彼思う、故に我あり

@FUMI_SATSUKIME

概念の消えた世界で何を思うか

 どうやら、概念は忽然と姿をくらませてしまったらしい。物事を形作る枠組みは消え去り、ただ広い空間には混沌が広がる。白い、どこまで行っても白い世界にはぼんやりとかつての物体が転がっていた。それらはもはや物体としての形を成してはいない。遠くから聞こえる音さえも、くぐもった音階の定かでない曖昧なものだった。

 この混沌の中で、私はいまだ概念を持ち続けている。そう思うに足るいくつもの証拠がここにあるのだ。

まず、私は〝私〟を認識できている。瞼(といっても、もはやそれは形を成していない)の裏に〝私〟を描くこともできる。この声も慣れ親しんだ己のものである。

さらに、私はここにおいても概念を通じて思考をすることができている。

人間の思考は、様々なプロセスを要する。対象を見聞きし、五感で感じとる。そうして、その感覚に名を付ける。熱から皮膚が溶けることを火傷といい、二つの羽で空を飛ぶ生物を鳥といい、体の底から湧きあがる興奮を歓喜という。その名前がなければ、私たちは感覚を受け入れはすれど、認識することはできない。その認識を経て、万物の霊長としてふさわしいあの高度な思考がなされるのだ。認識のための絶対条件である名付けは、その事象を概念として縛り上げ、拘束する。名付けなしには認識がなされず、認識なしには思考がなされない。考えるという一見単純な行動には、様々な要素がいりこんでいる。私が思考をしているということが、概念を所有することを証明するのである。

 しかし、概念は消え失せてしまった。正確に言えば、私以外のもの、現象、その他のすべてが概念を持ち合せてはいないのだ。この世界を認識しているのは私一人。ここに生命はあれど、それらはなんの働きもしてはいないのである。ここを長らく眺めてもみたが、これらが生物と呼ぶにふさわしい働きを示したことはない。食事もせず、睡眠もとらず、さらには己の子孫を残すことすらしない。昼夜のような時間の概念すらない世界には生命の維持など不要なのか。個という認識すらも融合した世界には、子孫繁栄など無意味なものなのだろうか。概念の消滅とともに個の存在意義さえも消え失せてしまったように思える。もっとも、この疑問に答えられるものは、いない。

 どこを見渡しても人影はない。大声で呼びかけても、返ってくるのは不気味な耳鳴りにも似た雑音だけだった。本当に、世界からは概念が抜け落ちてしまったのか。眼前の白い靄を、私は呆然と、またじっと見つめた。その向こうには何もない。概念が抜け落ちてしまったという仮説に、確信を強める。それでも、その消失の理由、行く末、などの一切の事情がわかるはずもない。

ともすると、その集合体として最たるものである人間は、一体どこへいってしまったのだろうか。……この広い空間に皆無などということはあるまい。私がここにいるということと同じように他にも人間がいるはずである。・・・いや、いるに違いない!

私は彼らを探さなければならない。出会ってこの不遇を嘆きあわなければならない。そうして、溜め込んだ毒をすっかり吐き出し、そのあとで解決策を考えねばならないのである。ぐずぐずはしていられない。私は今から、この暗澹とした純白の世界に足を踏み出すのだ。

はじめに足に触れた白は固く流動的であった。私の中で地という概念が揺らいだ。

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