バンドの急な解散


ある時,歌子からいきなりメールが届いたのだ。

「奏とは,解散した。ピアノの練習を頑張って,物にしてね。」


二人は,週二回ぐらい集まり,一緒に音楽をしていたのだが,どうも,また喧嘩をしたみたい。何があったのだろう。まあ,あの二人のことだから,時間が経てば,またよりを戻し,再開するだろう。そう思った。


「そうか。歌子と奏の歌が好きだから残念!ピアノ,頑張るね。」


私の仕事は,週一回の夜間の交流広場は,勤務時間外になるから,別の日に早退できることになっていて,早く帰る日をわざと二人の練習日に合わせていた。二人の歌を聴いてから,一緒にお茶をするのだった。その時間が毎週の楽しみの一つだった。


聴いてばかりいないで,あなたも何がしなくちゃ!といつも言われていたものだから,いつからか,ピアノを練習し始めた。


これは,小学生の時に少しやっていたから,音楽に疎いとは言え,独学でもなんとか思い出せるかなと期待したからだった。やっていたと言っても,初級レベルだけだから,大して弾けない。


しかし,それがちょうどよかった。二人と絡むつもりは,毛頭ないし,上手に弾けたらすぐにそう言う話になりそうだった。これは,避けたかった。


そして,これでピアノの練習というはっきりとした目的ができたから,他の時も,奏の家には行きやすい。言い訳になる。そう思った。


しかし,歌子と奏が解散したのであれば,この楽しい時間がなくなることを意味する。私が一人で通い,歌を聴かずに,ひたすらピアノの練習をしてから,奏と二人でお茶をすることになる。奏のことが好きだから,これも悪くないが,やっぱり三人の方が,盛り上がって楽しい。


もちろん,二人が解散したことについて,文句を言う立場にはないので,この気持ちを奏にも歌子にも話したことがない。


いつもの練習日になると,仕事中にまた歌子からメールが来た。

「一緒にランチしない?」


これは,時々ある誘いだったから,怪しむ理由はなかった。一緒にランチをした。食べ終わると,歌子が奏の家まで私を送ると言い出した。


歌子は,私を送ると,奏に挨拶もせずに帰った。少し寂しい感じがした。


ランチをして,二人が喧嘩した原因は,わかった。聞き出した訳ではなく,歌子が自分から話したのだ。


前六人で組んでいたバンドから,歌子が勝手に抜けたのだが,亡くなった方一名を除き、残りのメンバーでしばらく練習を続けていたらしい。しかし,夫婦で参加していた方々は,旦那さんが病気になり,奥さんもその看病でそれどころじゃなくなったというのだ。そこで,元のバンド活動を続けながら,歌子とも練習をしていた人好しの奏は,少し楽になり,歌子としても,奏はもう他のメンバーとはやらなくなったから,気楽に一緒に音楽ができるようになっていた。


ところが,病気の旦那さんが亡くなり,奥さんには余裕ができて,また奏とやりたいと言って来たらしい。奏も,断る理由はないから,またその人とも組むようになり,二股をかけているような状態に戻った。


この報告を聞いた歌子は,臍を曲げたのだ。理由は,奏が一緒に組むことになった相手は、前自分がいつも比較されていたライバルのボーカリストだからだ。そして,歌子によると,「奏には,好意があるけど、私は,彼にとっては,ただの友達の一人。だから,報われない。あの人は,優しい。みんなに同じようにする。それが嫌なんだ。」


