2.都市伝説とストーカー

 鋼和市北区にある『クロガネ探偵事務所』にて。


「どウ? 綺麗になったデショ」

 頭に三角巾とエプロンを身に着けたナディアが、掃除機片手にそう言うと、

「ほぅ~、やるじゃないか。最初に掃除の仕方を教えた頃とは比べ物にならない」

 クロガネは綺麗になったリビング兼オフィスを見回して感心する。

 ナディアは「ふふん」と得意げにドヤ顔を浮かべた。

 とある事情で、ナディアが探偵事務所に転がり込んできて早二週間。

 彼女もだいぶ新たな生活環境に慣れてきた。

「ワタシはやれば出来る子なのダ」

「それなら、夜はもう一人で寝れるよな?」

 えっ、とナディアはキョトンとなる。

「それはまた違う話でショ?」

「お前も年頃なんだから、いい加減俺の布団に入ってくるんじゃありません」

 幼少の頃から彼女に懐かれていたこともあって、今でも寝床に潜り込んで来るのだ。

 そして翌朝に、美優と一悶着あったりする。

 最初こそ美優はナディアに説教するのだが、彼女はどこ吹く風と言わんばかりに聞き流すため、最終的にその矛先は被害者であるクロガネに向けられる。完全にとばっちりである。

 ちなみにその美優は朝早くから高校に通っているため、今この場には居ない。といっても、ネット回線でクロガネの多機能眼鏡と繋がっているため、ナディアとのやり取りもリアルタイムで把握しているだろうが。


「夜中にクロが襲われないように、護衛してるんだヨ」

 ナディアが涼しい顔で同衾してくる理由を述べる。

「それで一緒に寝てしまったら、護衛の意味がないだろ」

 そう言ってから、指摘するポイントがズレていることに気付く。

「ともかく、せっかく個室を用意したんだから、今夜からは一人で寝てくれ」

「ヤダ」

「ワガママ言うんじゃありませんっ」

「ぶー」むくれてそっぽを向くナディア。

「ぶーたれてもダメなものはダメだ」

 端から見れば完全に親子の図である。

 だが親子と言っても、二一歳と一三歳では些か年が近過ぎる気もするが。


 ――ピンポーン。


 来客を知らせる呼び鈴が鳴る。

 時計を見れば、ちょうど開店時間を迎えたばかりだ。

「随分と気が早い客だな」

 いそいそと掃除機を片付けたナディアは、空気を読んでリビングから出て行った。流石に彼女も仕事の邪魔をする気はないようだ。

 再び呼び鈴が鳴る。

「はーい」

 ナディアの寝床に関してはひとまず後回しだ。

 クロガネは軽く身だしなみを整えると、玄関扉の向こう側に居る依頼人の元へ向かった。



 ***


 晩秋の肌寒いある日のこと。

 今日もまた白野探偵社に訪れた依頼人からの相談を、社長である白野銀子が対応している。

「ストーカー、ですか?」

「……はい、そうなんです」

 暗い表情で頷くのは若い女性だ。

 ちなみに白野探偵社では、原則として女性の依頼人には銀子や横山などの女性スタッフが対応することになっている。デリケートな女性特有の悩みや相談の内容を考慮してのことだ。勿論、第三者に聞かれないよう、防音がしっかり施された相談室で対応している。

「ふむ」

 失礼に感じられない程度に、銀子はストーカー被害の相談を持ち掛けてきた依頼人を観察する。

 依頼人の名前は松村彩子。二三歳・OL。勤めている会社の受付係を担当している。受付嬢だけあって、同性の銀子から見ても綺麗な容姿をしている。さぞ言い寄ってくる男も多いことだろう。

「被害を感じるようになったのは、いつ頃からですか?」

「確か、五月を半ば過ぎた頃だったかと思います……最初は変な視線を感じるなーと、気にしないでいたのですが」

「その視線を感じるようになったのは、勤め先の会社の中で? それとも、外で?」

「えっと、会社の外ですね。通勤や退勤中とか、オフの日とかでも外出した際には感じるようになりました」

 なるほど、と相槌を打ちながらメモを取る。卓上に置いた旧式のICレコーダーの画面には、経過した録音時間が表示されており、今もカウントを刻んでいる。この録音記録は後で警察に提出する予定だ。

