永谷未世の場合

 彼女の主は口が悪い。足癖も悪い。そして何より、諦めが悪い。


――そんな女は、現代に必要とされていない。


 きっと主もわかっているのだ。けれど彼女は彼女の生き方を止めようとはしない。それが眩しく、とても美しいと未世は思っている。自分には到底できない生き方であり、だからこそ羨む気持ちもある。


「縁談がきたの」


 鬱陶しいと言いたげに、主――真咲は汚物でも触るかのように手紙をつまんだ。

「今勢いに乗っている若手企業ですって。古いウチとは相性が悪いのではないかしら」

 手のひらに顎をのせた彼女は文句をつける。

 伏せられた睫毛が物憂げに揺れて、下に隠れていた黒の瞳が露になる。

「ね、そう思うでしょ?未世」

 同調を求める声に、未世は顎を引くようにうなずき、肯定する。

「そうでございますね」

 そう言って、いつも通り笑って見せる。


――そう、いつも通りに。


 悟られるな。悟らせるな。

 いつも通りに振舞わなくては変に思われてしまう。


――真咲様に縁談なんて、言葉を聞いただけで気が狂いそうになる。


 そんな感情は隠さねば。隠して、隠し通して、墓場まで持って行かねば。

 そうしないと真咲にも異端扱いされる。そうしないと主である真咲が風評被害を被ることになってしまう。


――それだけは避けないといけない。


 真咲は、未世の総てなのだ。彼女の存在が未世を形作っている。彼女がいるから未世は今この世に存在しているようなもので、彼女がいなければ自分がこの世にいる理由さえわからない。それほどに、未世の中で真咲の存在は大きい。


 未世は真咲付きの侍女だ。主従の間柄ではあるが、この二人は傍目から見たら姉妹と勘違いされるほどに仲睦まじい。ときにそれが要因となり陰口をたたかれることもあるが、真咲は堂々と胸を張って皆の前に立つ。

 そんな主が、とても誇らしく――とても、遠い。


「私はどうして女に生まれてしまったのかしらね」


 縁側で、彼女はつぶやいた。

 彼女にしては珍しい弱音の言葉だった。


「私は、男に生まれたかった。そしたら……この家だって私が継げたし、それに……未世とも、結婚できたのに」


 茶化すような口調だった。


 茶化すことでしか口にできない言葉だった。

 そんなことはわかっていた。だが未世の胸中は荒れた。


「やめてください」


 そんなことを冗談で言うのは。

 そんな「もしも」の希望を謳うのは。

 そんな、今の「真咲じぶん」を否定するようなことを言うのは。


「真咲様は、真咲様です。女で、だけどそこいらの男の方よりよっぽど格好いい人が真咲様なんです。私の憧れた、私が好きな真咲様なんです」


 耳まで真っ赤にしながら、未世は言った。

 真咲の手が未世の手を包み込む。柔らかな触感と未世よりも低い体温とが、未世の涙腺を刺激した。


 とくん、と一際ひときわ大きく胸が跳ねた。


「ありがと」

 クスクスと主は上品に笑う。下がった眉が、細められた瞳が、優しく弧を描いた唇が――全てが、今この瞬間だけは未世だけに向けられている。

 嬉しさやら罪悪感やら羞恥心やらに駆られる未世の視界に、目を陰らせた主が映る。思いとどまったような顔をした真咲の指が離れていく。許されない想いを再び心の奥底にしまうかのように、真咲も未世も前を向く。


――ああ、心が苦しい。


 伝えても、想いを確かめあっていても、どうにもできない。どうにもならない。

 なんの関係にもなれない。


 報われないこの両片想いは、決して両想いになることはない。することはできない。してはいけない。


──早くこの命が尽きればいいのに。


 そうしたら誰の目を気にすることもなくあなたの傍に居られるのに。けれど目が合わないなら、私のために声をかけて貰えないのなら、死んでも虚しいだけかもしれない。


──どちらの方が、心が楽になるのだろう。


 答えの出ない問いを胸に沈め、未世は唇に笑みを灯す。


「真咲様を大切にしてくださる方がお相手であることを、祈っております」


 未世はささやく。

 縁側に伸びていた指先が触れ、どちらともなく指を絡め合った。

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