第5話 マティーファの誤算


 》


 帰っていいと言われたからと言って、黙ってそれに従うのは、いい女のやることではない。

 ましてや未来の「大英雄」に伍する女ともなれば、なおさらだ。


「確かここ……だったわよねぇ?」


 トワイライトと別れた後。

 まだ日没まで時間があったことから、私は、「ブルーフレア」にいくつかある、王都各省庁直轄の公共機関に、挨拶回りをすることにした。


 この街にある多くのギルドにとって、特に関係が深いのは、言わずもがな街全体の任務と開拓状況を取り仕切る「統括局」である。

 しかし、「ランカーギルド」と呼ばれる、いくつかのトップギルドにとっては、主立った直轄機関と連絡を密にすることは、極めて重要な意味を持っていた。


 街の治安維持のため、睨みをきかせる「憲兵局」、流通の一切を取り仕切る「経産局」など。魔獣の討伐には直接かかわらずとも、その後背を守り、また「開拓者」たちの、家族や生活を維持させるために必要な繋がりは、枚挙に暇がない。


 今私が訪れているのも、そんな直轄機関のひとつだった。


 建物の位置関係としては、「黄昏」の拠点や統括局のある目抜き通りから、一本外れた場所にある。

 とはいえ周囲に寂れた印象はなく、通行人の数もそれなりに多い。

 行き交う魔動・電動問わない様々な様式の馬車たちは、地面をしっかりと踏み固めながら、この街の流通を支えていた。


 私が最初にやってきたのは、「情報局」と呼ばれる組織のある場所だった。

 つまりは、魔獣たちの生態・分布や、各ギルドの保有戦力、あるいは、領内の犯罪組織や物価の変動までもを念入りに調べ上げ、それを王都や各ギルドへと落としていくことを、国から任ぜられたものたちだ。

 ただ、正直、


「……うん、合ってるわ。まあ確かに大っぴらに活動するようなものではないけれど……こういうもの、ってことかしらねぇ?」


 正直、ここにある普通のアパートメントからは、「そう」であるという雰囲気は、まったく読み取れなかった。


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「こちらでお待ちください」


 そう言葉と湯呑みを残し、去っていった受付嬢の言葉通り、私は、小綺麗な家具が揃った応接間のソファの上で、おとなしく「情報局」局長の到着を待っていた。


 訪問が突然であったため、最悪今日はアポのみとも思っていたのだが、会ってくれるとのことだ。

 私が「暮れずの黄昏」の新しい代表代理だと聞いた受付嬢が、何やら不思議そうに眉をひそめていたことが、少々気にかかったが、まあ瑣末なことだろう。


 あるいは、以前までこの場所を訪れていたのがドゥーンであったがゆえ、唐突に私のような美人がきて、驚いていたのかもしれない。


 ここ「情報局」を取り仕切る局長は、ジャッジ・スワローという名の、高齢男性とのことだ。


 私は、ジャッジという男について、大陸の情報関係全てを取り仕切る諜報機関、その頭目というだけあって、食えない人物である、というイメージを抱いている。

 その男の経歴を調べてみれば、かつては王家直轄の暗部として働いていただとか、有名な暗殺者集団の頭領だったとか、真偽も定かではない情報ばかり出てくることも、その悪印象に拍車をかけていた。


 とはいえ、情報局とやりとりをして帰ってきたドゥーンが、いつも苛立った様子で「あのジジイ! 足元見やがって!」などと憤っていたのを、「ざまあ! 雑魚! 死ね!」などと心の中で煽りながら聞いていたので、正直私としては、頼もしい味方のような気分を抱いている相手でもあった。


 と、その時だ。


「──」


 私が座るソファから見て左側、廊下へと繋がる木製の扉が、コンコン、と二回叩かれた。

 私は、手にしていた湯呑みをテーブルへと置き、扉から入ってくるであろう人物に身構えを作るが、


「隙ありだドゥーンちゃーーーーーーーーーーん!」


 男にしては高い音程の言葉とともに、尋常ではない量の小麦粉が、天井から降ってきた。


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 私は、本気で土下座をする男の姿というものを、初めて見た。


