幕間3

「ただいま戻りました」

 学校から探偵事務所に帰宅した美優を、

「おかえり」

「おかえリー」

 大判の茶封筒に調査資料を納めていたクロガネと、旧式のテレビゲームで遊んでいたナディアが迎えた。

「……あれ?」

 手を洗って戻ってくると、PIDで今回の依頼人に連絡を取っていたクロガネが首を傾げる。

「どうしました?」

 一度通話を切り、PIDを卓上に置く。

「依頼人側の電源が入ってないのか繋がらない。後でまた掛け直す」

 それより、とクロガネは話題を変えた。

「昼間はありがとう。おかげで助かったよ」

「どういたしまして。お役に立てて良かったです」

 デスクの上に置かれた二封の茶封筒を見やり、美優は微笑む。

「ヨシ、倒しタ」

 達成感をにじませたナディアの声に振り向く。

 ゲーム画面では、ボスキャラを倒したのかイベントシーンが挿入された。何か新しいスキルを手に入れたようだ。

 ナディアが操る主人公の影が実体化し、同じ挙動をしている。

「分身を生み出すスキルのようですね。実質、手数と攻撃力が倍になるみたいです。スキル名は」

 美優の解説に合わせたかのように、画面に表示されたスキル名をクロガネが読み上げた。


「……ドッペルゲンガー」


 ナディアはさっそく新スキル『ドッペルゲンガー』を試してみる。

 主人公が剣や銃を振り回すのに合わせて、黒くベタ塗りされた分身が同一のタイミングで同様の攻撃を繰り出し、異形の怪物たちを薙ぎ払った。

「へぇ、結構強いな」

「ですね……ってああ、そういえば」

 感嘆するクロガネに、美優は何か思い出したかのような声を上げる。

「最近、SNS上で変な噂が流れているみたいです」

「変な噂?」

「なんでも、本物のドッペルゲンガーが現れたとか」

「それはまた」クロガネは軽くおどける。

「といっても、目撃した本人の事後報告で自己申告ですから、信憑性はかなり怪しいものですが」

「だろうな。所詮は根も葉もない噂で、都市伝説だ」

「……実在するなら、意図的かつ人為的に生み出したものでしょうね」

 美優は真顔でそう言うと、先程の茶封筒を再び見やる。

 クロガネと共に行った人捜しの依頼、その調査の過程で知り得た思わぬ副産物。

「そうかもな……さて」

 クロガネは再びPIDを手に取り、リダイヤルを行う。

「今度はどうかな……って、まだ繋がらないか。映画館にでも居るのか?」

 訝しむクロガネを見た美優は、自身の意識を電脳空間へダイブさせた。


 ***


「確か、今回の依頼人の名前は……本田武史ほんだたけしさんでしたか。確かに電源を切っているのか電波状況が悪いのか、信号を直接探知できませんね」

 全てがコバルトブルーに染まった電子の海。

 その中を漂いながら、人魚の姿を模した美優の情報体は辺りを見回す。

 ふぅ、と目を閉じて意識を集中し、再び目を開く。

 エメラルドグリーンの瞳が、強い輝きを放った。


《――本田武史の過去48時間以内のPID信号履歴を検索開始、完了――今から39分前/現実世界換算で信号消失を確認――消失直前の位置をマーク――同時刻の衛星カメラと同期、完了――対象を発見――追跡開始――対象の現在位置をリアルタイム確認/現実世界換算》


 衛星軌道上の映像から、瞬時に目的の人物の現在地を確認する美優。

 ちなみに現実世界の時間に置き換えると、ここまで一秒すら経過していない。

「よし、見付けました。だけど、妙ですね」

 同期した衛星映像では、対象者は東区の街中を移動中だった。

「街中を普通に歩いているのなら、PIDの電源を切る理由はないでしょうに」

 映画館に居るわけでも尾行中の警察官でもないのに、今も対象者のPIDとは接続できない。

「少し面倒ですが、検索は可能です」


 PIDは鋼和市限定の個人用情報端末であり身分証も兼ねている。市民の大半は知らないことだが、実は電源を切っていても一定の周波数を定期的に発信しており、市内であれば各PIDを管理している中央区の専門機関によってその所在を把握できるのだ。

 そして美優の手に掛かれば、ハッキングによるデータベース経由で特定のPIDに侵入も可能というわけである。


 電子の人魚は、光の速さで電子の海を泳ぐ。

 やがて目的地である、中央区・情報管理センターのデータベースに辿り着いた。

 それはまるで、十字の交差点が幾重に積み重なって構築された巨大な光の巣だ。巣の中心――交差点中央にも通り道が出来ており、上下左右縦横無尽に無数の光が飛び交い、交錯し、入り乱れている。

 その光の群れの中を、美優は通り抜ける。

 途中、何度も警告音と共に対ウィルス防壁ファイアウォールが展開されるが、顔パス同然に問題なく素通りした。


 電脳空間において、美優はその存在が特別なのだ。


 人類の平和と秩序を管理していると過言ではない高性能自律管理型AI〈サイバーマーメイド〉。

 その最新型にして七番目のモデルである〈日乃本ナナ〉は日本が所有する〈サイバーマーメイド〉であり、その機能の一部を安藤美優は借りること出来るのだ。これは両者が同じ獅子堂重工製であり、美優の開発者――獅子堂莉緒の意図によるものが大きい。


