19 食料補充


 武器屋を後にした四人は、すぐ近くにある乾物屋に入った。

 旅の非常食を補充するためだ。いきなり二人分の消費が増えるのだから、それ相応の量を補充することになる。リチャードのために購入された大きな袋は、きっとこれのためもあるのだろう。

 店の中は干した肉の独特の匂いに包まれていた。その予想以上の匂いの強さに内心驚く。血肉の気配を感じさせる、妙に生々しい肉の味が、まるで体験したことのように口の中に広がるような感覚を覚える。知らないうちに生唾を飲み込む。

「グルル……すげえ匂いだ」

 リチャードの後に続いて入って来たレイルが、小さく呻くように吐き捨てた。まるで血に飢えた獣のような唸り声が、愛らしい口元から漏れたのが気になる。多分自分も、今何か発言したら同じように漏らしてしまいそうな自覚があった。

「この店の干し肉は質が良いですからね」

「なんだ、お前さん達! 匂いに負けるなんて情けない」

 唸り声は獣の威嚇行動だ。どんなに小さなその警告も、狭い店内には淀みなく広がり、店の中の数人が――店員と客達だ――レイルに警戒の目を向けていた。

 そんな凍りつくような空気に、サクがすかさずフォローに入った。その後に続けられたガリアノの、全てを容認するかのような大きな笑い声が決め手になり、店の中の空気が元に戻る。

 心臓に悪い空気だった。店内にいたのは普通の獣人だった。穏やかに、人懐こい表情で会話をしていた者達が、その瞬間に豹変した。まるで腹をすかせた野犬に取り囲まれるような、獲物――抵抗する術のない、肉と臓腑をぶら下げた包みにでもなったかのような感覚だった。空腹を刺激する、ただの血塗れの馳走に。

 ガハハと笑いながらガリアノは、二人に店の外で待っているように伝えた。リチャードの背から買った干し肉を入れるための袋を受け取り、そのまま店主と話し始める。補充はガリアノに任せ、リチャードはレイルを伴って外に出た。サクも心配してかついて来てくれる。

 店の外にはあのかぐわしい香りは漏れておらず、晴れやかな気持ちで深呼吸が出来た。入口から少し離れたところに移動して、ガリアノが戻るのを待つ。

「自分が自分じゃないみたいだった」

 レイルが溜め息と一緒にそう零した。リチャードもその気持ちはわかる。抗いようのない食欲等、今まで生きてきた中で経験したことがなかった。本当の意味での空腹等知らない自分達には、この感覚は初めてで恐ろしくすらあった。

「配慮が足りませんでした。すみません。お二人は、匂いの強い肉に触れるのは初めてでしたね」

「ああ。長期保存のための加工の匂いなのか?」

「そうです。あれもゼートの魔法のひとつで、腐りにくい保存食にするものなのですが、些か素材の匂いがきつくなるのが欠点でして……」

 サクによると、魔法によって干し肉にする過程で匂いがきつくなるらしい。血の滴る生肉よりも匂いが勝つのは、ゼートの魔法で加工を行うからだろうか?

「あれはやべえよ。理性が持っていかれるかと思った。頭の中が、肉を喰らうことしか考えられなかった」

 レイルはそう言いながら自分で自分の身体を抱き締める。リチャードはふるふると震えるその身体を、優しく抱き締めてやる。

「俺もだよ。あんなの、背中に背負って大丈夫だろうか?」

 小さな身体を抱き締めながら、リチャードは疑問を口にした。あの匂いが袋の口を絞めた程度で完全に断たれるとは思えない。あんなものが四六時中背中から漂っていたら、精神衛生上絶対に良くない。

「……しばらく外気に晒してみましょうか? お二人の武器の練習も兼ねて」

 サクが感情のない目でこちらを見ながら言った。慌ててレイルを離してリチャードも頷く。恋人同士の戯れを見せたのはあまりよくなかったようだ。なんだかその特有の瞳に、咎められているような気がした。

「すまんすまん。待たせたな! 具合はもう平気か?」

 絶妙なタイミングでガリアノが店から出てきた。無駄に大きなその声に安心を覚える。体調を一番に気遣ってくれる彼に、リチャードも素直に謝罪する。

「ああ。悪い」

「いやいや、お前さん達は悪くないさ! なぁ、サクよ」

「ええ。今話していたのですが、街の外に出たらその肉の匂いを取りましょう」

 サクも、その顔に薄っすらと笑みを浮かべながらガリアノにそう提案した。本当に太陽のように、皆の心や空気を暖めるような男だった。 

「そうだな。ならば、出発といこう」

 ガリアノも満足そうに笑い、先頭に立って歩き出す。その大きな背を追うように、リチャードもレイルの手を引いて歩き出した。大人しくその手を引かれる彼女の表情は、心の内までは見通せない。

 まだ高い位置にある日を見上げても、心の奥底に横たわったような不安は溶けてはくれなかった。昼にはまだ少し時間があるかという大通りは、それなりに人通りに溢れ、人工物という安心感で自分達を包み込み守ってくれている。

 それすらもこれから離れ、手放すのか。急に圧し掛かる不安を誤魔化すように、リチャードは繋いだ手に力を込めた。そこから返される力に、不安を溶かしてもらえるように。 

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