「嫌なことを思い出させるようで申し訳ありませんが、それから今日に至るまでの被害内容を教えて頂けませんでしょうか? 可能な範囲で、詳細に話してくれると幸いです」


 銀子の真摯な眼差しを向けられた松村は俯き、されど詳細に被害内容を語った。



 ***


 私立才羽さいば学園。

 小中高一貫。アンドロイドやサイボーグの研究に力を入れている大学付属のマンモス校であるが故に、実験都市である鋼和市を象徴する代表的な教育機関でもある。


 その才羽学園高等部二年C組の教室にて。


 藤原優利ふじわらまさとしは、昼休みにPIDと呼ばれる鋼和市の住民証も兼ねた高性能情報端末で、熱心に動画を観ていると。

「藤原ー、何観てんだー?」

 クラスメイトで男子のリーダー格である内藤新之助が、背後から動画を覗き見る。

「あれ? これって」

「ああ、内藤くんが出てた演劇だよ」

 優利が観ていたのは、学園祭のMVPを飾った文化研究部の演劇、『SF竹取物語』だ。動画では、クライマックスの【竹取の翁】と【最強の剣士】の激しい殺陣が展開されている。

 ちなみにこの動画は、学園祭終了から一週間限定で希望する学園関係者のみに配信されたものだ。

 学生の安全やプライバシーを考慮し、外部からのアクセスやコピーなどがされないよう配信元である文化研究部(厳密には当時部員だった美優)によって厳重なプロテクトが施されている。

「学園祭が終わってもう二週間経つのに、まだそんなもの観てんのか」

「今でも観ている人は結構居るし、出演者が『そんなもの』扱いするのはどうかと思うよ」

「けどよー、何ていうか、自分が出ている動画を観られるのは、ちょっと恥ずかしいていうかさ……」

 どこか気恥ずかしそうに視線を逸らす内藤を微笑ましく思いつつ、優利は教室内の一角を見やった。

 そこには楽しそうに談笑している女子のグループの中で、一際美しい女子生徒がいた。

「内藤くんも、安藤さんみたいに堂々としてれば良いのに」

「無理言うなよ、向こうはヒロイン様だぞ。一瞬で主役に瞬殺されたチョイ役と並べるなよ」

 二人の視線の先に居るのは、『SF竹取物語』でヒロインの【かぐや姫】を演じた学園一の美少女、安藤美優だ。

 こと才羽学園において、夏休み明けに編入してきた美優の話題が今もひっきりなしだった。彼女が編入してきてもう一ヶ月以上が経過するが、『SF竹取物語』でその抜群な容姿と演技力で学園祭の話題を独占し、一躍時の人となったのだから無理もない。おまけに凛としたお嬢様のような外見に違わず、誰にでも礼儀正しい言動で接する穏やかな性格から彼女のファンも数多い。

「お前もなのに、みんな安藤さんばかりに注目するのな」

「あそこまで人気じゃ仕方ないよ。それにボクは気にしてない」

 藤原優利は学園祭が終了した数日後に、他校から二年C組へやってきた転校生だ。

 珍しい時期に転校してきたため、普通ならば生徒たちは優利に対して多少の好奇や興味を抱くものだろうが、美優の人気に追いやられた感があるのは否めない。もっとも、それで優利自身に不利益なことなど何もないどころか、美優の方から親切に接してくれたお陰で、すんなりとクラスに溶け込めたくらいである。

