどっちだ。というかそもそもトワイライトから見てか。私から見てか。それともマンキータから見てか。


 勘でいったらどうやら合ってた。


 トワイライトの剣が右のマンキータの肩を浅く削り、私の剣が左のマンキータの棍棒の持ち手を断った。


 恐ろしいほどの振動を響かせ、一本の棍棒が地に落ちる。


 武器を失ったマンキータと、傷を負ったマンキータが、バック宙を繰り返す曲芸師じみた動きで後退する。

 見れば、最初に私が狙っていた一体も、それ以外のもう一体も、いつの間にか私たちから十数メートルほどの距離をとっていた。


 油断なき相手だと、私たちをそう認識した証、ということだろうか。

 私は言う。


「あー、何あれ速っ。ちょっと現実離れしてない? そういう能力?」


「そういう能力、であるとの話だ。ドゥーンがいれば看破もできたのだろうが」


 トワイライトは、横目で私の顔を見た。


「まあ、できないことをしようとしても仕方がない。どうにかしよう」


「今すっごいバカにされた気がしたんだけど!」


 まあ実際バカなのだから仕方がないけど。というかだとしたらトワイライトもバカってことなのでは。


 私は言う。


「それ、『ミカヅチ』は使えないの? というか使おうよ。それが一番丸くない?」


「使えるが……森のどこに仲間がいるかわからないからな。これを解放すれば、死人が出かねん」


「そっか。それは仕方ないね。……事故、ってことにできないかな?」


「以前、一年前くらいだったか。それにワンチャンかけたらドゥーンにこっぴどく叱られたからな。あまりやりたくない」


「わかる」


 なぜって、私にも経験があるからね。「人質は助けるモンだ」という一文を一万回書き取りさせられた上で、「建物を壊すと莫大な時間と金を消費する」という一文を一万回書き取りさせられた。その上で「水路は人の財産である」、「森の再生には100年かかる」、「猫は人の上に立つ生き物だ」という文も全部一万回だった。最後のはちょっと私情入ってた気もするが。


「でも、だったら近道はなしか。頑張るぞ、と」


「ああ、そうだな。……なあ、ノエル」


 と、そこで唐突にトワイライトが、こんなことを聞いてきた。


「なぜギルドを出た。君、俺と結婚すると言ったじゃないか。半年前に」


 》


 それを聞いて、私は思った。


 ……やっべぇ、言ったかも知んない。


 》


 半年前、半年前、半年前か。


 うん、ちょうどその頃だったな。私の結婚欲がめちゃくちゃに高まり、誰かれ構わずプロポースしてまわってたのは。


 だって、仕方なくない? この稼業、開拓者。ちょっといつ死ぬかわかんないし、もっと言えばアニキを安心させてあげたいなんて気持ちもあった。


 安定を得たい。家族を得たい。アニキを安心させてあげたい。


 それらの気持ちは、紛れもない本物だった。


 よくよく考えてみればその頃、魔法でトドに変えられてしまった王子様と美女との純愛を綴った恋愛漫画「君トド」が流行っていたことが関係していた気がしないでもないでもないでもないが、うん、あの気持ちは本物だった。だって「私も恋愛したい!」って本気で思ってたもの。だから本物だ。三日で飽きたが。


 だが、その三日の間に告白した連中には全て断りを入れてまわったはずだ。

 少し程度は刃傷沙汰も起きたが、それも含めて解決済みである。こちとら最前線で活躍する現役開拓者。貯金はある。つまり慰謝料も払える。だからこれはつまり解決済みだなのだ。


 だが、


 ……解決してないのが残ってたかー……。


 す、と私の頭が冷え、不思議な冷静さが思考を覆った。


 だから言った。


「トワイライト」


「なんだノエル」


 うん。


「私、アニキより強い人じゃないと結婚できないから」


 私は適当なことを言った。


 》


 私の言葉を聞いたトワイライトは、数秒考えて、そして言った。


「……それは……難しいな。少なくとも今すぐどうこうできる話でもなさそうだ」


 だから、とトワイライトは言った。


「とりあえず今は、この魔獣たちだな、うん。……集中していこう」


 誰が集中を乱したと思っているのか。

 まあその遠因は、私なのだが。


 》


 数多のメンバーからの念話を聞き、それを精査し、情報をまとめながら俺は思った。


 ……妙だな?


 森の中、散り散りになったメンバーは皆こちらへと集まりつつあるが、その情報の海の中に、俺は違和感を感じ取っていたのだ。


 ディアンマ大森林の厄介さとは、各種魔獣の強大さはもちろんのことだ。

 しかしその中でも最たるものは、侵入者を森林内の様々な場所へと移動させ、混乱させる、無茶苦茶な空間構造にあった。


 入るたびに法則も移動経路もバラバラに組み直されるため、マッピングも極めて困難。

 これを攻略する手段は未だ確立されておらず、唯一有効な手段は、「戦力を保ちながらひたすらに進み続ける」という、力押しの一手しか存在していなかった。


 だが今、森林内でバラバラになった「黄昏」のメンバーの配置を見て、俺はあることに気がついていた。


 空白地帯があるのだ。


 森林内での空間移動が本当にランダムであったのなら、そこに思惑や意図は混ざらない。

 にもかかわらずそこに「一定のルール」が見えたのなら、それはつまり、この「空白」にこそ大森林を攻略する糸口がある、ということなのではないだろうか。


「──」


 俺の目的は、「明けずの暁」のランカーギルドへの格上げだ。


 そのために俺は、「スサノオ」を買い戻す。


 そのために俺は、「帝雲」の攻略を目指した。


 だが、俺が「暁」を率いて「帝雲」へと挑んだ背景には、もうひとつ、明確な理由があった。


 無言の底沼。

 それは記憶にも新しい、緊急討伐案件の舞台となった場所だ。

 あそこに突如として現れた、体高1000メートルにも迫る前代未聞の大魔獣、それが仮に、本当に空から降ってきたのであるとするならば。


 その起源は、「帝雲」にあるのではないか、と俺は考えたのだ。


「──」


 俺は、俺たちが隠れる木の向こう側へと慎重に振り返り、その先へと視線を送る。

 そちら側では、この森を支配する「最強種」のうちの一体、「ダイアーマーケロン」がその巨体を蠢かせていた。


 あらゆる攻撃を無効化する、100メートル超の毛むくじゃら。

 あの時の「概念反射」にも似た特性を有する、黒の巨体。


 その、「向こう側」だ。

 俺が視線を送る、ダイアーマーケロンを超えた「先」に、一体何がある?

 その「先」にある「空白地帯」に、一体何が隠されている?


 俺は言った。


「レイ。マティーファ」


「ほいほい」


「……何よぉ」


 ふたりの翼人が返事をした。

 その他、キャスリンやウルティマを始めとした、この場所への合流に成功した面々には、未だ合流できていない仲間たちの迎えとフォローを頼んでいる。


 俺は言った。


「ちょっとアレ倒すぞ」


 レイチェルがニヤリと笑い、マティーファが眉と口と表情筋をこれ以上ないくらいに歪ませた。

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