(2)

「せっかく食料を持ってきてもらったというのに、茶の一杯も出せずに申し訳ない」


 行燈に火を入れて、向かい合うように座った佐倉が、まるで申し訳なさを感じていないような無表情と淡々とした声音で謝罪を口にする横で、


「いっただっきま~す」

 と、元気いっぱいに、若い男が持参したおにぎりに食らいつくすずめ丸。

 若い男が持参したのは、おにぎりと沢庵だった。


「いや、こちらに相談事をするのであれば、手軽に食べられるおにぎりを持参すると良いと聞いたからなんだが……」

「実際、とても助かった。ちょうど今、何か食べに行こうかと話していたところだったのだ」

「うわっ。このおにぎりの塩加減最高! 何? これあんたが作ったのか?」

「い、いや。千歳(ちとせ)町にある《あかね屋》に頼んで作ってもらって来たんだ」

「《あかね屋》? なんか聞いたことがあるな」


 もぐもぐと咀嚼しながらすずめ丸が首を傾げれば、


「ふた月ほど前に行っただろ」


 無表情のまま、淡々とした声で佐倉が指摘すると、


「ああ! 分かった! 思い出した! そうだったそうだった。でも、結局ここのごはん食べることなく帰ってきたからさ。今度はここ、食べに行こうな! 今まで持ってこられたおにぎりの中で断トツに美味いじゃん」

「君がそこまで気に入ったのならそうしよう」

「おう!」


 言いながら、四個持ってきたうちの三つ目に手を掛けるすずめ丸。残り一個しかないが、このままではすべて食われてしまうのではないかと、内心ハラハラしながら見守る若い男の目の前で、


「後はこれ、佐倉の分な」


 三つも食べれば満足だとばかりに、包みともどもまとめて佐倉に押しやるすずめ丸。


「ああ。あとで私もいただこう」


 佐倉も佐倉で、当然のように引き取り、乾かぬようにと一度包み直す。

 それを見て、若い男は二人の関係がどういったものか分からずに首を傾げた。


 すずめ丸の方は十五、六歳ほど。

 対して佐倉は三十路を越えたといえば越えた。超えていないといえば越えていない。

 なんとも年齢不詳の顔立ち。能面のように無駄に整って無表情なせいだというのは明らかだったが、もしかしたら、見た目以上にすずめ丸は幼いのかもしれず、佐倉は歳を重ねているのかもしれず。

 親子といっても違和感がないように見えて、その実全く似ていない。


「あんたたち――」と言いかけて、慌てて口を噤む。

 人にはそれぞれ事情というものがある。初対面でいきなり深入りするものではないと思ったせいなのだが、


「ああ。ちなみにオレたちに血のつながりはないよ」


 実にあっけらかんとすずめ丸が疑問に対して答えを与えてくれた。


「ちょっとした縁で居候させてもらってるんだ」

「そ、うなのか?」

「そうそう。戯作者佐倉を支えているのはオレと言っても過言じゃないほど、オレは佐倉の役に立ってるから、一緒にいた方が都合がいいんだよ。な? 佐倉」

「ああ。その通り。故に、すずめ丸のことは気にせずに、ここへ来た理由を話してほしい」


 と、促されるも、若い男は刹那逡巡した。

 ずっと男は迷っていた。

 正直、《あかね屋》で酔っ払い相手に、己の中で抱えきれなくなった悩みを打ち明けたこと自体、言った傍から後悔していたのだ。若者はつい、堪らずにぶちまけていた。


『泣き暮らしている女の呪いのせいだと本当に思いますか?!』


 何を馬鹿なことを口走っているのだと、目を瞬く酔っ払いの顔を見て血の気を引かせたものだった。

 だが、酔っ払いは笑い飛ばすことなく、馬鹿にすることもなく、酒で顔を赤らめながら真面目な顔で答えたのだ。


『お前さん、そう思う理由に心当たりがあるのかい?』


 酔っ払いがあまりにも真面目な声で聞き返して来たものだから、ゴクリと唾を飲み込んで、若い男は理由を話した。あまりにも荒唐無稽の話だった。赤の他人から突然打ち明けられたらまず間違いなく正気を疑い、気の毒な奴だと同情するか内心でせせら笑っていたことだろう。


