5.下見とデート

 ――十月三〇日、鋼和美術館にて――


 鋼和美術館は鋼和市南区――通称レトロ区の一角に構えている。

 外観は歴史とロマンが漂う横浜のレトロ建築を彷彿とさせ、内装はシックなグレーやダークブラウンといった落ち着いた組み合わせだ。

 建物中央の天井がステンドグラスで覆われた吹き抜け構造となっており、屋内でも充分に明るく開放感がある。

 階段の代わりにキャットウォークを設置して空間を無駄なく広く使い、高所にある展示物も自由に観賞できるようになっていた。


 至る所に高名な芸術家が手掛けた絵画や陶器などの芸術品をはじめ、重要な歴史的資料も展示されている。そしてその全てが、防弾・防刃・耐衝撃性に優れた最新の強化ガラスに覆われていた。しかも不用意に触ると、接触センサーが反応して警報が鳴り響く仕組みである。恐らくは連動して美術館全域の出入口も即座に封鎖されるだろう。

 館内の随所には監視カメラが、通路の曲がり角や隅には警備用のオートマタが複数設置されている。

 オートマタは過度に威圧感を与えないよう丸みを帯びたデザインをしているが、非殺傷性の電気銃テーザーガンを装備させているという徹底ぶり。

 人間の警備員が少なく見えるのは、それだけ機械の信頼性が向上しているからだろう。あるいは、警備員の中に賊が紛れ込むことを警戒しているのかもしれない。


「館長はよほど用心深いのか、それとも人間不信なのか……」

 美しい自然を写生した油絵を眺めつつ、クロガネはそう呟くと。

「? 何か言った?」

 隣に居た真奈が反応する。

「いや、良い絵だなって感心しただけ」

「嘘。芸術のことはよく解らないくせに」

 真奈が疑いの目を向けてくるので苦笑する。

「それでも良いんだよ。素直に良いものだと感じれば」

「……それもそうか」

 納得した真奈と共に、美術館の見学を続ける。

 クロガネは芸術品を眺める一方で、館内のセキュリティの数や配置の確認を行う。多機能眼鏡を介して、現在学校で授業中の美優にもリアルタイムで状況は把握している筈だ。

(……実際に見て解るのはこの程度か)

 PIDで時刻を確認。

 大きな美術館だけに、かれこれ二時間は見て回っただろうか。

「鉄哉、そろそろ時間じゃない?」

「うん」

 そう訊ねる真奈に頷き、ポケットから一枚の紙片を取り出す。

 指定時刻とバーコードが添付されてある【宵闇の貴婦人】の観賞用チケットだ。

 例の怪盗――幻影紳士の犯行予告によって、ブラックダイヤモンド【宵闇の貴婦人】の話題と関心が一気に高まったことを警戒した美術館側が、来場者の人数と観賞時間を制限したのである。

「さて、話題の宝石とはどんなものかな」

 クロガネと真奈は、美術館奥にある特別展示室へと足を運んだ。



 ***


 都市伝説ドッペルゲンガーと複雑な人間関係が絡んだ人捜しの依頼を終えて間もなく。


 クロガネの元に【宵闇の貴婦人】の所有者である宝石商、リチャード・アルバから代理人を介して警備の依頼が舞い込んだ。


 事前に清水からの忠告があったとはいえ、気乗りしない今回の依頼を引き受けた理由は、単に生活費のためである。

 美優はガイノイドでありながら飲食可能な個体であるし、学費のこともある。何より彼女のローンを完済するためにも背に腹は代えられない。まして、命の危険性が低く高額報酬となれば、断る理由もないのだ。


 クロガネは確実に依頼を達成するため、怪盗が現れる前日、件の美術館へ下見に訪れた。一般客を装って来たのは、客観的な目線で得られる情報があるかもしれないと考えたからである。

 ただ。

 美術館側に事情を話して二人分のチケットを融通して貰ったまでは良かったものの、その日は平日のため美優は学校。

 ナディアに至っては人並み以上に芸術には興味がなく、大人しく来場客のフリが出来るかといえば不安があるため、今回は相方役を見送った。

 美優に関しては多機能眼鏡を介して視覚情報が共有されるし、こうなったら一人で下見をしようかなと考えていた折に、たまたま仕事が休みで遊びに来ていた真奈が同行を申し出たのである。