「どーーーーーーーーーーーもすいませんでしたぁ! 人違いでしたぁ!」


 そう言って私に頭を下げるのは、妖魔種と見間違いそうになるほどに背の小さい、人間種の老人だった。


 白髪が少し残った禿頭に、顔には深く刻まれたしわの数々。見た目の雰囲気だけならば、日がな一日茶を飲みながら過ごしている、実家の祖母を思い出しそうになる。

 しかしやはり、「前線都市」で働く現役の官僚ということもあるのか、焦げ茶色の着流しの下に覗ける肉体は、なかなか引き締まっていそうにも見えた。


「いえいえ、突然訪問してしまったのはこちらですからぁ。悪名高いジャッジさまのご挨拶をこの身に受けることができて、光栄ですわぁ」


 ジャッジの声音と言葉のチョイスからは、微妙にふざけていそうなニュアンスを感じたが、そこを指摘しても無駄な気がひしひしとした。

 ゆえに私は、少し自信がないながら、内心の怒りをどうにか抑えつつ、にこやかな笑みで当たり障りのない言葉を紡ぐことに、努めることにしたのだ。


 今の私は、ジャッジの小麦粉シャワー攻撃によって粉まみれになったのち、最初の受付嬢に案内され、本物のシャワーを浴びてきたところだった。

 そうして身なりを整えたあと、改めて応接間に伺ったところ、この老齢男性の土下座を目撃する羽目になった、というわけだ。


 土下座をしていたジャッジは、私の言葉を受けると、そろそろと顔を上げ、


「あ、ほんと? 以外と話のわかる子ね、えーと……」


 いきなりニコリと笑い、態度を軟化させてきたことに、若干イラっとするが、やはりそれを指摘しても意味はない。


「申し遅れました。私、この度新しくギルド『暮れずの黄昏』の代表代理に着任しました、マティーファ・ギブソンと申します。以後お見知りおきを」


「あ、あーー、君がマティーファちゃんね! 知ってるよ知ってるよ、えらく強いんだって?  闘気の使える術師って珍しいよねぇ、さぞご活躍なさってるんでしょう?」


 なかなかわかってるじゃありませんの。


「いえ、それほどでもありませんわぁ。我がギルド最強のトワイライトを始めとした先輩方からは、勉強をさせていただくばかり。まだまだ精進が足りないと、思い知らされることしきりですわぁ」


「あー、ま、そうだよね。あのギルド、結成の経緯が経緯だし、古参連中と比べるとちょっとねー」


 謙遜だっつうの空気読めジジイ。おっと本音が。


「しっかし、新しい代表代理ねぇ……。ドゥーンちゃんはどうしたの?」


「ザッハークは残念ながら……ギルドを追放処分になりました」


 》


 ドゥーンのことを聞いたジャッジは、唐突に表情を消した。


「へえ」


 だがそれも一瞬、ジャッジは元通りの、人好きのする笑みを浮かべながら立ち上がり、ソファへと飛び乗るようにして腰掛けた。

 手振りでジャッジが「どうぞ」とやってきたので、私もそれに従い、対面に座る。


「理由を尋ねはしませんの?」


「べっつにー。ボクちゃんが改めて言うことでもないだろうけど、『ああいう』やつだったからねー。理由なんて山でしょ、山。て言うかアイツの行動を箇条書きしてったら、追放理由になりそうにない行動の方が少ないんじゃない?」


「あら、よくわかってらっしゃること。その様子ですと局長もあの男には、相当苦労させられたのでは?」


「あ、良ければ名前で呼んでよ。その方がお互い気安いでしょ? でも『ジーちゃん』だけはやめてね?」


「……では、ジャッジさま、と」


「んっふっふー、いいねいいね、若い子に名前で呼んでもらえる、ってのは。で、なんだっけ。ああ、ドゥーンちゃんドゥーンちゃん。そうね、結構苦労はさせられたねー。何せアイツ、ギルドの益になりそうなことだったら、手段問わず、って感じだったから。うちの職員もね、優秀な諜報員たちだけど、ドゥーンちゃんだけは苦手、って子が多くて」


「それはそれは……まあ、粗暴な男でしたからね」


 思い出したくもないことだが、ドゥーンはあの口調を、誰相手であっても変えようとしなかった。

 私も「黄昏」への加入当時は、世間知らずなお嬢さまな部分が残っていたので、随分と面食らったものだ。


「いや、それもそうだけど。みんなね、最低一回ずつは、アイツに『折られて』るから」


 ……折ら?