「最近、文研部に入部や見学する人が多いんだってな」

「間違いなく安藤さんのお陰だね」

 動画の視聴を再開する優利。

「任期満了で、安藤さんはもう文研部にいないっていうのに」

「それだけ彼女の影響力がすごかったんでしょ? 『SF竹取物語』を通して演劇や映画や脚本に興味を持った人も居るだろうし」

 ちなみに美優目当てで入部した者は内藤含め男子数名である。彼らも美優が退部すると同時に文化研究部を辞めている。

「今でも安藤さんは、ちょいちょい文研部に顔を出しているみたいだよ」

「本当に人が好いよなぁ」

 動画では刀からナイフに切り替えた【竹取の翁】ことクロガネが、【最強の剣士】を演じた新倉永八と激戦を繰り広げている。

「……いつ見てもスゴイ動きをするよな、この人達」と内藤。

「そうだね、この迫力は是非とも生で観たかったよ……、っと」

 画面上にメールの着信を知らせるアイコンが表示された。送信元の登録名を見て、優利は表情を明るくする。

「銀子さんからだ」

「バイト先の上司からか? 前々から思ってたんだけど、下の名前で呼ぶ辺り仲良いの?」

 内藤はメールの内容を見ないよう、優利の背後から正面に移動する。

「まぁね」

 メール内容を確認しながら肯定すると、

「その人って美人なん?」

 内藤の問いに、優利はPIDから顔を上げてニヤリとする。

「まぁね」

「くっそ、リア充め。美人で年上とか、お前とはこれまでだなっ」

 嫉妬した内藤は大袈裟に天井を仰いだ。



 ***


 放課後、東区の喫茶店にて。


「自分と同じ顔をした女?」


 ストーカー被害の相談を持ち掛けてきた松村彩子の証言を銀子から聴いた優利は、思わずそう訊き返した。

「そう。妙な視線から脅迫状めいた手紙といった定番のストーカー被害の他に、松村さんが気になることを言っていたの。『自分と同じ顔をした女が、笑みを見せて去っていく』って。追い掛けようとしても距離が離れていたり、線路を挟んで向こう側のホームだったりして結局は接触できなかったみたいだけど」

「その口ぶりからすると、『同じ顔の女』が依頼人の前に現れたのは一度や二度ではないみたいですね」

「もう三回も目撃したから、偶然ではないわね。ああ、ちなみに松村さんにはお兄さんは居ても、双子の姉妹は居ないわよ」

「……そうですか」

 危うく口から出そうになった『双子の姉妹オチ』を、コーヒーと共に飲み込む。

「同じ顔……まるでドッペルゲンガーですね」

「ドッペルゲンガー? 何それ?」

 ふと零した言葉に、銀子がキョトンとした表情で訊ねた。この辺が世間知らずのお嬢様っぽいなと思いつつ、優利は説明する。

「有名な都市伝説の一つですよ。自分と瓜二つの存在――ドッペルゲンガーを本人が見ると死ぬ、ってやつです」

「えっ、死ぬの?」と驚く銀子。

「あくまで迷信ですよ。ドッペルゲンガーはドイツ語で『生き写しの人』という意味らしいです。

 元はドイツ発祥の超常現象や幻覚の一種で、神話や伝説などにおいては『死や災難の前兆』として語られたそうです。

 そういった経緯からか、昔からドッペルゲンガーは魅力的な題材として、小説や映画とか様々な創作物に登場してます」

「なるほどね……松村さんが見たのは、ドッペルゲンガーだと思う?」

 そう訊ねる銀子の目は真剣だ。

「流石にそれは……鋼和市この街において、そんな非科学的な存在はありえないかと。精神状態が不安定な松村さんが見た幻覚あたりが妥当じゃないでしょうか?」

「まぁ、普通はそう考えるわよね……ああ、でも」

 一度納得しかけた銀子が思い直す。

「もしくは他人の空似とか。世界には自分と同じ顔をした人間が三人は居るというし」

「それこそ都市伝説でしょうに」

 真面目に語る銀子に、優利は苦笑する。


 とりあえず、松村彩子のドッペルゲンガーは一旦横に置き、今後のストーカー対策について詰めることにした。


「脅迫状について、警察には?」

「今のところ唯一の物的証拠だから、松村さんと被害届を出しに行くついでに持って行ったわよ……ああ、相談の録音データも一緒にね。

 それで脅迫状には当たり前だけど、差出人の名前も住所も記載なし。ワープロソフトで打ち込まれた印字だから筆跡鑑定も意味なし。指紋も松村さんのものしか検出されなかったから、深くは追究できないって」