 素人である彼女の目から得られる情報もあるかもしれないと快諾し、クロガネは真奈と共に美術館へ訪れたのだった。



 ***


 特別展示室は美術館のメインホールと隣接している。

 ホール全体を真上から見ると凸状の形をしており、その一部飛び出た場所が件の【宵闇の貴婦人】を展示している特別展示室だ。


 特別展示室の入口手前にいたスタッフに観賞用チケットを手渡し、真奈と共に通路を歩く。

 唯一の出入口に細長く伸びた、大人ふたりが並んで歩くのがやっとな狭い通路だ。この通路だけでも、いかに防犯に力を入れているのかが解る。

 やがて目的の展示室に辿り着く。

 やや薄暗い部屋の中央に設置された、特注の強化ガラスに覆われた台座の上に、二十四面体状に綺麗にカットされた拳大ほどの黒い宝石が鎮座してあった。

 夜空よりも深く、澄み切ったブラックダイヤモンドが、照明の光を受けて美しい星空のような輝きを放ち、見る者すべてを魅了している。

「あれが、【宵闇の貴婦人】か」

「綺麗ね……」

 クロガネは感嘆し、真奈も小さな溜息をこぼす。

 他の来場者も皆似たような反応を見せた。

 防犯対策として、この展示室で【宵闇の貴婦人】を観賞できる人数は最大で十名まで。観賞時間も五分しかない。

 今の内に得られる情報を探ろうと、クロガネはさり気なく周囲を見渡す。


 特別展示室は、真上から見ると正五角形の造りをした広い部屋だった。

 なぜ五角形なのかは不明だが、恐らくは一般的に知られるダイヤモンドの形をイメージしたのだろう。美術館だし、と深く考えないことにした。

 専用の照明を備えた【貴婦人】を際立たせるためか、部屋全体はやや薄暗く、壁の色も大理石の床に合わせた控え目なグレーだ。

 部屋の広さは十人の来場者が入ってもまだまだ余裕がある。

 本来ならば、その三倍の人数が入れるくらいだ。

 頭上には監視カメラが部屋の角に五台設置してある。死角がない。

 そして、その下には青い警備用オートマタが五体待機していた。形は標準タイプの人型で全体的に丸みを帯びており、過度な威圧感を与えないように考慮されたデザインだ。そして右腕が非殺傷性の電気銃テーザーガン、左腕が捕縛用のネットガンを装備している。

(腕が銃器で丸みを帯びた青いオートマタ……□ックマンかな?)

 クロガネは再度【貴婦人】を見やる。

 正確には、そのケースだ。

(当然、あのケースにも何か仕掛けがあるんだろうな)

 来場者はマナーを守り、ケースを囲むように置かれた展示品を守る結界フロアパーティションの外側からブラックダイヤモンドを見物している。流石に結界を越えてケースに直接触れるような愚か者は居ないだろうが、仮に触れてしまったら何が起きるのだろうか。

(他の展示品のように警報が鳴るか、まさか出口を封じて部屋全体に催涙ガスが噴き出したり高圧電流が流れたりするのか……)

 『賊の捕獲』を前提に考え得る内容のトラップを想像する。

(俺が怪盗なら、どうやってあのダイヤを盗み、どう脱出するか……)

 他に何かないかと周囲を見回すと、大理石の床の表面に描かれた幾何学的な模様に目を留める。

 目立たない程に浅く掘られた溝が、線として床一面を縦横無尽に走っていた。

 照明の加減でうっすらと浮かび上がって見える一際太い線を目で辿ると、それは大きな五芒星を描き、その中央に【貴婦人】のケースが設置されていることに気付いた。

 改めてケースを見てみると、台座の上にも小さな五芒星が描かれたクロスが敷かれてあり、その中央に【貴婦人】が置かれている。

(大小二重の五芒星か。確か五芒星は、世界的にも魔除けの結界として使われることで有名だったな。まさかあのダイヤには、何かあるのか?)

