変人広場

歌子と開設した交流の場は,「中国語の交流広場」になった。開設した当初は,学生など,若い人が集まり,交流する場になればという思いはあったが,田舎では,何をしても,高齢者しか集まらないことをこの機会に知ることになった。


田舎では,日中の時間帯に無料で開催される行事やイベントは,全て高齢者や他に居場所のない変わり者の居場所なのだ。中国語の交流広場は,正にそうなった。


10分間以上,中国語が話せないことをひたすら日本語で,私に謝り続ける人。笛が吹けないというのに,笛を竹で作るのが趣味で,イベント開催中に,いきなり笛を組み立て演奏し始める人。「今日は,何をしましたか?」と尋ねると,「生活保護の申請をしてきました。」と言ってから,自分は貧乏だからご飯と海苔しか食べるものがなくて,毎日白ごはんを一人で,三合も食べていると話す人。歴史好きで,中国語で話すというルールを無視して,日本語で永遠に日本史に出てくる人物について熱く語り,誰も聴いていないのに,興奮し,途中から立ち上がって熱演を続ける人。こういう人の集まり場になった。


私は,この人たちの対応に手を焼き,よく言えば,社会勉強をたくさんさせてもらうことになった。しかし,誰より対応に困ったのは,矢野さんという人だった。


矢野さんは,遠方から通ってくれる参加者の一人で,現役の頃は,中国語を教える仕事をしていたという。中国語の会話能力も,それ相応のものだった。


ところが,矢野さんは,大変厄介な性格の持ち主だった。矢野さんは,講師として働いた経験があるせいか,交流広場を自分の授業のように仕切ろうとする。自分が喋りたいことをと喋り終わると,周りの人を勝手に「はい。次は,あなた,何か喋って。」と当てる。


場を弁えずに仕切ろうとするところよりも,困ったのは,発言内容だった。矢野さんは,とても失礼なことを次々と言い続け,参加者を困らせたり,怒らせたりする癖があった。


ある参加者が帰省中の娘さんを連れて参加すると,参加者名簿に書かれた名前を確認し,「未婚なんですね。」とみんなに伝えてから,「母親の見た目はあれだが,娘ちゃんは可愛いね。」と言いがかりを言う。そう言われた常連さんは,当然頭に来て,「あなたに言われても,平気です!」と言い捨てる。


自分は,結婚していないくせに,自分が失礼なこと言ったために怒られたおばさんに,「あなたの性格じゃ,旦那さんは大変だね。」と非難してから,「夫婦関係は,こうあるべきだ。」と偉そうに語り始める。言われているおばさんが可哀想すぎて,私が,「結婚していませんよね?」と指摘すると,今度は,彼の嘘を暴いた私に怒りの矛先を向ける。


初めて参加してくれたおばさんに「質問がある。」と言い,何を聞くかと思ったら,おばさんのご主人の年収について聞いて,おばさんを怒らせ,喧嘩が始まる。


矢野さんがいつ,何を言い,誰を怒らせ,誰が怒って帰ってしまうのか,常にハラハラしながら,毎日を過ごした。


イベントが終わり,矢野さんが帰ると,彼以外の常連さんがまた会場の外で集まり,輪になって,矢野さんに対する苛立ちや怒りを発散するために,こき下ろし井戸端会議を始める。開催者としては,矢野さんの悪口は,もちろん言わないが,みんなの不満の声に耳を傾け,同情したり,慰めたりしない訳にはいかない。


もっと困ったことに,矢野さんは,自分の言っていることが失礼に当たると言う自覚は,全くないようだった。「それは,失礼だから,そう言う発言は,やめましょう。」と注意しても,満更でもない顔で,「そうですか。」と言ってから,また五分後に別の問題発言をする。他の参加者に怒られると,自分がどうして怒られているのか,戸惑っている様子だった。


しかし,自分の存在がみんなを困らせている,私と歌子にストレスをかけているという自覚は,あったようだ。


ある日,帰り際に,突然矢野さんに呼び止められ,箱を渡された。

「歌子先生と一緒に食べてください。」と言われた。


箱を開けてみると,ケーキが入っていた。

「どうして?」

と聞くと,


「僕がいつも迷惑をかけているから。」と申し訳なさそうに言ってから,帰って行った。


その時に,初めて矢野さんを可哀想と感じた。自分がみんなに迷惑をかけているという自覚はあっても,自分のどの言動が原因なのかわからないため,何回注意されても,改められない。みんなと仲良くしたくても,出来ない。ケーキの箱を私に渡し,帰って行く矢野さんの後ろ姿は,切なく見えた。


矢野さんは,二年近く中国語の交流広場に通い,トラブルメーカー役を立派に務め続けた。


ところが,ある日,とうとう歌子に愛想を尽かされた。


中国語がびっくりするくらい流暢に話せる人が来られた時のことだ。感心した矢野さんは、その人を褒める一方で,余計なことを言ってしまったのだ。


「歌子の中国語は,日本人が喋る中国語だ。」とわざわざ指摘し,プライドが高い歌子を激怒させた。


歌子は,みんなの前で,矢野さんを叱りまくった。

「仕切らないで欲しい。」や,「みんなの育った環境は違うから,中国で暮らしたことのない人が,暮らしたことのある人に比べて,言語能力が劣るのは,仕方がない。」や,「自分が堪能だから,ベラベラと独演会をし,上手に話せない人の話す機会を奪うのをやめて欲しい。」などと,歌子は,叱責した。


そして,とうとう最後に,「あなたのせいで,来なくなった人だっているの!」と言い放った。これは,事実だったが,矢野さんへのダメージは,大きかった。


矢野さんがこれを聞くと,すぐに,「誰!?」ととても気になる様子だった。


歌子の指摘は,どれも,自分をはじめ,他の参加者の気持ちを代弁するものだった。しかし,いくら矢野さんでも,歌子にそこまで言われると,辛かったようで,みんなに訴えた。「言い過ぎですよね?僕は,そこまでしていませんよね?」と。


みんながシーンと沈黙する中,私が,「言い過ぎではない。」と歌子に味方した。


矢野さんは,それきりで,とても長いこと,交流広場に顔を出さなくなった。次,顔を出したのは,半年以上過ぎてからで,五分しか滞在しなかった。


歌子は,自分のせいで,矢野さんが来なくなったことをとても反省したが,みんなは,歌子に感謝していた。しかし,みんなに何を言われようと,歌子も,私も,いつまでも,すっきりしない気持ちだった。


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