第22話 ドゥーンと霊峰と開拓者たち/マティーファと「暮れずの黄昏」


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 リーラ島の南西部に、その山はあった。


 標高約2900メートル、霊峰アダム。

 温暖な気候のリーラにおいて、安全で実り豊かなこの山は、春から秋にかけてとほぼ一年中登山が楽しめるものとして、地元民観光客問わず愛されてきた。


 魔獣は言わずもがな、通常の野生動物であってもその多くの住処は森の奥深く。

 登山道付近では多少毒性のあるキノコが散見されるくらいで、事故らしい事故もこの十年はとんと聞くことがない山だった。


 だが今年の春、登山が解禁される直前の時期になって、アダムの山頂は突如として出現した厚い雲に閉ざされることになる。


 巨大にして圧巻、天を突く竜のうねりにも等しい、大陸において「帝雲」と呼ばれる「それ」。


 地元民はその出現を催事のようにとらえて喜んだ。

 しかし、ほとんどの場合において魔獣出現を知らせる凶兆として有名な「帝雲」を、ハーケンを始めとしたリーラの権力者たちが、看過できるはずもなかった。


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 霊峰「アダム」の中腹に、俺たちは立っていた。


 厚い雲が太陽を隠し周囲を夜のような暗さが包む中、視界を遮るのは、いやに太い木々が立ち並ぶ森林地帯だ。

 ただし高度があるためか植生の特徴なのか、下草の類が極端に少なく、暗さも相まってどこか薄ら寒い印象を覚えた。


 眼前、見上げる先にある「アダム」の山頂は、無論のこと「帝雲」に覆われていて確認することができない。

 後ろを振り返りふもとの方を見下ろせば、標高が下がるにつれ明るくなっていく登山道が見える。

 それはさながら、光源のまったくない洞窟の中から見た、出口の光のようでもあった。


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 俺たちの周囲には、ハーケン公によって雇われた多数の開拓者たちの姿がある。


 あの後結局、開拓者たちには薬を入れた水が振る舞われた。

 そこに入れられた薬自体は、単なる栄養剤であったらしいが、それらにはどうやら、魔術的な仕掛けが施されていたらしい。

 つまりあの水は、開拓者たちの「魔術的な仕掛けを見破る力」を測るものだった、ということだ。


 それによって開拓者たちは、少数選抜である「気づいた」面々と、「そうでない」面々に分けられていた。

 少数の「気づいた」面々には俺たちと同じく、任務の詳細が知らされている。

 しかし「そうでない」面々は、各々自覚がないまま、「気づいた面々」とは違う任務情報が与えられている、とのことだった。


 しかしだとすると、


 ……別に逃げ出さンくてもよかったかな。


 俺はどうだったかわからないが、我が「明けずの暁」には、種族的に術師素養が高い「翼人」であるレイチェルがいる。

 そうでなくとも、ノエルならばきっと、野生的な勘で水に「何か」が入っていることなど、看破していたことだろう。


 実際にはその前に、「そうでない」面々から不穏な気配を感じ取り、同じように「死臭」を感じ取ったサーヴェルと共に会場を抜け出してしまったわけだが。


 まあ、


 ……「そうでない」ヤツらに万が一でも組み込まれちまってた可能性を考えると、逃げといて正解だったか。


 と、俺がそのような栓なきことを考えている時だった。


「おう、お前、逃げ出したんじゃなかったのか」


 男が、俺へと話しかけてきた。


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 それはつい数日前、あのハーケン邸のパーティルームで俺に突っかかってきた、角刈りの開拓者だった。

 男はこちらへと近づいてきながら、調子を確かめるように、あるいは威嚇でもするかのように、大斧を振り回している。

 軽々と得物を扱うその技量を見るに、やはりこの男、なりはこんなでも「前線」の開拓者と遜色ない実力を持っていそうだ。


 男が言う。


「ハーケン公もヤキが回ったかよ。てめえみてえな雑魚開拓者を、俺たちと一緒くたに雇っちまうたあな」


「……見たところ、あの場にいたヤツらは全員雇われてるみてェだが」


 そう言って俺は、暗がりの中でそれぞれに戦闘の準備を進める面々を見渡す。


 もしかしたら数人や数パーティくらいは辞退やスッポかしもあったのかもしれないが、少なくとも今この場にいる人数は、あの時のパーティルームのものとそう変わらないように見えた。


「は! 同じ『雇われた』でもなあ、俺とおめえらじゃその『意味』が違えんだよ、『意味』が!」


 そう言って男は、あの時と同じように俺の眼前に顔を近づけてくる。


「いいか? わかってねえようだから教えてやるが、あの会場にいたヤツらには秘密裏に『試験』が課されたんだ。つまりここにいる開拓者は同じように見えても、『選ばれたヤツ』と『そうでないヤツ』に分かれている。まあ後者は、おめえと同じように、『自分が試験に落ちた』ってことを理解すらしてねえだろうがな」