 近くにあった解説文に目を通すも、特に曰く付きな由来や伝承は記述されていなかった。

(……ミステリアスな雰囲気を出すための演出、かな?)

 内心首を傾げながらもそう納得する。他に理由が思い当たらない。

 それから時間一杯まで可能な限り【貴婦人】が鎮座した特別展示室を調べたクロガネは、真奈や他の来場者と共にスタッフの指示に従って出口へと向かった。



 ――黒いダイヤモンドは、美しく、妖しい輝きを放ち続けている。



 ***


 たまたま仕事が休みで、たまたま探偵事務所へ訪れたら、ちょうど出掛ける支度をしていた鉄哉と遭遇する。

 訊けば、例の怪盗が狙っている宝石の所有者から警備の依頼を受け、美術館の下見に行くところだったという。


「お邪魔じゃなければ、私も付いて行っていい?」


 思わずそう訊ねた。

 幸いにもチケットは二枚あったらしく、彼は快諾してくれた。

 個人的に巷で話題の怪盗が狙っているブラックダイヤモンドに、少し興味があったのだ。

 何よりも、鉄哉と一緒に美術館だなんて、いかにもデートっぽい。

 少し浮ついた感じで美術館を見て回った。

 こういう場所に訪れたのは何年ぶりだろう?

 学生の社会科見学の時以来だろうか?


「やっと一息つけたな」

「かれこれ三時間は見て回ったからね」

 美術館の敷地内にあるオープンカフェで休憩する。

 店内のあちこちにはジャック・オ・ランタンの小物やステッカーなど、ハロウィンにちなんだ装飾が施されていた。

「美術館なんて学生の時以来よ。大人になってから見るとまた新鮮ね」

「そうか。いや、確かにそうだな」

 鉄哉も同意したところで、ふと気付く。

 確か彼は、一般的な学校教育は受けていなかった筈だ。

「鉄哉も昔、美術館に来たことが?」

「ああ、前に話した父親代わりの人とな。任務や訓練ばかりじゃ詰まらないだろうって。美術館以外にも映画館とか水族館とか動物園とか、色々な所に連れて行ってくれたよ」

 へぇ、と思わず感心する。

 鉄哉と同じゼロナンバーだとは聞いていたが、まともな人みたいだ。

 思うに、元暗殺者だった彼が人並みに優しくて真面目な性格なのは、その人の影響が多分に含まれているのかもしれない。

「黒いダイヤモンドなんて初めて見たけど、綺麗だったわね」

 コーヒーとケーキを運んできた店員が立ち去るのを待ってから、話を続けた。

 こうして二人きりで過ごすのは久しぶりな気がする、とか思いながらフォークでケーキを一口サイズに切り分ける。

「怪盗騒ぎを差し引いても希少なものだから、あのセキュリティも納得できる。真奈の方で何か気付いたことはあったか?」

「えっ」

 口に運ぼうとしていたケーキを止めた。

「何かって?」

「例えば……館内で気になる点とか、怪しそうな奴を見たとか」

 ……そうだった。彼は仕事で美術館の下見に来ていたのだった。

「えっと……ごめん、特にそういった感じはなかったかな」

 そうか、と素直に引き下がる鉄哉。

 どこか残念そうに見えるのは気のせいだと思いたい。

 いや、本当にごめんなさい!

 こっちはすっかり完全にデート気分でしたっ!

 心の中で懺悔して平謝りしつつ、ケーキを口に運ぶ。

「……あっ、美味しい……」

 これは名店かも。今度また来よう。


「……黒沢?」


 突然、機能的なパンツスーツを着こなした若い女性が声を掛けて来た。手にはテイクアウトしたこの店のコーヒーを持っている。

 ……初めて見る女性だ。

 年齢は鉄哉と同じくらい。彼の知り合いだろうか?