 やがて美優の眼前に、白い光の扉――対象者が持つPIDのセキュリティゲートが現れた。

「? これは……」

 扉は鎖で雁字搦がんじがらめにされ、無数の南京錠で厳重にロックされていた。

「持ち主が施したロック……じゃない、外部入力による追加プロテクトだ。だけど、一体誰が……?」

 この電脳空間は、美優と大元である高性能自律管理型AI〈サイバーマーメイド・日乃本ナナ〉のイメージによって構成されている。

 広大な電子の海だからこそ、電脳空間内がコバルトブルー一色であること然り。

 その電子の海を自在に行動するため、美優の情報体アバターは人魚の姿を模していること然り。

 故に、古臭い南京錠を模したセキュリティデザインは、〈ナナ〉も美優も認知していない第三者によって施されたものであることを意味する。

 世界最先端AIに悟られずに侵入された事実は、最大警戒レベルの懸念事項である――筈なのだが。

「んんっ?」

 美優は首を傾げた。

 何度もスキャンを試みた結果、ネットワーク内に深刻な損害やウィルスは確認されなかった。特定のキーワードや時限式で作動するウィルスでもない。

「私達に匹敵するウィザード級のハッキングスキル……の筈なのに、この通話機能を封じただけ?」

 南京錠と鎖の形を模したプログラムは、今回の依頼人が持つPIDと通信できないように邪魔しているだけだ。

 念入りにスキャンを行うも、悪質なウィルスは検出されなかった。

 不自然を通り越して不気味に思える程に、危険性が感じられない。

「しかもこのプロテクト、そこまで複雑なものじゃない」

 何者にも悟られずに侵入したその高いハッキング技術とは裏腹に、とても幼稚で稚拙な印象を受ける。

「どうにも、ちぐはぐですね……」

 警戒しつつも美優の手には白い光の粒子が集まり、これまた古臭いデザインの鍵が形成される。

 それを鍵穴の一つに差し込んで捻ると、いとも簡単に解錠された。

 美優は手をかざし、頭上に残りの南京錠と同じ数だけ合鍵を生成。

「行け、ファ〇ネル。なんてね」

 嘯きながらかざした手を振るうと、光の鍵たちは一斉に不規則な軌道を描いてそれぞれの鍵穴に飛び込もうと飛翔する。


 しかし。

 合鍵たちは、南京錠に弾かれた。


「なっ」

 美優は目を疑う。

 つい先程まで存在していた筈の鍵穴が、まるで溶接されたかのように消失しているのだ。

「どうして……」

 戸惑う美優の前で、扉を縛る鎖の数が増えていく。

「これは……!」

 やがて目の前には、何重もの鎖によって簀巻きにされた扉……否、鎖の塊が形成される。

「ここまで厳重で異様なプロテクトは、見たことがありません……!」

 稚拙で幼稚だと見ていたことを撤回する。

 防壁を展開しつつ鎖に触れてみる。

 何も起こらない。

 鎖を掴んで引っ張ってみる。

 ビクともしない。

 ハッキングで破壊しようにも、あらゆる攻撃が鎖に弾かれてしまう。

「……何なんだ、これ……」

 電子の人魚は、呆然とする。



 ***


「……クロガネさん、依頼人の現在地を確認しました。東区のオフィス街三番地を北東方面に移動しています」

「仕事か何かかな?」

「流石にそこまでは解りません。ただ、彼の向かう先……新しいビルの建設現場付近に白野銀子、藤原優利、松村彩子、そして清水刑事のPID信号を確認しました」

「うん? 松村彩子も?」とクロガネは眉をひそめた。

「彼らが依頼人と鉢合わせする確率は現在58%……59、60、なおも上昇中」

「……六割超えれば、流石にヤバイ気がしてきた」

 再びPIDで連絡を試みようとするクロガネに、

「駄目です」

 美優が止める。

「依頼人のPIDの通話機能が何者かによって封じられています。何度やっても繋がりません。ちなみに両者が合流する確率が七割を越えました」

「……少しマズいな。ちょっと出てくるから、留守番たのんだ」

「解りました、お気を付けて」

 二封の封筒を手に取り、足早に事務所を出たクロガネを美優は見送った。



「……それにしても不可解です」

 美優の義眼が、蛍色に淡く輝く。

 現実世界に意識を置きながらも、並行して電脳空間内で例の鎖と対峙している美優は首を傾げた。

「通話機能だけを封じる鎖。でも、対象者側からの送信や通信は可能……まるで、外部からの受信のみを妨害しているかのような……」

 第三者の妨害工作にしてはピンポイント過ぎる。

 これが意図的なものだとしたら、一体何が目的なのだろうか。


 一人思考する機械仕掛けの探偵助手――その後ろで。


「ちょ、今のハメでショ! 流石にノーカンだかラ!」

 一人ゲームでエキサイトしている褐色ロリのスナイパーがいた。

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