 それ自体は事実だった。

 確かにあの現場では、振る舞われた飲み物によって、ふるいがけが行われていたのだ。

 だが、


「……それ、言っていいのかよ?」


 今回この場にいるものの多くは、男が言うように「落とされた」自覚もなく、「帝雲」の内部調査が主な任務だと思っている。

 だが、それこそがハーケン公の打った「布石」であり、真の意味で「帝雲」を攻略するその手段であるのだ。

 ゆえにこそ、あの「ふるいがけ」は秘密裏に行われた。

 この男がしゃべった内容は、場合によってはその思惑を無に帰すこととなる。


 だが男は、なんでもないことのように、


「は。一山いくらの雑魚に何をしゃべったところで、大勢に影響なんてねえよ。大体、それを知ったところで任務の詳細までは知れねえだろ? だったら同じことだ。おめえは、ただ雑魚としての役割をこなすしかない」


「それはまァ……そうか」


 俺が目を逸らしながら言うと、男は満足そうな顔をしてこちらから顔を離した。


「もう一度言うぜ。確かにこの『帝雲』は、侵入者の記憶を奪うなんて逸話があるものの、犠牲者自体は出てねえ、大陸の最前線と比べりゃあ、比較的安全そうな案件だ」


 だがな?


「開拓者を、舐めるんじゃ、ねえ」


 男はそう、まるで俺に言い含めるようにして、言葉を丁寧に区切って言った。


「おめえみてえなクズが首突っ込んで、ちょっと怪我して『撤退しますぅ』なんてパターンを、俺は腐るほど見てきたんだ。そういうのはな、本当に本当に本当に本っ当ーーーーーーに……うんっっっっざりなんだよ!」


 そう語気を荒げたあと、男は心底嫌そうな顔を隠そうともしないまま、またこちらへと顔を近づけてくる。


「……だからよ。お前、俺をこれ以上イラつかせたくないなら、もう本当にここで帰れ。さっき俺が言った、『選ばれたヤツ』って意味がわかんねえんなら……」


 そう。


「あの会場にあった、ハーケン公の試験。つまり──壺とシャンデリアの配置に巧妙に隠された、その真の意味に、気付くことができなかったんなら、な」


 男は最後にそう言ってきびすを返し。


 木々の向こう、ハーケン公が用意した「水」を何の疑問もなく飲み干した面々が集まる方へと、歩き去って言った。


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 俺たちがこの場所に集められる前、ボムスター・ハーケンは、俺たち「明けずの暁」とサーヴェルを含め、七組の「気づいた」面々に、今回の任務の詳細を語っていた。


「帝雲、っていうのはね。つまり、異世界に由来する技術をもって作られた、空間移動装置なんだ」


 ハーケンは言う。


「この世界にも『転移門』なんて代物があるけどね、『帝雲』は……いや、こうなっては『雲』なのかも微妙だけど、とにかくあれは、『転移門』とはちょっと違う。『帝雲』は、本当に『世界』を隔て、繋ぐ。そういう装置なのさ」


 それを聞いた開拓者のひとり──全身をローブに包んだ女性──が、椅子に座ったまま手を挙げた。


 ハーケンが手のひらで女性を示し、


「はい、そこの君」


「恐縮です。──その仮説自体は、特に新しいものではありません、よね? ただ侵入者が皆記憶を失うので、証明ができてないだけで。……ですよね?」


「うん、合ってる」


「ならばハーケン公、あなたは、その情報をどこで手に入れたんです? おかしいですよね?」


「それは君たちが知らなくてもいいことだね」


 ゾクリ、と。


 俺たちを含めた開拓者たちが、皆一様に身構えを作ってしまうほどの冷淡さ。

 それをもって、ハーケンが先の質問を切り捨てた。


 特に動じていないのは、椅子に座ったままなぜか必死の形相でメモを取っているサーヴェルだけだ。


 ハーケンが言う。


「いやごめん、ちょっと剣呑だったね。うーん、教えてあげたいところだけど、『約束』でね。そういう『約束』で私はこの雲の情報を手に入れたし、さらに言っちゃうとこの任務自体が『約束』の一環でもある」


