田舎の祭り

ダンスの発表会の日が近づいてきていた。私は,発表会に参加したいとは別に思っていなかったが,歌子が参加する様に私の背中を押した。みんなでやる練習だけでは,覚えられそうになかったので,仕事後や週末など,空いている時間に奏のお家で特訓をすることになった。この特訓のおかげで,覚束ないではあるが,なんとか簡単な曲のステップを覚えられた。みんなに合わせて踊れるかどうかは,別問題だったが,一番の問題は,例のペースの速い難曲だった。


これは,奏の家で特訓をしても覚えられなかったので,自分の家でも,必死で練習をすることにした。泣きそうになりながら,必死でステップの練習をした。発表会に出たいと思っていないはずなのに,この曲だけは絶対に踊れるようになってみせると言う気持ちになっていた。


そして,とうとう発表会の日がやってきた。灯籠に照らされたお寺の前に,列になって並び、短い予行演習をしてから,本番だった。リズムには全然乗れていなかったし,ペースもみんなとは明らかにズレていたが,ステップは何とか誰ともぶつからずに踏めた。


とうとう,最後の曲,奏の家でも,自分の家でも,必死で練習した難曲だ。一生懸命ステップを踏んだが,自分の家と同じようには行かず,途中から少しずつペースが乱れてきて,みんなと向きが合わなくなった。そして,やってしまった。後ろで踊っていた人の足を踏んでしまったのだ。申し訳なくて,終わってから,謝った。


失敗はあったが,発表会の曲を最後までみんなと一緒に踊れて,それまで感じたことのないような爽快感と達成感を覚えた。よく考えたら,スポーツは子供の頃に色々したことはあったが,ダンスのような,みんなで作り上げ,みんなで仕上げるようなものは,日本に来て初めて挑戦したのだった。「仲間」と言う言葉は,前から知っているつもりだったが,この夜に改めてその意味を知ったような気がした。


数日後,ダンス仲間からの初めてのSNSの友達申請が届いた。メッセージも添えてあった。「祭りであなたの足を踏んでしまった田中です。よろしくね。」と言う内容だった。「踏んだのは,こっちなのに…。」と思わず吹き出しそうになった。


田中さんに続いて,他にも友達申請が何件か届いた。名前と顔は,まだ一致していなかったが,とりあえず,全部承認した。


友達申請が届いて,仲間の一人とやり取りができ,ダンスのおばさんたちとも仲良くなれそうだと喜んだ。もうじき仲間を1人亡くしてしまうことになるとは,この時は,想像もしなかった。


発表会後は,奏と歌子にカラオケに誘われ,ルンルン気分でついて行った。人前で歌ったりするのが恥ずかしいタイプなのに,お酒もほとんど試したことがないのに,お酒を飲んだり,歌ったりして,大いに楽しんだ。この人たちとは,ずっと一緒にいたいと思った。


その後も,何度も一緒にカラオケをした。お店でも,奏の家でも,何度も歌ったことがある。ある時,酔っ払った奏と歌子が一緒に歌い出したと思うと,途中から手を繋いだのは,驚いたのを今でも覚えている。私は歌が全然得意ではなかったので,音楽に詳しい人の前で歌うのは,最初恥ずかしかったが,途中からあまり気にしないようになった。


奏と歌子が昔からの音楽仲間で,一緒にバンドを組み,町のいろんなところで演奏をしてきたことは,後になって知った。昔は,五六人程度の音楽仲間が,ある出来事をきっかけに二人だけになったと聞かされた。その真相についても,後になって聞かされることになった。二人の毎週の歌の練習の時間に邪魔し,聴衆役を務めることになるとは,この頃の私は,予想もしなかった。


祭りの時の町の風情や賑わいは,格別だった。いつも閑散としている夜道は,祭りの時期になる大勢の人で賑わう。


歌子と奏と一緒に歩いていると,「唐先生!」とあちこちで,子供に見つけられ,呼び止められる。先生ではないのに,この町では,もうすっかり先生になっている。町中の学校を回っているから,子供の名前なんて,一握りしか覚えていないが,にこにこして,手を振り返す。私の名前を知らない子供には,指差しされて,「外人!」と言われる。なぜわかるだろう?一応,同じアジア人だけれど,雰囲気はどこか違うのだろうか?


この町では,家から一歩でも外に出れば,誰かに見られる。家の外でする行動は,全てどこかの誰かに見られ,知らないうちに自分の知り合いや仕事仲間に報告が行くのが常だ。知り合いに出会わずに,買い物をすることも,お散歩に行くことも,至難の業だ。


自分の知らない相手でも,自分のことを知っていて,挨拶をして来る。知らなくても,挨拶を返すしかない。


この頃は,まだ田舎のこう言うところの息苦しさは知らなかった。むしろ,みんなが繋がっていて,仲良しで,楽しいと感じた。


「外人」や「中国語の先生」はもちろん,いつしか,「いつも歌子と一緒にいる外国の人」としても,町中の人に覚えてもらうことになったのだ。


奏の家に近づき,人混みから離れると,奏と歌子が突然,手を繋ぎ出した。


「お二人,仲良いですね。旦那さんはそれでも平気ですか?」

一緒に歩いていた人が突っ込んだ。


「知らないよ!」

歌子がぶっきらぼうに言い捨てた。


「知っていると思うよ。」

奏が面白そうに微笑みながら歌子に言った。


そして,その夜,二人の馴れ初めについて教えてもらった。


奏があるお店で友達とカラオケをしていると,隣の席から掠れた声が聞こえて来て,「この人の声はジャズに合いそうだなあ。いい声をしているなあ。」と思って、声をかけ,自分が所属する混声合唱団に入らないか?と誘ったみたそうだ。その掠れた声の持ち主は,もちろん歌子だった。


ところが,この時は,忙しいと歌子が断って入らなかったものの,数年後に例の合唱団に入り,奏と仲良くなり,バンドを組むことになったそうだ。


「あれから二十年ぐらいの長い付き合いだ。男女関係にも発展せず,ずっとこんな感じで付き合って来たんだ。」

奏が語った。


「発展する訳ないじゃん!」

と歌子が口を尖らせた。


しかし,どう見ても,恋人に見える二人であった。


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