「白野か。奇遇だな」

「そうでもないわよ。おおかたアンタもリチャード・アルバの依頼を受けて来たのでしょう」

「も? まさか、白野も?」

「ええ、そのまさかよ」

 自然に会話しつつも、鉄哉を見る彼女の目はどこか鋭く、敵対心のようなものを宿していた。

「……そちらはデート中?」

 私を一瞥するや、白野と呼ばれた女性は眉をひそめて訊ねた。

「会場の下見だよ。彼女は協力者だ」

 鉄哉がそう答えると、白野の顔がより険しくなる。

「部外者を連れて仕事してたの? クロガネ探偵事務所は随分といい加減なのね」

「ま……いや、海堂は信用できる人だよ」

(いきなり来て何この人……?)

 挑発ともとれる白野の発言に、鉄哉よりも私の機嫌が悪くなる。

「いい加減なのは否定しないのね。……海堂?」

 ふと、白野は何かを思い出したかのようにハッとし、改めて私を見た。


「もしかして、海堂真奈さん? が懇意にしていた機械義肢専門医の?」


 驚く。

 確かに二年ほど前、獅子堂莉緒……安藤美優の開発者母親が病で他界するまで彼女とは良好な関係を築いていたが、それを知る者は当時の関係者だけの筈だ。

「……どうしてそれを? 貴女は一体?」

「申し遅れました。初めまして、私は白野探偵社の代表取締役社長の白野銀子といいます」

 凛々しい表情で差し出された名刺を受け取る。

 社長ってスゲェな、おい。

 見た感じ私よりも年下で、鉄哉と同い年くらいなのに。

「探偵……鉄哉と同じ」

「一緒にしないでください」

 ぴしゃりと白野銀子が否定した。

 どういうわけか、彼女は鉄哉を毛嫌いしているようだ。

「でも丁度いい機会かも。明日……というか、今夜はどちらが早く怪盗を捕まえるか、勝負よ黒沢」

 急な提案をしてきた銀子に、鉄哉はやや呆れる。

「勝負って……お互い受けたそもそもの依頼は宝石の警備だろ? 怪盗を捕まえるのは警察の仕事だ」

 依頼内容と目的を履き違えるなと言わんばかりだ。

「結局は同じことよ。怪盗を捕まえれば宝石は無事だし、同時に探偵として有能であることを世間に知らしめることが出来るわ」

 確かに、ここまで話題となっている怪盗を捕まえれば、名探偵としての名誉と名声も得られるだろう。

「欲張り過ぎると身を滅ぼすぞ」

 鉄哉が老婆心ながら忠告するも、

「滅ぼさないわ。私は優秀だもの」

 聞く耳を持たない銀子。

 そうかい、と鉄哉は溜息をつく。名誉と名声には興味がないらしい。

 情熱的で貪欲な銀子とは対称的に、彼は冷静で堅実だった。

「それじゃあ、頑張って怪盗を捕まえてくれ。今夜はよろしく」

「ええ。私の足を引っ張らないでね」

「そうだな、お互い気を付けよう」

 終始大人の対応を貫く鉄哉に、銀子は不愉快そうに鼻を鳴らす。

 そして三度みたび、私を見ると。

「何かお困りの際は、白野探偵社にお任せください。私をはじめ、女性スタッフも充実しています。お気軽にどうぞ」

 営業スマイルで営業してきた。

 本当に貪欲なビジネスウーマンだな、こやつ。

「はぁ、どうも……」

 無難に頷くと、銀子は颯爽とその場を後にした。



 白野銀子が店を出たのを見てから、鉄哉に話し掛ける。

「……何、あの人?」

「同業者だよ。名刺にも書いてあるだろ」

「そうじゃなくて、どうしてあそこまで鉄哉に冷たい態度なのよ?」

 見ていて不愉快だと言わんばかりに、自分でも険しい顔をしているのが解る。

「……三ヶ月くらい前にあった、VRゲームの事件を憶えているか?」

「ええ」と頷く。

 VRゲームの世界に、プレイヤーの意識が取り残されてしまった未帰還者事件だ。当事者であるゲーム会社から原因究明の依頼を受けた鉄哉と美優ちゃんが解決に導き、私自身も少なからず二人をバックアップしていたのだからよく憶えている。

