35話 : 於大の方

 産まれて、自分である程度考えることが出来た頃から私の結婚相手は決まっていた。

『結婚』という名を被った体のいい人質みたいなものでもあった。父親は……何を言っているのかすら覚えていないが、喜んだ。兄たちもそれが正義だと信じて私を送り出した。

 確かに、松平の家に行って邪険にされたり、何か虐められたりすることは全く無かった。当主の正室。その地位は随一だった。


 結婚して2年後に子供を産んだ。名前を決めてもいいと言われたので千の竹にも代わるほど大きく、頼られる人間になるようにと竹千代と名付けた。我が子という自分の分身と言っても過言ではない存在が生まれたことで、私の心の穴は竹千代で埋まった。乳母たちを押しのけて、私が竹千代の世話をした。

 私に政治は分からない。というより、勉強したことがない。必要ないからだ。私が知っているのは自分の住んでいるところの周りの地理と、せいぜい周り一国の主要領主の当主の名前くらい。

 それも全てお父様やお兄様が話していたことをたまたま聞いて知ったことだ。


 そして、竹千代を産んだ1年後。松平と離縁した。原因はよく分からないが、お父様が死んで新しく当主になったお兄様が政の方針を転換したらしい。

 まだカタコトしか喋れないと言っても、私の心を埋めていた存在との別れは、予想以上の傷を私に負わせた。

「大……婚姻をまた受けてみる気は無いか?」


 竹千代との別れから2年ほど経ったあと。お兄様がそう私に言ってきた。

 元より他の男に1度身を預けた身分だ。再び婚姻することに躊躇いはない。婚姻相手は実質的なお兄様の家臣だった。

 しかし、私が松平と離縁してから脳にいつもチラつくのは竹千代の顔。再婚してからも竹千代の顔。竹千代が4歳の時、文字が書けるようになったと手紙が来た。5歳の時、松平当主が病に倒れたと手紙が来た。6歳の時、織田に人質に取られたと手紙が来た。その度に私は自身の日常や起こっていること、そんな事を書いていた。しかし、それでも6歳の時の手紙には困惑した。しかし、同時に会えるかもしれない。そうも思った。

 すると、20日後に織田と松平が同盟したことを知った。またもや困惑した。

 今も困惑している。




「えー、だからさあ何で分かってくれないの?」

「例え貴様が織田信長様だとしても、ここを通すのは事前にお知らせ下されば……」

「アポ取りい?面倒臭いからさ、ほらそらほらそら。門を開けてくれ」

 表で声が聞こえる。警備の者と口論をしている様子だったが、少しして諦めたされたようですぐに声が聞こえなくなった。


「何だったのでしょうか?」

「……っと、どうもこんにちはあ。織田信長でーす」

「え!?」

 突然私室の襖が開かれる。驚いていると、脇から一人の子供が現れた。

「お母様!」

「た、竹千代!?」

 この1分ほどの周りの動静で私の頭はついて行かない。しかし目の前に現れた子供が竹千代であることは一発でわかった。動悸がする。拍動が増す。

「何で……何でこの場所が?」

「恒興っていううちの家臣が把握してました。部屋の場所は竹千代が手紙の内容から推測しました」

「あなたは……?」

「はいはーい。俺織田信長で、こちらは俺の重臣磯貝拓海。外で『罰を受けたくない』って怯えながら外で待ってるのが池田恒興。」

 塀をよじって上がってきたようだ。服には土跡がいくつか付いている。


「竹千代……お元気でしたか?」

「はい!元気です!お母様は?」

「お母様は──元気になったよ」

 この数年の思いが全て吹っ切れた。 竹千代の顔を見るのは数年ぶり……再婚してからは初めてだった。確か、さすがに私の元気が無さすぎて、離縁した後一度だけ会わせてもらったんだったか。

 竹千代は最後に会った時、2年前と変わらぬ屈託のない笑顔で、正直な童心で私を迎えてきてくれた。


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1ー2章終了です。ここまでお読み頂きありがとうございます。

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