歌子との再会


退職してから,赤ちゃんが産まれるまで,歌子と連絡を取ることはなかった。歌子からは,来なかったし,わざわざ私から連絡する理由は何もなかった。


ところが,お産が終わり、元気な赤ちゃんを見ていると,どうしても報告したくなり,歌子と奏にこの子に会ってもらいたいという思いがどんどん強くなった。


「生まれたよ!」と報告すると,歌子は,特に喜んでくれて,「会いたい!赤ちゃんの顔が見てみたい!」とすぐに返事が来た。


退院して,少し落ち着いてから,歌子が来てくれた。長居しなかったが,息子を抱っこしてくれて,嬉しかった。


次は,奏を連れて,二人で来てくれたのだ。この時も,十五分ぐらいで帰ってしまった。


私は,奏は,ややこしくないから,まだ関係は続くだろうと思えたものの,歌子との関係は,赤ちゃんの顔を見てもらったし,もう互いに連絡を取り合う用事はないから,終わりだろうと思った。私は,それでいいと割り切っていた。


しかし,もう終わりだと思うと,やっぱり少し寂しく感じた。よく考えると,歌子に色々とお世話になっているのに,お礼らしいお礼を一度もしたことがないことに気づいた。


しかし,お礼に何をすれば良いのか,まるでわからなかった。歌子は,手紙をもらっても,読む時間を取られるから,嬉しくないはずだし,物質欲がほとんどなく,物をもらうと色々と気を使うタイプだ。迷惑をかけずに,お礼をしようと思えば,本人に打診した方が無難そうだった。


歌子に連絡をし,「四年間色々とお世話になったから,お礼がしたい。何がいい?」と尋ねた。


返事は,「知っての通り,語学とダンスは今の私の生活の中心。これまで通り,私の中国語における成長をサポートしてくれたら,それで十分。

今度,手伝って欲しいことがあるけど,いいかな?」


どうも,歌子は,私たちの付き合いをまだ終わりにするつもりはないようだった。つまり,私がまだ自分に役立てると思っているようだった。喜んでいいのかどうか,よくわからない内容だった。


しかし,歌子に対して,好きな気持ちがまだあるのは,否めなかったから,彼女がまだ私と付き合うつもりがあるなら,拒む理由はない。


でも,歌子は,自分も役に立たないと嫌になり,ふてくされる癖がある。私が中国語の勉強を手伝う代わりに,歌子に何を求めればいいのだろう…特に,何もなかった。私は,人間関係において、その人自身の癒し効果以上のものを求めないタイプだから…なら,そう言えばいいのか…。

「私は,語学などの趣味に打ち込めるような状況にはないので,指摘することがあれば指摘してくれたら嬉しいけど、別に求めていない。これまで通り,友達のような,親子のような関係を続けてくれたら,嬉しい。それだけ。」


歌子は,これに対して,中国語で,「わかった。あなたのことをいつも思っているよ。」と言って来た。


歌子は,昔,よくこういうことを言うのだったとメールを読みながら,少し懐かしい気持ちになった。大喧嘩してからは,言わなくなったが,その前は,よく言っていたのだった。昔の仲良し時代の関係に戻れたようで,思わず,顔が綻んだ。ずっとこれに戻りたかったのだと長いこと,自分にもわからないように抑え込んでいた自分の気持ちを思い出した。


歌子のお願いは,やっぱり中文の添削だった。私が添削しながら,息子を楽しそうにあやしてくれた。終わると,これまでと違って,すぐには帰ろうとしなかった。会話が弾むほどではないが,少し話した。


そして,この時に,嬉しい報告を聞いた。歌子は,一年近く冷戦状態が続き,バンドを解散し,音楽活動を休止していた奏とは,仲直りして,音楽をまたやり出したそうだ。


これを聞いて,私は心底から,喜んだ。そうだった。歌子と奏に仲直りして欲しいという気持ちも,首を突っ込まない方がいいと思い,抑え込んでいたのだった。


「赤ちゃんと聴きに行っていい?」

私が目を輝かせて,遠慮の気持ちを忘れて,訊いてしまった。もう二度と,二人の歌を聴くことはないかもしれないと諦めていたのに,また聴ける!そして,ずっと相性がいいと思い,沢山癒されて来た歌子と奏のコンビも,復活したんだ!嬉しすぎる報告だった。


「いいんじゃない?ちょうどいいぐらいの距離だし。」


その日,歌子が帰ってからも,るんるん気分だった。不慣れな子育てに思い悩むその頃の私に,二人の歌を聴きに行くのは、最高の気分転換になるはずだ!一応,そう期待したのだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る