「あの事件の後、新しい探偵社を設立するから雇われてくれないかって彼女――白野銀子からスカウトされたんだよ」

 それは初耳だ。

「断ったけどな」

「それで鉄哉を目の敵にしていると?」

「随分と根に持つ奴だよ、まったく……」

 呆れた話だ。

 確かに新しい探偵社を鋼和市この街に構えるのであれば、対サイボーグ犯罪に対応できる人材も雇った方が仕事の幅も広がるだろう。だが相手が悪かった。

 名刺に目を落とす。

「白野銀子……偶然か、鉄哉と対をなす名前よね」

 白と黒。白銀シロガネ黒鉄クロガネ

「これは、小説とかでよく見るライバル探偵ってことになるのかしら?」

 どうかな、と鉄哉は苦笑した。

「少なくとも俺は、白野に敵対心なんて持ち合わせてないよ」

「向こうはそうでもないみたいだけど?」

「知ったことか。俺は俺の仕事をするだけだ」

「まぁ、そうよね」

 彼に賛同を示したところで、ふと気付く。

「そういえば、どうして白野さんは私と莉緒お嬢様の関係を知っていたのかしら?」

 鉄哉はしばし考え込み、

「彼女も探偵だからな、俺を勧誘する際に調べたのだろう。交友関係から真奈のことを知ったのなら、何もおかしくはない」

 そう言った。だがそれでも腑に落ちないことがある。

「……鉄哉の担当医であることはまだしも、莉緒お嬢様は獅子堂のご令嬢よ? 私が獅子堂の関係者であることまで調べられるものかしら?」

 獅子堂は鋼和市の実質的支配者でもある名家だ。それに連なる個人情報のセキュリティも生半可なものではない。普通に考えて、一介の探偵が調べられる筈もないのだ。まだ駆け出しの新人なら尚更だ。

「……きっと、独自の情報網でもあるんだろう。探偵である以上は、個人情報を悪用したりしないから安心しろ」

「そこまで気にしてないわよ」

 あまり印象が良くない銀子の話題をばっさり変えるため、

「それより、この後どうするの?」

 鉄哉にそう訊ねた。



 ***


「私が獅子堂の関係者であることまで調べられるものかしら?」


 探偵顔負けの鋭い指摘に、クロガネは僅かにたじろぐが。

「それより、この後どうするの?」

 あまり深くは考えなかったのか、真奈の方から話題を変えてきたので密かに胸を撫で下ろす。

「そうだな」と窓の外を見やる。

 陽が傾いて来た。十月末ともなれば、暗くなるのも早い。

(そういえば、今日は元々真奈の家に行く予定だったな)

 かつて莫大な治療費を肩代わりしてくれた見返りとして、定期的に家事代行する契約を交わしているのだ。当然だが本人が在宅時に家事を行うため、大抵は真奈が休日である日に伺うことが多い。