 銀子はPIDを操作し、問題の手紙の内容を撮影した画像を見せた。

 勿論、松村本人に許可は貰っている。


 ――お前のせいで私の人生が滅茶苦茶になった。

 ――この報いは必ず受けて貰う。


 僅か二行の脅迫状。

「……文面からして、怨恨の線が濃厚ですね」

「ちなみに、松村さんは『誰かに恨まれるようなことをした憶えはない』って言っていたわ」

「本人に憶えがないだけで、無意識に恨みを買ってしまった可能性も否定できませんよ」

「そうだけど、現状はなんとも言えないわ。私達が受けた依頼は、このストーカーから松村さんの安全を保障することよ。そこは履き違えないように」

 釈然としないまま優利は質問する。

「警察から護衛は?」

「実害がない限り護衛は就きそうにないから、こちらで対応してくれって。まったく……」

 呆れたように顔をしかめる銀子。

 先日のオートマタ暴走事故(実態はテロ)の調査に、ほとんどの捜査員が動員されているのだ。昔から警察は多忙ゆえに個人の案件にはなかなか対応し切れないというが、世知辛い話だ。だからこそ、自分たちのような探偵業に仕事が回ってくるため、あまり文句も言えないが。

「護衛のプランは?」

「平日の通勤と退勤時、休日の外出には手の空いている社員で送迎するわ」

「長い依頼になりそうですね。ボクらはともかく、松村さんは経済的な意味で大丈夫なんですか?」

「すでに契約は済ませているとはいえ、報酬の方はまだ本人と相談しているわ。とりあえず今は送迎の時間帯のみをメインに護衛するわよ」

「送迎だけならお安い御用ですしね」

 ただし、と銀子は捕捉する。

「荒事になりそうな際、対処できそうなのは私とアンタ、それと上杉さんと宮下さんくらいね」

 上杉と宮下はそれぞれ柔道と空手の有段者ではあるが、護衛に当たれる人数が些か心許ない気がする。

「もうちょっと動員できなかったんですか?」

「他の社員も担当している案件があるからね。送迎だけとはいえ、上杉さんと宮下さんも空いている時間に無理言ってやりくりして貰っているから。フリーで動けるのは実質、私とアンタくらいよ」

「一応ボク、学生なんですけど」

「アンタのシフトは夕方以降と土日祝日にしておいたわ。ここまでお膳立てしてやったんだから、後はユーリが合わせなさい」

「無茶言いますね」

 本当にこの上司は時々キツイことを言う。

はアンタが言い出したことでしょう。スケジュールの融通くらい、利かせてみせなさい」

「本当に無茶ぶりですね、やってみせますけど」

「ならよし。次いくわよ」

 淡々と話を進める銀子。

「早速この後の予定だけど、仕事上がりの松村さんと合流して、そのまま彼女の自宅に向かうわ」

「盗聴器が仕掛けられてないか、家探しするんですね」

「そういうこと。もし本当に盗聴器が見つかれば、不法侵入は確実だから今度こそ警察も動いてくれるでしょ」

 依頼人の身の安全を確実にするために、不審者が侵入した形跡と盗聴器の存在を期待することになるとは。

「何と言うか、ボクらも大概不謹慎ですね」

「同感ね。でも、それも仕事の内よ」

 そろそろ行くわよ、と席を立った銀子を見て、優利はぬるくなったコーヒーを一気に喉に流し込んだ。



 夕方、銀子と優利は東区にある証券会社のオフィスビルから出て来た松村彩子と合流する。

 初対面だった優利と松村は互いに自己紹介を済ませると、松村が住んでいるアパートを目指し、駅へ向かう。

 程なくして横断歩道で信号待ちをしていると、優利が周囲を見回し始めた。

「どうしたの?」

 銀子の問いに、正人は正面に向き直ってから答えた。

「お二人ともそのままで」

 信号が青になって歩き出す。

 他の仕事上がりのサラリーマンや学校帰りの学生らが入り乱れる雑踏の中、真剣な表情で優利は言った。

「会社を出てからずっと尾行されてます。男二人です」

 松村が青い顔で息を呑んだ。

「……どうするの?」

 銀子は対応について優利に訊ねる。

 彼は他人の視線や気配に敏感だ。それも悪意あるものならばより明確に感じ取れるという。時にドМな変態であることに目を瞑れば、この手の状況に遭遇した場合はとても頼りになるため、上下関係を超えて銀子は優利に指示を仰いだ。