 しかし酔っ払いは、恐る恐ると言った様子で言葉をたどたどしく紡ぐ若者の言葉に、神妙に頷いて先を促すと、聴き終えた後に言ったのだ。


『お前さんが言うように、騙されるのが嫌で、でも解決してほしいなら、うってつけの奴がいるぜ』


 そうして紹介されたのが、戯作者の佐倉という男だった。

 能面みたいに整った顔立ちの奇妙な男だと言われ、なんだって戯作者なのかと男は訝しんだ。

 普通、こういう時は神主か坊主か祓い屋を紹介するものだろう。

 表情から男の疑問を読み取った酔っ払いは、何故戯作者の佐倉を頼れといったのか、その理由を事細かに説明した。


 正直、俄かには信じられない話だった。

 だが、信じたくなければ信じなくてもいい。あとは好きにしなと言われてしまえばグラついた。

 誰彼構わず語れるようなことではなかった。

 だからと言って、依頼報酬を払えるほどの余裕などなかった。

 自分自身、信じ難いことではあるが、このままずっと雨が続き、もしも再び同じことが起きたらと考えて、男は会うことに決めたのだ。

 行くなら、食い物を持っていけ。それが依頼料だと思えば安いものだろと言う酔っ払いの忠告を聞き入れて。


「あんたたちに相談したいのは、俺の妹のことなんだ」


 男は、意を決して口を開いた。


「この雨は……俺の妹のせいかもしれないんだ」

「…………」

「…………」

「…………」


 真剣極まりない顔の男に対し、佐倉は完璧な無表情。すずめ丸は目をぱちくりと瞬いて、かすかに首を傾げてみた。


「なんか。えらく突拍子もない話だな」

「いや、そう思われるのも当然だ。俺だってそんなこと信じられないさ。俺の妹が泣き暮らしてるから、天気もずっと雨続きだなんて、一体誰がそんなこと信じる? 馬鹿馬鹿しいにもほどがあるだろ?」

「でも、あんたはここに来たんだよな?」


 不思議そうに指摘され、若い男は苦虫を噛み潰したかのような渋面になると、そっぽを向いて吐き捨てた。


「ああ。そうだよ。だって、他にどこに行けって言うんだよ」

「寺にでも相談に行けばよかったんじゃねえか?」

「払う金なんてねぇよ」

「相談ぐらいじゃ金なんか取らないだろ?」

「相談事が相談事だと足元見られるかもしれないだろ? そもそも、本当に人が泣いたから雨が降るなんてことあるのかよ」

「なくは……ないんじゃないか?」

「嘘だろ?」


 刹那考えながら口にしたすずめ丸の答えに、男は目を丸くする。


「世の中広いからな。神通力でもある人間がその気になれば、驚くような結果をもたらすことはあるだろさ」

「俺の妹にそんな力なんかない! あったら今頃ボロ長屋なんかに住んじゃいないさ!」

「でも、実際突然思いがけない力を発揮する人間はいることは確かだぜ。な? 佐倉」


 と、問い掛けられた戯作者は、無表情のままもぐもぐとおにぎりを咀嚼しながら頷いた。


「つーかさ。そもそもあんた自身が信じてもいないくせに、どうしてこんなところにまで相談に来たんだ? 普通は笑い飛ばして終わりだろ?」

「確かに、俺だって初めはつなげて考えたりはしなかったさ。でもある時、二、三日前だよ。その日も妹は泣いてた。ずっとずっと。号泣したりはしなかったが、寝てる時ですら妹は泣いてた。一人暮らしをする俺を心配して一緒に暮らしてくれてた妹だったが、正直、寝ても起きてもただただ泣いていられたら、降り続ける雨と相まって、鬱陶しいったらありゃしなくてな。一体なんだってそんなに泣いてんだって聞いてもあいつは何も言おうとしねぇし。いい加減泣くのやめろって言うと尚更泣くし、俺だって頭ン中おかしくなるって思った時だよ。表でな、叫んでる奴がいたんだよ」

「何を?」


 すずめ丸が問えば、若い男はハッキリとした怒りの表情を浮かべて答えた。


「ここだここだ。雨の元凶の《泣き女》はここにいるぞォ! ここの女が泣いてるせいで、雨は一向に上がりやしねェ。嘘だと思うなら泣き止ませてみろ。そうすりゃピタリと雨はやむ。雨が降るのは《泣き女》がいるからだァ――妙な節をつけて、奴は長屋の前で大声で歌ってやがった。本当であれば無視をしているのが一番だったし、真に受ける奴がいるとも思わなかった。でも俺は、すぐに妹のことを歌ってるって解って、頭に血が上ったんだ」


 奥歯を噛み締め、握り拳を作って震える。

 今思い出しても腹が立った。

 八つ当たりだった。


「そいつは雨の中、雨笠すら被らずに、酒瓶片手に顔を真っ赤に染めて嗤って歌ってたよ。ぼろっぼろの法衣? っていうのか? それとも袈裟? って言うのか? 俺にゃ区別もろくにつかねえが、あの、坊さんが着てるような黒い着物な。着てる奴だった。長屋の連中も何事かと戸を開けてくそ坊主の方を見てる中で、俺は気が付いたらそいつの顔面思いっきり殴り飛ばしてた。でもそいつは怒るでもなく泣くでもなく、嗤ってたよ」