「それはまさか……ほ、骨を……?」


「あはは、面白いこと言うね、マティーファちゃんは」


 ジャッジはからからと好々爺じみた笑いをこぼし、そうしてから話題を元に戻した。


「で、そのドゥーンちゃんの後釜に座ったのが、キミってわけね。……ふーん、あのドゥーンちゃんが、ねぇ……ま、いいや。今日は挨拶とかかな?」


「ええ、その通りですわ。本当なら今日はアポだけと思っていたのですけれど……」


「ああー、いいよいいよ、気ぃつかわなくて。大体、情報局、って言っても、ボクちゃんは大体ここにいるし、大規模討伐の前かクーデターでも起きてなきゃ大体暇だし」


 ジャッジはそう、反応に困る冗談をこぼす。


 そして、言った。


「で? キミはいくら払える人?」


 》


「……は?」


 いくら、とは。


「は、じゃないよ。だってマティーファちゃん、ボクちゃん諜報員のトップよ? だったら最初に確認するべきことは、相手がどのくらいの財布を握っているか、ってこと。情報だってタダじゃないんだから」


 私の目の前のジャッジは、そう言った途端、先程までの好々爺じみた態度を崩し、ソファから足を投げ出し、尊大な態度を隠そうともしなくなった。


 しかしこれは、明確な法律違反だ。


 何せ情報局とは、諜報機関などと言ってはいるが、少なくともこの国では公務員としての立場を持つものたちである。

 諜報活動も情報収集も、その全ては国に尽くすため。

 ひいては大陸の魔獣討伐を円滑に進めるために興された組織こそが、情報局であり、その成果のギルドへの供出は、無料とは言わないが、一定の価格帯で行われてしかるべきである。


 それをこの男は、財布の中身によって左右する、と言い出したのだ。


「……これは、王国への背信行為では?」


「冗談言わないでよ、マティーファちゃん。ボクちゃんたちはちゃあんと、言われた仕事はやってるよ? ただ、お金があると、言われた以上の情報が出てくるかもしれないし、出てこないかもしれないなー、って言ってんの」


 同じことである。出す金額によって情報の中身が変わってくるなら、ギルドとしてはこの男に便宜を図らざるを得ない。


「……話になりませんわねぇ」


 私は意図的に表情を消し、ソファから乱暴に立ち上がる。


「お、どしたどした? 帰るの?」


「この件は、正式に憲兵局に報告させていただきます。その口ぶりですと……私の前任、ザッハークはそちらの提案に応じ、お金を払っていたのですのよね? 情報のために」


「どうだったかな?」


「であれば、ヤツも共犯であるということ。ちょうどよかったですわ、あの男にギルドからの追放程度では手ぬるいと思っていたところ。……ジャッジさま、感謝いたしますわ。あの男をブタ箱にぶち込める罪状が出てきたのは、素直に喜ばしいことです」