「今日付き合ってくれたお礼に、真奈の家で夕飯でも作ろうと思うんだけど、良いか?」

「OK、構わないわ」

 即快諾する真奈。

「それじゃあ、この後は買い物かしらね」

「それと、当たり前といえば当たり前なんだけど、美優とナディアが一緒でも大丈夫か?」

「構わないわ。一緒にご飯を食べた方が美味しいし、効率的だもんね」

「すまん」

 クロガネの思惑を見抜いていた真奈は微笑む。

「……聞いての通りだ。美優は放課後、真奈の家に合流。暗くなってきたから、寄り道はするな」

『解りました』

 すぐさま無線も兼ねた多機能眼鏡を介して美優と通信する。骨伝導なので周囲に彼女の声は聞こえない。

 クロガネは真奈の背後を見やる。

「ナディアもそれで良いな?」

「ウン」

「えッ!?」

 背中合わせのテーブル席から見知った褐色肌の少女が現れ、真奈は驚いた。

「ナディアちゃん、いつからそこに?」

「最初かラ。二人の後を付いて来たんだけど、マナは気付かなかったようだナ」

 どこか勝ち誇ったような顔で、ナディアは得意気にそう言った。

 真奈は思わずクロガネを見る。

「俺達が美術館の中を見て回っている間、ナディアには建物の外を見て回って貰ったんだ。外から侵入できる所や警備が薄い箇所がないか、とかな」

「そんな……」がくりと脱力する真奈。

「ねぇねぇ、今どんな気持チ? 二人きりのデートだと思っていたら、実際はそうじゃなかったと知って今どんな気持チ?」

「やめなさい」

 愉快そうな笑みを浮かべて追い打ちを掛けるナディアを、クロガネはたしなめる。

「……ふ、ふふふ……」

 突然嗤い出す真奈に、思わずギクリとするナディア。

「滑稽よねぇ……最初から鉄哉は下見だと言っていたのに、私だけデート気分で浮かれていただなんて、ふふっ……笑える」

 ゆらりと顔を上げる真奈の目は笑っていない。

「ご、ごめんマナっ! 流石にちょっと言い過ぎタ!」

 不穏な気配を纏う真奈に、ナディアはクロガネの後ろに隠れて謝った。

「何を謝るの、ナディアちゃん? 貴女の言う通りよ。私だけ浮かれて馬鹿みたいじゃない? 笑えるわよね? 笑いなさいよ。笑え」

「ヒッ」

 薄い笑顔を浮かべ、ゆらゆらと歩み寄ってくる真奈に、ナディアは涙目でクロガネの腰にしがみ付く。

「落ち着け真奈。お前はそういうダークな役じゃないだろ」

 冷静に見えてその実、クロガネもかなりテンパっているようだ。

 真奈はしゃがみ込み、ガタガタ震えるナディアと視線を合わせる。

「ナディアちゃん」

「ひゃ、ひゃい……ッ!」

「私は結構傷付いたよ……貴女がどれ程ヒドイことを言ったか、解るよね?」

 こくこくと何度も頷くナディア。

 口調こそ穏やかだが、真奈が怖い。

 普段はここまで怒ったことがないだけに余計怖く感じる。

「ナディア、これはちゃんと謝った方が良い」

「……ウン、ご、ごめんなさイ……」

 クロガネに促され、ナディアが謝る。

 だが。

「足りないわね」

 激おこの真奈には届かない。

「どうしろト?」

「本当に悪いと思うなら、誠意を見せて欲しいわ」

 鬼だ。ここに鬼が居る。相手はまだ一三歳の子供なのに。

「せ、誠意っテ?」

「例えば……鉄哉を一晩、私に貸すというのはどう?」

「ウ……」物凄く嫌そうな顔をするナディア。

『反対です』

 クロガネの懐から、抗議の声が上がった。

 クロガネはPIDを取り出すと、ホロディスプレイが展開され、人魚の姿を模した美優が険しい表情で現れる。

『話を一部始終聞いていましたが、流石にそのような理由でクロガネさんを一晩お貸しすることに関しては異を唱えます』

「そ、そうだそうダ。横暴ダ、不公平ダ」

「横暴はともかく、普段から鉄哉と暮らしている二人に不公平って言われたくないなー」

「『う……』」

 痛いところを突かれて言葉に詰まる美優とナディア。

 そして修羅場の渦中にして中心に居るクロガネはというと――


(夕飯は何にするかな……真奈ん家の冷蔵庫には何があったか……)


 ――全力で現実逃避していた。


(牛乳は……確か賞味期限が明日までだったか。早めに使い切ってしまおう)


『そ、それでも、本人の許可なく一晩ともにするというのは……』

「いや、実を言うとウチの親が鉄哉のことをすごく気に入っちゃってさ。近々また来るって話をしてるのよ」

『あのアグッレシブなお母様ですか……』

「あのアグレッシブな母親よ……それで二度目の来訪襲撃に備えて色々打ち合わせておきたいと思っていたのよ。本土から遥々来て貰っているから街の案内とか、食事のこととか、その他諸々」


(チルドには確かベーコンがあったな。野菜室には人参、玉葱、ピーマン、ブロッコリーにジャガイモもあったし、サラダの具材も充分か)