 今思い出しても本当に腹が立つ光景だった。

 頭にきて頭にきて、何度も破戒僧を殴りつけた。

 長屋の住人たちが慌てて止めに入るまで何度も何度も。

 数人に羽交い絞めにされて、身動きが出来なくなった後、長屋の住人たちの手で救い出された年を取った坊主が、けらけら嗤いながら《泣き女》はそいつの身内だと、止めの言葉を吐き出すのを聞いていた。


「で、そいつが、俺の妹が《泣き女》だって捨て台詞残して言ったせいで、事件が起きた」

「あー……それって、もしかしたらもしかする?」


 なんとなく予想がついたらしいすずめ丸が、同情の籠った目を向けて来るから。


「ああ。長雨のせいで仕事に出られなかった奴らが真に受けてな。押しかけてきやがった。

 いくら違うといっても、冷静に考えてみろって言っても、連中だってこの長雨ですっかり参ってたんだろうさ。俺が坊主に八つ当たりしたのと同じ。連中は怒りの矛先を俺たち兄妹に向けて来た」

「それで今、妹さんはどうしてるんだ? あんたがここにいるってことは、今は一人なんだろ?」

「親父たちのところに預けてる。隣町に住んでるからな。少なくとも長屋の連中にかぎつけられることはねぇし。で、一人になって考えたんだ。初めは俺だってあり得ないって思った。でも、ずっとずっと泣きっぱなしの人間も異常だろ? 普通じゃない。普通じゃないなら、もしかしてって思ったんだよ。でも、こんなことただの偶然かもしれないだろ? 逆かもしれないだろ? この雨だから悲しくて悲しくてやるせなくて泣き続けてるかもしれないだろ?」

「まぁ、人によってはそう言うこともあるかもしれないけど……」

「だから、たまたまなことだって思いこうもとしたよ。人間が泣いているせいで雨がやまないって考えるよりは、よっぽどましだよ。

 でも、それでも、俺の中にはあの坊主の言葉が張り付いて剥がれなかった。気になった。確かめたかった。でも、確かめる方法なんて思い浮かばなくて、それこそ、何かおかしなものに取り憑かれたんじゃないかって方向にまで頭が行って。

 そんな時、《あかね屋》で常連客だって男が、ここのことを教えてくれたんだ。通常ではありえない怪異をただで解決してくれるって」

「むしろ胡散臭さ大爆発だと思うんだが、よくそんな話を真に受けて来たな、あんた」


 呆れを通り越した顔で、すずめ丸に感心され、男は不貞腐れた子供のように口を尖らせて言った。


「仕方がないだろ。雀の涙ほどの貯えを払っちまったら生活なんかできなくなるんだよ! 戯作者様には分からない苦労かもしれないけどな!」


 と、思わず嫌みが口を突いて出れば、


「いや。余裕で食べて暮らしていけるのは一握りの売れている戯作者だけだ。私のような売れない戯作者は君とさほど変わらない」


 いつの間にかおにぎりを食べ終えたらしい佐倉が、唐突に淡々とした声音で割り込んで来たため、男は怒らせてしまったのかと思いギョッとした。


「あ、いや、すまない。つい、よけいなことを……」

 と、慌てるも、

「いや、気にしなくてもいい。余裕がないのはお互い様だ。それに、必ずしも私たちが解決出来るとは限らないからな」

「え? 出来ないのか?」

「ものによるんだよ」


 焦る男に、あっさりと言い切るすずめ丸。


「オレたちにも出来ることと出来ないことがある。別にオレたちは拝み屋でも祓い屋でもないからな」

「じゃあ、なんなんだ? 俺はあんたたちなら解決してくれるかもしれないって聞いて来たんだぞ?」

「ああ。だから、あんたの解決してほしいことによるんだよ。あんたは何を解決してほしいんだ?」

「え?」


 暗がりの中、きらりと蝋燭の炎に瞳を光らせたすずめ丸に問い掛けられて、何故か男はぎくりとした。


「あんたの望みはなんだ? この雨を止めることか? 妹を危険な目に遭わせた奴らに対する復讐か? それとも、妹さんを泣き止ませることか?

 繰り返すが、オレたちは祓い屋でも拝み屋でもない。ただの戯作者とその有能な連れだ。でも、戯作者だからこそできることがある。たまたまこれまで何度かその力で解決してきた問題があるってだけで、何でもかんでも解決できるわけじゃない。だから答えろ。あんたは何を解決してほしい?」


 まるで挑みかかるようにすずめ丸に問われ、男は急かされるように答えた。


「妹を! 悲しみから解放してくれ」


 すべてはそれに尽きるのだった。

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