第30話 実らせてくれませんか


 遊園地内に入場した私達は、ジェットコースターを始めとするアトラクションを次々と巡り、グッズやお土産などの可愛らしい店内もたくさん二人で見て回った。


 マスコットキャラの着ぐるみと一緒に写真を撮ったり、嫌がる綾人くんの頭にウサ耳のカチューシャを嵌めてみたり、せっかく貰った風船がうっかり飛んで行っちゃったり。


 その度に二人で笑い合って、なんだかまるで本当の恋人同士みたい。



(……まあ、恋人同士じゃ、ないんだけど……)



 そんな虚しい現実は見て見ぬフリをして、すっかり日の暮れた空を仰ぐ。結局遊園地というものは、時間のほとんどを行列に並ぶ事に費やすばかりで大した数のアトラクションには乗れないものだ。



「……さっきのお化け屋敷、怖かったね」



 隣でぼんやりしている綾人くんに語りかければ、彼はハッと我に返って「あ、ああ……まあまあかな……」とぎこちなく答える。けれどそれは嘘だとすぐに分かった。意外とオバケに怖がっていた事を、私は知っている。



「綾人くん、実は結構オバケ苦手でしょ」


「……いや、そんな事ない」


「ふふ、今ちょっとだけ間があったよ?」


「……。暗いのは、少し苦手」



 しばしの間を置いて、綾人くんはぼそりと告げた。

 どこか遠くを見ている彼の視線の先には、まだ一度も乗っていない観覧車が電飾をまとってゆっくりと回っている。


 その時ふと、私は雷蔵くんの言葉を思い出した。



『──ああ見えてアヤヤ、狭いとことか暗いとこに長時間いると過呼吸起こしたり、体調崩したりする繊細なヤツやけんさ〜』



 ……そうだ。

 綾人くん、暗い所と狭い所が苦手なんだった。



「ご、ごめん、綾人くん! お化け屋敷、ちょっと暗かったよね……ごめんね」


「……ううん。入る前は焦ったけど、六藤さんが居たらわりと暗くても平気だったよ。……今なら観覧車アレも乗れるかもしんない」



 ふ、と笑った綾人くんは目を細め、遠くの観覧車を見つめる。赤から青、青から緑。次々と色を変える電飾の明かりは、星の見えない空の下で一層まばゆく煌めいていた。



「……俺さ、小学生の時に、オバケになった事あんの」



 観覧車の明かりを見つめていた矢先、不意に綾人くんが口を開く。一瞬意味が分からず言葉を詰まらせ、程なくして「オバケの役って事……?」と問えば、彼は「違うよ」と微笑んだ。



「勝手にオバケ扱いされたの。知らない女の子に」


「……?」


「俺、小学生の時、バスケ部だった。でもチビで下手くそだったから、ずっと先輩達に虐められててさ」



 遠くを見ながらぽつぽつと、綾人くんは語る。



「それで、多分十歳の時……他校で練習試合があって。俺達のチームはその試合に負けたんだよ。俺はその日の試合メンバーじゃなかったけど、その時の部長が嫌なやつで、なぜか俺に八つ当たりしてきて……」


「……」


「そのまま、知らない小学校の体育館倉庫ん中に、無理矢理閉じ込められた」



 小学校、体育館、バスケ部の練習試合──それらのワードを組み合わせる中で、覚えのある出来事が私の記憶のドアを叩く。


 あれ? と私は眉をひそめた。



「アイツらはほんのイタズラのつもりだったのかもしれないけど、真っ暗で狭くて誰もいなくて、もう二度と出られないんじゃないかと思って……すげー怖くて、ずっと泣いてた」


「……」


「でも、それからしばらく経った後、泣き疲れた俺の耳に何人かの子どもの声が聞こえてきてさ。誰かが体育館に入ってきたんだと思って、掠れた声で必死に『助けて』って呼び掛けたの」



 ──でもそれが怖かったみたいで、そいつらは悲鳴上げてどっかに逃げてっちゃって。


 そう続いた彼の言葉に、私の脳裏にはとうとう鮮明に記憶が戻り始める。体育館倉庫、オバケ、悲鳴を上げて戻ってきた子ども──知ってる。全て覚えがある。


 土曜日の、バスケ部の練習試合が終わった後の体育館。

 お兄ちゃん達が勝手にそこに入って、オバケがいるって騒いで戻ってきて。やめろと止めるお兄ちゃんの制止を振り切って、私は興味津々に胸を踊らせたのだ。



『大丈夫だよ、だって泣いてるんでしょ? きっとお腹すいてるんだよ! オバケ、レモンの飴玉好きかなあ……私、ちょっと会ってくる!』



 無邪気に発した己の声が、はっきりと脳裏に蘇った。



「あいつらに逃げられた後、もうダメだって諦めた。このまま一生閉じ込められるんだと思って、また俺は一人で泣いてさ。でも、その時──今度は後ろから、知らない女の子の声が聞こえた」