「……何かしらお互いが得られるメリットがあって、あなたはその人物と『約束』をした、と? ですよね?」


「そういうことだね」


「でしたら……私からは、大丈夫です。もとより単なる興味本位でしたから。皆さんも、いいですよね?」


 そう言って振り返る女性開拓者に、皆は無言をもって同意とした。

 そもそもこの一件は、ハーケンが依頼主なのだ。

 情報が「本当だ」という前提が俺たちを雇う条件だというのなら、俺たちはそれに従うしかない。


「話が早くて助かるよ。でまあ、この雲が空間移動装置、ってことだけど」


 ハーケンが続きを話し始める。


「であれば、気になるのはこれが『どこに繋がってるか』ってことだよね。転移門とは一味も二味も違う、『異界』への扉。今までの侵入者が生きて帰ってきてることを考えると、危険は少ないようにも思えるけど──ただ、『危険が少ない』ってのは、『依頼が簡単』ってこととイコールではない。もちろん皆わかってることだと思うけど」


 そう確認するハーケンの視線を、俺たちは黙って受け止める。


「うん、大丈夫そうだね。で、結論言っちゃうと、これが『どこに繋がってるか』ってのが、今回の依頼の本題なのさ」


 ハーケンは言った。


「この先にいるもの。『異世界』に生きるもの。独立した空間を支配し、そこに落ちてきた『獲物』を食らい、眠りにつき、また活動を始めては気まぐれに『獲物』を狙う」


 その名は、


「記憶を食べる悪魔、『アグロスアグノム』。──まあ皆、ちょっと大変だと思うんだけど」


 頑張ってさ。


「こいつをね、捕まえてきて欲しいのよ」


 》


 わあ、という群衆の声が、暗闇の山中に響き渡った。

 ハーケンが雇った「開拓者」、つまりはふるいに「落ちた」多数の面々が挙げる声だ。


 数十人にもなる彼・彼女らは、山の中腹に横一線に配置され、合図と共に一斉に山頂へと向けて駆け出していく手筈となっている。

 そうして「帝雲」へと侵入し、「何かしら」の情報を持ちかえれ、というのが、彼らに伝えられた偽(あながち偽でもないが)の任務内容であった。


 こうして駆け出した彼らには、すでに別の「開拓者」たちが先行して「帝雲」へと侵入している、という嘘の情報が伝えられてもいる。

 これによって「二番手」だと思わされた彼らは、「一番手」よりは安全だと認識し、なおかつ先を越されないように、我先にと「帝雲」へと突っ込んでいったのだ。


 ……絶対勘弁願いたい役回りだ……。


 先ほどの角刈りの人は大丈夫だろうか。無事を願うぞ角刈りの人。


 ともあれ、彼らが先行したなら次は俺たちの番だった。


 多数の開拓者たちが走り去り、この場に残ったのは、俺とノエルとレイチェル、サーヴェルと、そのほか「試験」を突破した五組の精鋭たちだ。


 俺たちが互いに顔を見合わせ、頷き合うと、五組の中から深緑色の長髪を持った翼人の男性開拓者が歩み出てくる。


「始めます」


 翼人は言った。


「これから、先行した多数の開拓者たちのルートを辿り、トレースし、『帝雲』内部におけるランダムな空間移動に法則を確立、マッピングを行います!」


 そう言った翼人が手を正面に翳すと、そこに直径一メートルほどの光の球体が生まれた。

 魔力の生成が加速していくと共に、球体の内部を埋め尽くすように、陣式呪言を形成する文字列が描かれていく。


 文字は新たに生まれ、しかしすぐに解け、単なる線になったかと思ったなり、またそれが寄り集まり、やがて一つの地図を球体内に作りだしていく。


「事前のハーケン公の情報によれば、これによって確立される『異世界』へのルートは、計七つ!」


 翼人が言った。


「私たちはこれより、七班に分かれ、それぞれのルートへと侵入。──悪魔、『アグロスアグノム』の捕獲へと臨みます!」


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 鉄血山脈は、最大標高8000メートルにも及ぶ、人を一切寄せ付けない秘境中の秘境である。


 それは山として単純に険しいとか、厳しい環境が人の侵入を拒むとか、そういったこともあるにはあるが、「最前線」の開拓者たちがここを「難攻不落」と呼ぶのには、それ以外に明確な理由があった。


 未だ人類は、「この山のふもとにすらたどり着けていない」──のである。


 その主な原因は、「虚構領域」内、山脈を囲うように生い茂る、鬱蒼とした森林地帯にあった。


 すなわち、ディアンマ大森林。

 

 巨大な樹木と強大な魔獣、そして、歩くことさえ困難極まるとされる、「森林内部におけるランダムな空間移動」こそが、この場所を人外秘境たらしめる最大の要因だった。


「行くぞ」


 私は、我がギルドマスター、トワイライトの背中を見ながら。


 数十人からなる「黄昏」の精鋭たちと共に、森林地帯へと足を踏み入れていった。

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