 それを聞いたジャッジは、口端を上げる嫌な笑みを浮かべた。


「感謝、って言うなら、ボクちゃんは見逃してくれるのかな?」


「まさか。共にブタ箱行きになるでしょう。楽しみに待っていてくださいな」


 そこまでを言って、私は踵を返し、応接間の扉へと向かい歩き出す。

 場合によっては確たる証拠が必要になるが、今や「黄昏」全権の半分は私のものなのだ。

 記録はあさり放題だし、人だっていくらでも動かせる。


 そうして部屋を出て行こうとする私の背後に、声がかけられた。


「マティーファちゃん、憲兵局に行くのは……ボクちゃんとしては、あまりオススメしないなぁ」


「今更命乞いですの?」


「いや、訴えたとして、ボクちゃんたちがブタ箱送りになる、って……本当に思ってるのかな、って」


「なりますとも」


 私は、「暮れずの黄昏」のナンバーツー、マティーファ・ギブソン。


 必要なら私の実家だって動いてくれるだろう。何も問題はない。


 何も問題は、ないのだ。


 》


「ああ、もうそんな季節ですか」


「……は?」


 情報局を出たその足で、私は即座、憲兵局の本部がある建物へと向かった。


 憲兵局は、その名が示すとおり、いわゆる自治組織だ。

 特に前線都市においては、「開拓者」相手の自治を行う、ということもあり、憲兵局の建物は、特に重要で厳重な施設として、管理がなされていた。


 具体的には、都市中央部、統括局の裏手。

 敷地内には広大な練兵場も設けられており、ギルド同士の連携訓練や、都市全体での催しごとがある際にも、この場所は使われていた。


 そんな施設の中へと、単身乗り込んだ私を、応接間で出迎えたのは、憲兵局の副長を名乗る男だった。


 しかし、私の報告を聞いた副長は、どうしたことか、余裕のある笑みを浮かべ、しみじみ、とした様子で、先の言葉を放ってきたのだ。


「……あの、副長さまぁ? 情報局がギルドに対して裏金を求めるなんて、これは明確な犯罪行為ですよねぇ? どうしてそうにこやかな態度でいられるんですぅ?」


「だってこれ、初めてじゃないですし」


「は?」


 その言葉を聞き、私は不覚にも、先ほどと同じようなリアクションを返してしまった。


「それはね、ギブソンさん。ジャッジさんなりのユーモアですよ」


 いつものことなんですよ、と副長は言う。


「あの人にも困ったものでね、この時期になると一定数、騙されてこちらへと駆け込む方がいらっしゃる。主にギルドに入ったばかりの、新人交渉担当などが、ですがね」


 そう言った副長は、唇を湿らすように、手にしていた湯呑みに口をつける。

 そうしながらこちらへと向けられた視線は、まるで雛鳥を見て心を落ち着けるような、生暖かい慈悲に溢れていた。


「いえ、あの! でも、そう言って誤魔化している可能性も、少なからずあるのではぁ?」


 そうだ。あの態度、あの表情。単なる冗談であったとは思えない。

 きっと、このように実際に憲兵局に駆け込んだ人間がいたならば、それは冗談ですよ、とあの好々爺じみた態度でお茶を濁す。

 しかしその実、ジャッジの提案に乗ったものから、実際に裏金を受け取っている、という可能性だって、大いにありうる。


 だが、それを聞いても副長は、落ち着いた笑みを崩さないままだった。


「それはないですよ。だって、情報局はもう何回も、私たちの摘発を受けてますから」


「は?」


 同じリアクションも三回目ともなると、もはや後悔も浮かんでこない。


「いえね、最初のころとか、あとはあまりにもマジくさい時とか? 割と定期的にジャッジさんの執務室と自宅と、強制捜査入ってるんですよ。そうでなくとも、あれは冗談としては悪質ですからね。実際に逮捕したりしたこともありました。でも結果は、ぜーんぶ白」


「で、でも! そんな冗談、許されることでは……」


「許されないですよ? もちろん。だからジャッジさん、憲兵局を無駄に動かした、ってことで、何回も迷惑行為で逮捕されてます。合計で言えば三年くらい牢屋で過ごしてますかねー、ははは、よくやりますよねもう若くないってのに」


 副長は、はっはっは、と朗らかな笑いを交えつつ、余裕ある笑みを崩さないまま、そこまでを話し終えた。


「まあ、つまり、なんです」


 そう言って、副長は応接間に常備されていたのであろう、麩菓子の包みをひとつ、こちらに差し出してきた。


「お疲れさまです、ってことですな」


 そう言って副長は最後に、先ほどのもとと同じ、何やら微笑ましいものを見るような視線を、私に向けてきた。


「な……な……な……」


 その副長の視線自体、私の自尊心を大きく傷つけるものだった。

 しかし今は、あの男、ジャッジに対する怒りで、私の胸の内は満たされていた。

 ゆえに私は、正常な判断が微妙にできず、


「なんですのよそれーーーーーーーーーーーー!」


 何やらギャグキャラっぽい叫びをあげ、副長の生暖かい視線を、より一層浴びせかけられることとなった。

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