 優利はPIDを取り出して、現在地と近隣の地図を確認する。

「……このまま気付かないフリして進んでください。繁華街に入ったら合図をしますので、左手にある裏路地に入ってください。その後――」



 三人は交差点を渡り切り、そのままクラブや居酒屋など夜の飲食店が立ち並ぶ繁華街へ足を踏み入れる。

 そして。

「今ですっ」

 三人は不意に裏路地に繋がる横道へ飛び込んだ。

 その後を、遅れて男二人が続く。

 男達が暗い路地に足を踏み入れると、高校の制服を着た少年が両手に手袋を嵌めて待ち構えていた。

「……こんばんは。何か御用ですか?」

 優利は腰裏から抜いた特殊警棒を勢いよく振り下ろした。


 ジャキン!


 音を立てて、全長二〇センチ程だった警棒が六〇センチ程まで伸長した。

 男達が優利に気を取られている隙に、その背後で裏路地に入ってすぐの物陰に身を潜めていた銀子と松村が、こっそりと離脱する。

 それを見た優利は、ぶんぶんと適当に警棒を振り回して男達の意識を引き付けつつ、彼らに話し掛けた。

「最近、女性を狙う悪質なストーカーが後を絶たないんですよねー。そんな連中には正義の鉄槌を下すべきだと、あなた方も思いませんか?」

 男達はポケットやバッグから凶器を取り出した。

 一人は折り畳みナイフ、もう一人は包丁だ。

 刃物を手にした大の男ふたりと相対した優利は、

「……あはぁ」

 怯むどころか、どこか愉悦を帯びた笑みを浮かべる。

「上出来です、これで正当防衛が成立しました」

 ニタニタと不気味な笑みを浮かべ、警棒で肩を叩きながら歩み寄るその異様さに、男達は思わず後退った。

「容赦なく、ぶちのめしてやんよっ」

 優利は地を蹴り、ストーカー達に肉薄する。



 路地を離脱して表通りに戻り、優利が事前に手配してくれた無人タクシーに乗り込んだ銀子と松村は安堵の息をついた。

 それも束の間。

「だ、大丈夫なんですか? あの子まだ学生なのに、一人置いて……」

 我に返った松村が、銀子に詰め寄った。

「彼なら大丈夫です。荒事に関しては、ウチの会社で最も経験豊富ですので。とにかく、今は移動しましょう」

 松村は不安そうな表情を浮かべたまま、銀子の指示に従う。AIに自宅の住所を告げると、緩やかに無人タクシーは発進した。

「暗くて見えづらかったとは思いますが、あの二人の顔に見覚えはありますか?」

「……いいえ、ありません」

「そうですか……」

 それっきり二人は沈黙する。

 それから五分ほど過ぎた頃、銀子のPIDに着信が入る。

 サブディスプレイに表示された相手の名前は、

「ユーリ……!」

 逸る気持ちを意識して抑え、銀子は通話モードにする。

「……エリア51のレーザーは?」

『打球より速い』

 正しい合言葉で優利が即答した。少なくとも、敵に捕まり脅されて連絡してきた状況ではなさそうだ。

「無事ね?」

『勿論です。相手方は逃げられてしまいましたが、一人が持っていた凶器を落とすことに成功しました。指紋が付いているでしょうから、重要な証拠となるでしょう』

「お手柄よ。今どこ?」

 今度こそ安堵した銀子は、タクシーのAIに進路変更を命じて優利を拾うと、改めて三人で松村の自宅アパートへと向かった。



 南区の一角にある二階建てのアパートに辿り着いた一行は、最初に鍵穴やセキュリティシステムに侵入の痕跡や細工がされていないことを確認すると、松村の先導で彼女の部屋に入った。