「……ねえ、待って……」


「元々空いてたっぽい壁の穴ぶち破って、倉庫の中に入ってきたみたいで。びっくりして固まってる俺に、その子は『こんにちは、オバケさん』って笑ったの。それで──」



 綾人くんはそこまで言いさして、一度言葉を切るとおもむろに私へ視線を戻す。愛おしげに目を細め、優しく微笑んだ彼の瞳には、困惑した表情で固まる私の顔が映っていた。



「──俺の手のひらいっぱいに、檸檬の飴玉をくれた。『お腹すいてるんでしょ』って笑ってた。その時、俺、初めて恋を知ったんだと思う。カバンに〝むとう ゆい〟って名札つけた……君に、恋をしたんだと思う」



 綾人くんは私の目を見つめたまま、徐々に尻すぼみになる声を紡ぐ。夜だというのにその頬が真っ赤に染まっているのを、私の目ははっきりと捉えていた。



「……俺、あの時、泣きじゃくるばっかりで自分の名前も名乗れなかった。中学に上がって六藤さんを見付けた時、本当はすげー嬉しかったのに……クラス違うし、きっと俺の事なんか覚えてないだろうし、話しかける勇気もなくて……。だから毎日、陸上の練習してる六藤さんを見てる事しか出来なかった」


「……っ」


「中三で初めて同じクラスになって、隣の席になって、だけどそれでもいつまでも距離が縮まらなくて……だから俺、あんなバカみたいな提案したの。『恋愛が分からないから練習しよう』って、真っ赤な嘘ついて」



 罪の告白でもするように、彼はバツの悪そうな顔で過去を語る。冬が近い事を告げる冷たい風は足元の木の葉を連れて吹き抜けていった。



「……俺、卒業式の日、六藤さんに全部伝えて告白しようと思った。ベタだけど、第二ボタンだけでも貰ってもらいたくて……誰にも渡さず自分で持ってた。……でも、結局告白なんて出来なかった」


「……」


「卒業式の後、校門のとこで、六藤さんを見付けた時……俺、偶然聞いちゃったんだよ。『檸檬なんか好きじゃない』って、六藤さんが友達と話してるとこ」



 切なげに言葉を続けられて、眠っていた記憶の蓋がぱかりと開く。


『私、檸檬なんか好きじゃないから……!』


 そんな言葉を友人に吐いた、あの日の自分の姿が蘇った。



 そうだ、十年前。卒業式の後。


 私は綾人くんを探していた。きっと彼はモテるから女の子へのボタンの讓渡で忙しいのだろうと考えながら、少し複雑な思いを抱えて、最後に一言ぐらい何らかの言葉を交わそうと門の外でずっと待っていたのだ。


 けれど彼が現れるより先に、友人が私を取り囲んだ。『武藤くんの第二ボタンは貰ったのか』と、楽しそうに頬を緩ませて。



『──結衣ってさあ、武藤くんの事いつも意識してたでしょ? 第二ボタン貰った?』


『……え!? わ、私、武藤くんの事なんて意識してないよ! 』


『またまた〜』


『高校離れちゃうし、今日で無糖シュガーレス夫婦も見納めか〜』


『寂しくなるね〜』


『告白とかしないの?』



 ニヤニヤと含みを持った笑顔で迫る、楽しげな友人達。

 シュガーレス夫婦なんて、もう呼ばれ慣れているはずだった。武藤くんとの関係をからかわれても、以前は笑って受け流せたはずだった。


 けれど自分の気持ちを中途半端に自覚しかけていた当時の私は、彼女達の揶揄やゆに強烈な羞恥心を覚えてしまって。


 そして、咄嗟に声を張ったのだ。



『わ、私っ……武藤くんの事は何とも思ってない! 全っ然興味ない!!』



 口をついたのは真っ赤な嘘。

 想定外の声量で言葉にしたそれは、ぽかんとする友人達の耳へまっすぐと注がれた。


 彼女達は硬直していたが、羞恥によってパニックになった私の言葉は止まることなく紡がれていく。



『た、ただ、出席番号と名前が同じなだけだよ!? そんな事で恋愛対象として意識するわけないじゃん! それにほら、武藤くんってモテるし……私なんか見てくれないよ! ないない、絶対ない!』


『え……でも……』


『とにかく、私が武藤くんから第二ボタン貰うとか絶対ない! 有り得ない! それに、私……本当は嫌いだもん……! ずっと、言えなかっただけで……!』



 ──私、檸檬なんか好きじゃないから……!



