第11話

 最近、雅さんの様子がおかしい気がする。

 変な行動とか普段の雅さんからは考えられない言葉が飛び出すとか、そういう事ではなくて純粋に何か思い悩んでいるような……言葉にし辛いけどそんな感じ。


 新学期が始まっておよそ一ヶ月。


 ゴールデンウィークが先週終わり、中間テストの対策を本格的に始めようという頃、麗ちゃんと勉強するためにお家にお邪魔した時にたまたま見かけた雅さんが見せた、普段人前で絶対見せないような表情とため息が頭から離れなかった。


 麗ちゃんの部屋で勉強しているときに聞いたけど、やっぱり最近の雅さんは何か考え事をしていることが多いそうだ。


「実は雅が大体何を考えているのか分かるんだけどね」

「そうなの?」

「うん。……あの顔をするのはいつもウチのこととか自分のことだから。ウチは何も言えなくてね」


 悲しそうな笑みを浮かべる麗ちゃん。


「最近は律歌ちゃんみたいに本音で話せる友達も増えて、本当に楽しそうにしていたんだけど。先週まで久しぶりにお仕事に行ってきたでしょう? きっとその時何か感じることがあったんじゃないかな」


 結論から言えば麗ちゃんが語ってくれたこの予想はほぼ当たっていた。

 この時はまだ、どれだけ雅さんの精神が泥沼の奥底に沈んでいたか分かっていなかった。

 でももし知っていたとしても、実際に私が決意したように雅さんの力になりたいと思ったはずだ。

 だって、雅さんである雨野みやびさんは、私のだれよりも憧れで目標の人だから。

 そんな人が悩んでいるところを見過ごしたりできるはずが無い。


「ねぇ、麗ちゃん。私雅さんの力になりたいんだけどどうしたらいい?」

「律歌ちゃんが?」

「うん。二人の事情はよく知らないけど、麗ちゃんが雅さんに守られていることも、対等に支え合いたいって思ってることもなんとなく分かる。今の麗ちゃんがいくら心配してても雅さんに声をかけづらい事も」


 麗ちゃんはしばらく考え込んでいた。


「……たしかに、いくら心配してもウチが何もできないのはその通りだよ。うん、律歌ちゃんならきっと雅の、ウチらの悩みを解決してくれると思う。だから手伝ってくれると嬉しい」

「もちろん。ありがとう」

「こちらこそだよ」


 私達は微笑んで、麗ちゃんから雅さんに関すること、家族のことをあれこれ聞いた。

 その過程で、何度も何度も、繰り返し聞いて気分の良いものではないけど本当に良いかという聞き方をむしろ麗ちゃんからされた。

 私は雅さんの力になりないっていうただそれだけで頷いたけど、正直麗ちゃんが私を信頼してるから話してくれるんだと改めて実感するくらい人に聞かせる話ではなかった。


「…………」

「ごめんね、嫌なこと聞かせて。でもお悔やみはいらないよ」

「……わかった。大丈夫じゃないけど……私が頼んだ事だから。正直想像以上だし、言葉にならない」

「ウチはまだいいの。ちょっと人とズレてるから。でも雅はそうじゃない」


 麗ちゃんの言った、「自分がズレている」という言葉も気になる。でも悪いけど今考えるべきは雅さんだ。


「わかった。話してくれてありがとう。……ちょっとすぐに整理するのは難しそうだから、少し考える時間がほしいかな」


 精神的にも時間がほしい気分。


 私が考えていた以上に、この姉妹は茨の道を進んできていたんだ。


「ウチと雅にとって、お父さんお母さんが死んでることはそんなに重要じゃないんだ。怨みと悲しみは乗り越えたから。今はウチのこと、雅自身のことで迷ってるんだと思う」

「……そうなんだ」


 そう答えることしか出来なかった。


 *


 翌日。

 お昼休みになった直後、私は教室を飛び出して一つ上のフロアにある雅さんの教室を訪ねていた。


「雅さん、一緒にお昼にしませんか?」

「……いいよ。どこにしよっか?」


 雅さんは少し悩んだ素振りを見せたあと、お弁当の入った可愛らしい桜色の包みを取り出して立ち上がった。


「ついてきてください」


 そう言って先導しながら五階へ向かう。

 校舎の最上階には集会や発表会が行われる講堂がある。その裏手にいくつかある控室の一つに私と雅さんは入った。


 普段は施錠してあって申請しても使えないけれど、二年三組担当の愛瀬めぐみ先生にお願いしたところ二つ返事で鍵を渡してくれた。


 ……めぐみ先生ことめぐみん先生は、結構前からひさかべちゃんのファンで、実は握手会とかで何度も言葉を交わしていた。

 だからこの姿で会ったときの先生の驚きようは私もびっくりしたし、なんとかプライドでギリギリ推しの存在に耐えていた先生に私が先生のことを覚えてますよ。ってリップサービスするつもりもなく無意識に話したところ、目の前で嬉し泣きしながら失神されて死ぬほど驚いた。


 地味子時代にも何度もすれ違っていたのに。

 幸い気付かれることはなく、先生の認識では全ての生徒と同じく高校から入学したという事になっていると思う。


「わざわざありがとうございます」

「これくらいなんでもないよ。……それで、用っていうのはわたしの様子のことかな」

「どうして分かったんですか!?」

「わたしね、自分の感情をコントロールして演技のとにに自然な仕草になるようにしてるの。だから自分の考えや感情は理解しているし、その様子を二人が心配してくれて色々と相談してたのも知ってる」


 じゃあ、と言いかけた私を手で制して雅さんは言葉を続けた。

 それは気にかけてくれたことへのお礼でも、心配させないための虚勢でもなく、きっぱりとした拒絶。

 取り付く島もないような、本気の言葉。


「だからあえて言うけど、これ以上わたしの心配はしないでほしい。わたしはこれまでも問題は自分で解決してきたし、実際にそれで問題なかった」

「でもっ! でも私は雅さんの事をもっと知りたいんです……」

「……っ!」

「もっと雅さんの趣味とか好きなことを知りたいんです。雅さんの考えてることを分かりたいんです。……雅さんの背負ってる重い荷物を一緒に持ってあげたいんです」


 雅さんの目に動揺が浮かぶ。


「私は雅さんのことが昔から大好きです。尊敬してます。そんな人が苦しんでるのを見て放っておけないんです!」

「……相当なもの好きだね」

「雅さんじゃなかったらこんな風に思うことはありません!!」


 思わず大きな声が出た。


「雅さんは今までずっと、解決じゃなくて先延ばしにして目を逸らし続けてきただけなんじゃないんですか!?」

「……それは」

「雅さんはそんな自分が嫌でどうかしてしまいそうなんでしょう? 自分のことがよく分からないんでしょう? 私がそばにいて雅さんの自分探しと悩みを解決するのを手伝います」

「……」


 いいですね! という力強い念押しに、思わず……といった様子で雅さんはこくんと頷いてくれた。

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