「アグレッシブで襲撃って、マナは母親に命を狙われているのカ?」

「いや全然違うよ。何というか、新しい家族(予定)に期待してる」

『言い方に語弊があります。いや、もしかして真奈さんは親御さんの期待に応えるための既成事実として、クロガネさんを一晩貸せと言っているのですか?』

「ナンダト? 流石にソレはいくらなんでも横暴どころの話じゃねーゾ!」


(特にジャガイモは、真奈の親御さんが大量に送って来たからストックはかなりある。ここで一気に消費したいところだけど、炭水化物ばかりのメニューなのもな……タンパク質とビタミン、ミネラルも欲しい)


「うるさいっ! 鉄哉と同棲している二人には私の気持ちなんて解るまい! こうでもしないと、いつまで経っても私にチャンスがないのよッ! もう二六でアラサーの沼に片足突っ込んでんのよッ! 最近になって行き遅れの影が怖いと感じる、私の気持ちなんて……!(涙目)」

『……実に切実ですね』

「あー、なんかゴメンナ……」

「……良いのよ、こっちも大人げなくてゴメンね」

『大人げないのはいつものことです』

「ダナ」

「おいこら」


(サラダは玉葱をスライスしてワカメとツナ缶も入れてみるか。鰹節も振り掛けて、ポン酢で味付け)


「それでこの場合、どうすんだヨ? ミユ」

『既成事実はともかく、それ以外は確かにクロガネさんと詰めて考えた方が無難ですね。何しろお母様ですし……』

「そんなにヤベーのか、マナのママ」

『ヤバイというか、超マイペースです。あの方を見たら、真奈さんが割とまともに見えます』

「まじカッ」

「もしもし? そっちこそ言い方に語弊があるんじゃない?」


(スープは、ジャガイモと西洋ネギリーキを合わせてポタージュにしよう)


正妻協議会ガールズトークで「お互いに合意の上ならば既成事実も認める」というルールを定めましたし、一晩くらいクロガネさんを貸すのは問題ないのでは?』

「……まぁ、クロも合意するかまでは解らないしナ。借りたらちゃんと朝までに元の位置へ戻しておけヨ」

「私が言うのもなんだけど、そのレンタサイクルみたいな表現はどうかと思うよ?」


(デザートと飲み物は……真奈の家に行く前に買いに行くか。お茶とジュース、二リットルのものを一本ずつ。デザートは安いゼリーかプリンで充分だろう)


「とりあえず、まとまったわね。きっかけをくれてありがとう、ナディアちゃん」

「エッ、怒ったりしたのも全部計算だったのカ?」

「まさか。怒ったのは本当だし、話の中身も本心よ。二人が同棲しているのは前々からズルイとは思っていたし、私が鉄哉と二人きりで過ごすのも構わないでしょ」

『お互いに公平フェアな条件でないといけませんからね。ただし、最終的な判断はクロガネさんが決めることですが』

「この三人の誰がクロの嫁になるカ……天の味噌汁」

「え? 味噌汁?」

『……天のみぞ知る、と言いたかったそうです』

「そう、ソレ」


 ……ようやく。ヒロインズの会話が落ち着いた、このタイミングで。


「よし。決めたぞ、皆の衆」

 唐突に、クロガネがそう言うと。


「「『えっ、決めたって何が?』」」

 大いに動揺するヒロインズ。


「夕飯はカルボナーラだ」


「「『貴方(クロ)は何を言っているんだッ!?』」」


 夕飯の献立が堂々と発表されるや、盛大なツッコミが入った。


「いや、食べるけどっ! ごちそうになるけどっ!」

「紛らわしイ……無駄にビビったじゃねぇカ!」

『流石にこのタイミングでないですよっ』

 やや呆れて怒ったような反応を見せる三人に、全然話を聞いていなかったクロガネは。

「えっ。な、何が?」

 と困惑した。




「……何とも、面白い客だな」

 離れた所から眺めていたカフェの従業員が、愉快そうにそう呟いた。


 今更だが。


 クロガネ達が今いる場所は、美術館の敷地内にあるオープンカフェである。

 従業員も他の来店客も皆、何とも賑やかに騒ぐ彼らの様子を生温かい目で見ていた。


 それから間もなく。


 クロガネ達が気まずそうに店を出たのは、わざわざ語るまでもない。

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