つまり,歌子は,奏のことが好きで,彼に自分だけを見ていて欲しいのに,奏は,他の女性と組むことになったのを知って,嫉妬し,腹が立った訳だ。


私は,このややこしい事情について,何も言わない方がいいと思い,相槌を打つ程度にした。


奏のお家に着くと,訊かれてしまったのだ。

「歌子は,何か言っていたか?」


慎重に答えた。

「解散したと言っていた。」


「そうか。解散したのか。」

奏が他人事のように言う。


「奏さんは,解散したつもりはななったですか?」


「まあ,彼女が解散したと言うなら,解散しただろう…じゃ,今日は,どうやってここまで来た?」


「送ってもらった。」


「え!?」


「歌子さんに。」


「え!?送ったのに,上がらなかった!?上がればいいのに…。」


奏は,珍しく歌子の様子がとても気になるようだった。これまで,歌子と喧嘩をしても,少しも動揺せずに落ち着いていたが,今回は,少し心配をしているようだった。


「また来るようになるといいですね。」

と私が言った。


「また気が向いたら,来るだろう。もう何度も喧嘩しているから…。」

奏は,もう切り替えたようだった。こうしてすぐに達観できるのは,奏のいいところの一つだ。みんなに同じように優しくするところも,いいところだと私は思っていたのだが,歌子からしたら,その良さは憎たらしいものだから,正に,何でも二通りの考え方があると思った。


ピアノの練習が終わり,一緒にお茶をしていると,奏が言った。

「秋祭りで,去年みたいに歌をやるかと言う話になって,あなたが決めてと言われたから,「やめようか?」と言った。そしたら,臍を曲げた。決めてと言われたのに…。」


歌子から聞いた二人の喧嘩の原因とは,違いすぎて,驚いた。奏は,歌子が何で怒っているのか,全くわかっていない。ということは,歌子が言っていないということか。話し合わないから,コミュニケーションを取ろうとしないから,こうなるだろう。そう思ったが,とても首を突っ込む気にはなれなかった。


一度,歌子と揉めているときに,奏に相談したことがある。相談と言っても,間に入って欲しいとかではなく,ただ歌子を自分の気持ちをはっきりと言わないから,長い付き合いの奏なら,知っているかなと思い,尋ねたみた。


しかし,奏からこう言う返事が来た。

「僕は,歌子とは長い付き合いだが,何度も喧嘩しているし,今も分かり合えているとは言えない。僕にも,歌子の気持ちがわからない。」


この時にそれを思い出し,

「そうか。」

と何も知らないふりをして,相槌を打つことにした。どんなに二人に仲直りして欲しいと思っていても,間に入って,ろくなことはないと観念した。


今回が何回目かわからないくらい歌子と奏の喧嘩をたくさん見て来たのだが,この喧嘩は一番長く続いた。半年以上続いた。喧嘩というか,歌子が一方的に臍を曲げているだけだったが…。


喧嘩していても,奏がダンスの音響設備担当や国際交流組織のパソコン仕事担当なのは,変わらないから,たまに,歌子が奏の自宅に邪魔をする用事ができる時もあった。その時は,いつも私を連れにするのだった。


「ごめんください。お邪魔します。」

と歌子にしては,不自然なくらいに丁寧に挨拶をし,奏に何か話すことがあっても,いつもタメ口だったのを,あえて堅苦しい敬語で言うのだった。


奏が「お茶飲む?」と誘っても,


「もう飲んで来ましたから,いいです。」と断り,みんなで作業をしているのに,座らない方が不自然なのに,ずっと部屋の隅っこに立ったまま指図をするのだった。荷物を置くのも嫌がり,いつも持ったままでした。


この張り詰めた空気の中を私は,何度も作業をさせられた。歌子は,奏に直接話しかけるのも,なるべく避けたかったようで,奏に言った方がいいことでも,私ばかりに言うのだった。


歌子にこういう風に使われるのは,仕方がないと思っていたが,奏には,申し訳なかった。どうせ奏に冷たくしていじめるなら,一人で行けばいいのにと思った。私を巻き添えにしているのは,酷いと思った。奏に一度謝ったことがある。


すると,

「気を使わせてしまってごめんね。時間が経ったら,また違う展開はあるだろう。」

と前向きな反応だった。この時に,奏は,本当にいい人だと思った。

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