 必要最低限の家具と日用品が揃えられた松村の部屋は、小綺麗だった。

 テレビはおろか小物や雑貨といったものは置いておらず、二十代女性の一人暮らしにしては些か質素な生活環境である。

「随分と片付いているんですね。日用品の他に、個人的な買い物とかはされないのですか?」

「え、ええ、まぁ。昔は浪費癖が酷かったので、今は自制するようにしているんです」

 興味本位な銀子の問いに、松村はしどろもどろにそう答えた。


 一方、優利は鞄から取り出した盗聴器発見器を片手に、部屋中のコンセントやベッドや箪笥の裏側など、家電製品の電源周りや家具の死角を中心に探索を行う。

 結果として、盗聴器の類は仕掛けられた形跡はなく、また家具を動かした痕跡もなかった。

「とりあえず、家の中までは侵入されていないようです」

「そうですか……ありがとうございます」

 安堵した様子で松村は銀子と優利に頭を下げた。心なしか顔色は良くなっているように見える。

 二人は松村が淹れてくれたお茶に口を付けた。スーパーなどで格安で売っているインスタントものだ。

「今後、安全が確認されるまでは、こちらが用意した車で移動するようにしてください。それと、在宅時は鍵とチェーンの二重ロックでお願いします。宅配便が来た際は、チェーンロック越しにサインを行い、荷物は足元に置いて貰って、配達員が居なくなった後に入れるようにしてください」

 配達員や役員に変装して自宅に押し込む犯罪者も増えているため、銀子は念入りに防犯の心得を松村に教え、彼女もメモをとりつつ熱心に耳を傾けていた。

「……解りました、ありがとうございます」

「それでは私達はこれで。何かありましたら、遠慮なくご連絡ください」



 銀子と優利はアパートを出ると一息ついた。

「何とか初日は無事に終わりましたねー」

「そうね。あとはなるべく早い内に解決できると良いんだけど……って、どうしたの?」

 ふと、優利が道路を挟んだ向こう側にある路地を凝視していることに気付いて、彼の視線の先を見やる。

 だが、暗闇に包まれた路地には、何者の姿を窺い知ることは叶わなかった。

「……まさか、またストーカーが?」

「……いえ」

 警戒を解いて首を振る優利。

「気のせいだったみたいです」

「……もう遅いし、今夜はウチに泊まっていきなさい」

「えっ、良いんですか?」

 思わぬ提案に、優利は驚愕と期待が入り混じった表情を銀子に向ける。

「やばい……ちょっと興奮してきました。これは思春期男子特有のR18指定な展開とか期待してもいいですか?」

「私の護衛にと思ったんだけど、お望みならR18G的なものにしてやるわよ?」

 ぎゅっと、青筋を浮かべた銀子が優利の尻をつねり上げる。

「おぅふッ♡ こんな所で、銀子さんってば大胆~♡」

 公道の上で恍惚の表情を浮かべて身をくねらせる変態がいた。

 慌てて銀子は手を離す。

「くっそ、ドMには羞恥心がないの? 私の方が恥ずかしいわ」

「おっと、それは大変だ。ボクはともかく、銀子さんに恥をかかせるワケにはいきませんな」

 唐突に真顔で真面目なことを言う優利に辟易する。

(本当に、コイツはよく解らない……)

 とりあえず気を取り直し、銀子は帰宅を促す。

「まったく……ほら行くわよ」

「あっ、その前にちょっと警察署に寄って良いですか? さっきのストーカーが持っていた凶器を抜き身のまま鞄にしまっているのは、どうにも落ち着かなくて」

「ああそうだったわね。それじゃ、まずは警察署ね」

 先行する銀子に付いて行こうとして、優利は再度、先程の路地を見やる。


 ――やはり、何も誰も居ない。


 視線を切り、優利は銀子の元へ足早に向かった。

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