第32話小さい事件大きい事件

「ただいまぁ。

 せりかさぁぁんっっ!」

 玄関で靴を脱ぐのももどかしく、リビングに駆け込んだ。


「いろんな事があった!」

 乾ききっていない髪。

 見たことないスウェット。

 せりかさんの目も大きく見開かれる。

「……。そうみたいねぇ。

 LINEもらったからお風呂用意しておいたわよ」



 ###


「ただいま」

 いつものように寮の玄関を開けると、夕飯の支度をするいい匂いが鼻腔びこうに届く。

 食事当番はほぼカイリ。

 イチはもちろんジュニアも、インスタントラーメンすら作れるか怪しい。


 ショッピングモールからはタクシーで、間宮家を経由してここまで送ってもらった。

 まぁ、多少なりスーツ(総合マネージャーとか言ってたか?)を脅したが。


「おっ帰りぃ。いいい?

 えっと。とりあえず、そのクソダサいジャージにツッコミ入れといた方がいい?」

 リビングのローテーブルに怪しげな部品を拡げたまま、ジュニアがかなり引いた目を向けてくる。


「おかげさまでいろいろありすぎて。

 噴水で水浴びまでしてきたよ。

 風呂入れる?」

「今沸かすよ」

 キッチンの中でカイリが動く音がして、湯はりのメッセージが流れる。


「シャワーでいいや。

 ……ジュニア。

 タイミング作ってくれて助かった。ちゃんと和解してきたから」

 リビングを抜けざまに声を掛ける。


「ふーん」

 浴室に抜けるイチを見送って、カイリがキッチンから出てきた。


「和解ってカエか?」

「でしょ。

 お。サーモンマリネっ!」


 大きな身体に不釣り合いな、可愛らしい青いチェックのエプロンをしたカイリが腕にかかえるボウルの中からつまみ食い。

「んー。

 玉ねぎ辛ぁいっ。鼻がっ」

「そうか?」



 ###


 お風呂から出てくるとご飯を作るいい匂いと、せりかさんの話し声。

 電話を切ったせりかさんがエプロンを外しながら振り返った。


「今日は巽くん帰れないんだって。

 お泊りセット置いてくるからちょっと待ってて」

「あっ。あたし行くよ。

 せりかさん。ご飯の用意あるでしょう?」

 濡れた髪にかけたタオルを外す。


「んー。

 じゃあお願いしちゃおうかな」



 せりかさんが巽さんの着替えを用意をしている間に、あたしも部屋着からロンTとジーンズに着替えて、髪を乾かす。


 手提げ袋を受け取り、玄関から暗くなった空を見上げた。

 1番星と、高く上がる細い月が輝いて見える。

 うん。ロンT1枚でもそんなに寒くないなぁ。


 森稜署まではゆっくり歩いても30分かからない。明るい大通りをお散歩気分で進んで行く。


 見慣れた署の入り口。

 エレベーターに乗り刑事課のある3階のボタンをポチリ。


「香絵ちゃん?」

 エレベーターを降りると、たむたむと鉢合わせた。

「あれ。出戻り?」


「やめてくれ」

 そんな心底嫌そうな顔しないでよ。


「移動になる前に解決しなかったヤマに決着がついたって、前に間宮課長から連絡もらってたんだけど、なかなか調書を見にこれなくて。

 気になる1件だったからスッキリしておきたくてさ」

 ちょっと肩の荷が降りたようなたむたむの顔が、フッと思案する。


「そうだ、香絵ちゃんさ。友達にパソコンにすごく詳しい男の子いたよね?」

 心なしかたむたむは声を潜めた。


 機械に強いと言えば。

「ジュニア?」

「その。

 パスワードのわからないパソコンを開いたりとか、データ引っ張り出したりする事出来るのかなぁ。なんて」


 多分1分もかからないでやっちゃうけど。

「なんか挙動不審。理由を述べよ」

 ビシッとたむたむを指差す。

「いや。捜一の榎本課長なんだけど、今病欠しててさ。

 課長も帳場に参加してたから、課長のパソコンに捜査資料が入てて。どうにもならなくて、本当参ってるんだよ」


 あの一件が頭をよぎる。

 榎本課長。〈おじいさま〉のところで拘束されてるんだろうな。

 病欠あつかいにしてるんだ……。


「……あれ。たむたむ今何の帳場に入ってるの?

 製薬会社の爆破事件には絡んでないって言ってたじゃない」

「ああ。住宅街でおばあちゃんが強盗殺人にあっちゃってね。その捜査」


 え……。


「ただの強盗殺人?

 取られた額が超高額とか?」

「いや。下手したら30万にも満たない。

 事件を大きい小さいに分類するのは良くないと思うけど。

 香絵ちゃんもおかしいと思う?」

 ひそめていた声をさらにひそめてくる。


 捜一の課長クラスが下町の、正直こんな小さいヤマに参加するなんて。なんか変。


「いつの話し?」

「発生?

 6月4日だよ。土曜日の朝」

 6月4日? 製薬会社に爆弾が運び込まれた日だ。

「榎本課長って最初から現場に出てたの?」


 ちょっと食いつきのいいあたしの様子に不思議な顔を向ける。


「うん。一報が入ってからずっと」

「当日途中で抜けたりしなかった?

 午後3時前後くらい」


「いや。ずっと俺と組んで聞き込みしてたから。1日中一緒だったよ」


 なんだ? すごい引っかかる。

 課長が関わるようなクラスでない現場。

 しかもそれが爆弾の運び込まれた日。

 わざと現場に出た?

 なんで?

 アリバイ。

 たむたむとずっと一緒だった。

 爆弾。


 ……。捨て駒なのは分かってたんだ。

 榎本課長の最後の言葉。


 爆弾の運び入れをしたくなかったから、タイミングよく一報が入った現場に食いついて、自分の身動きを取れなくしたんじゃ……!


「たむたむ。ありがとう!

 データどうにかなるかも。近いうちに捜一に電話するからっ!」


 今降りたばかりのエレベーターの下ボタンを押す。

「ああ。って香絵ちゃん。間宮課長に用事があって来たんじゃないの?

 今会議に入ってるけど」


「あっ。お泊まりセット。

 エレベーター止めておいてっ。すぐ置いてくるから」

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