 あの時、勢いに任せて口走った言葉。まだ花開く気配もない桜並木の門前で、私はそんな嘘を叫んでいた。


 あの日、君は──それをどこかで聞いていたのだろうか。



「……俺、あの時、完全にフラれたと思った。昔俺を救ってくれた檸檬の飴玉も、本当は嫌いだったって聞いて……全部拒絶された気がした」


「……っ」


「だから、六藤さんに気付かれないようにそっと横を素通りして、学校から離れた。それから先は、なんかヤケになって……女に言い寄られても、来る者拒まずで断らなくなったの。誰でもいいから付き合って、少しでも六藤さんを忘れたかったんだと思う」



 結局忘れられなかったけどね、と自嘲的に笑った彼は、私の肩を抱いて引き寄せる。されるがまま腕の中に閉じ込められた私は、息を呑んで目を見張った。



「……みんな、初恋は実らないって笑ったし、俺らの事を無糖シュガーレスって呼んでたろ。……でも、俺にはずっと、六藤さんとの時間が甘くて仕方なかった」


「……あ、綾人、く……」


「ねえ、六藤さん……十年引きずった俺のわがまま、聞いてくれる? ……聞いてよ、お願い……」



 縋るように抱き寄せて、彼は小さく言葉を紡ぐ。


 そろそろ園内では恒例のパレードが始まるとあって、道行く人の数は少なかった。それでもベンチの上で抱き合う私達にはいくつかの視線が向けられていて、少し恥ずかしいなと頬に熱が集まる。


 けれど、不思議と彼の胸を押し返そうとは思えなかった。「なあに……?」と耳元で問えば、綾人くんは続ける。



「……俺と、あの観覧車、乗って欲しい」


「え……? で、でも、綾人くん、狭いの苦手じゃ……」


「うん、苦手。でも、今なら克服出来そうな気がすんの。……それで、もし、俺が弱音吐かずに最後まで乗れたらさ……」



 綾人くんはおもむろに体を離し、私の目を見つめる。真剣な表情で、けれどどこか自信なさげに、彼は私に告げた。



「──俺の初恋、実らせてくれませんか」



 実質上の告白が、私の心を震わせて。世界の動きはぴたりと止まり、まるで地球にふたりぼっちになったみたいに全ての景色が視界から消える。


 私は数秒黙り込んで、やがて無意識に頬を緩ませていた。

 素直に、嬉しかった。愛おしかった。


 いつまでも未熟で青いまま、決して実る事はないのだろうと思っていたこの感情は、〝不良品〟なんかじゃなかったのだと──君がこうして伝えてくれている事実が、たまらなく嬉しくて。


 不安そうに見つめる綾人くんに、私は頷いた。



「……うん。いいよ」


「……!」


「今度こそ、私も……」



 ──ちゃんと、素直に自分の気持ちを伝えるから。



 耳打ちして、彼の唇に一瞬だけ触れる。

 私から口付ける事などついぞないせいか、綾人くんはたちまち硬直して目を見開いた。


 みるみると赤く染まるその顔につられて、私まで顔が熱くなる。



「……っ、む、六藤さん……不意打ち、良くない……」


「……自分だって、いつも不意打ちのくせに」


「やばい、俺、いま感情が渋滞起こしてて、頭の中意味わかんない事になってる……」


「じゃあ、観覧車諦めるの?」


「嫌だ! 絶対乗る!」



 綾人くんはかぶりを振り、即答して立ち上がった。「俺、観覧車のチケット買ってくるね!」と告げた彼は私にカバンを預け、財布だけを持ってその場を離れていく。



「すぐ戻るから! そこで待ってて!」


「う、うん!」



 キャップを深く被り直し、少し先にあるチケット売り場へと駆けていく彼。

 もうすぐパレードが始まるという事もあり、チケット売り場はさほど混んでいないはずだ。おそらく五分ほどで帰ってくるのだろう。彼の背を見送った私は、冷えた両手をきゅっと握り合わせた。



 ──俺の初恋、実らせてくれませんか。



 今しがた告げられた言葉を思い出し、とくりとくりと胸が高鳴る。



「……私の初恋も、今から、実るんだ……」



 ふにゃり、無意識に緩む口元。

 二人の初恋は今から実る──その時は、本当にそう考えていた。


 彼と観覧車に乗って、きっとそのまま告白されて、長年引きずり続けた二人の初恋がようやく身を結ぶのだろうと。そう信じて疑わなかった。



 けれど、その後、何十分待っても──



 綾人くんは、私の元へは戻ってこなかった。


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