第47話 いぶき

「名前は無い、まだ一人前じゃないからな」

子供天狗のこの言葉に、りつは不思議そうな顔をした。


「何を言っておるのじゃ?」

りつは首を傾げる。

「童は立派だぞぉ」

鬼丸が声をかけてくる。鬼丸はまだ人間の子供だと思っているのかも知れないと、子供天狗は思った。


「俺がいい名前つけてやろうかぁ」

鬼丸は嬉しそうに提案してくる。

「なんと…?なれば我も考えてやろうではないか!」

りつも楽しそうにして鬼丸の近くへ行くと、二人は何やら相談し始めた。


一人前になってこそ、名前を得られるのが子供天狗の育った天狗の里の決まりだ。子供天狗は二人の提案をどう断ろうかと悩む。鬼丸に悲しそうな顔をされるのは、嫌なのだ。


「まぁ良いでは無いか」

山ギツネが淡々と言って話しかけて来た。

「あの娘もこの世限りの名と言っておるじゃろ。お前も一人前になるまでの名だとおもえばいい。儂もお前を呼ぶ名があると都合がいいしな」

いつもお前、お前と言われるのも確かに心地良くは無い。

「そうか?なら一人前になるまでの名…」


「いぶきだぁ!」

「いぶきじゃ!」


鬼丸とりつが揃って声を上げた。


「いぶき?」

「そうじゃ、それが主の名じゃ!」

りつは横にくっついて来て、顔を覗き込んでくる。


「いい名だぁ!」

鬼丸は腰に手を当て、良いものを見るかの様に見てくる。


「いぶき…」

名と言われても、不思議なものだ。これからは、いぶきと呼ばれれば、自分の事なのか。


「そうじゃぁ、いぶき。こっちを見るのじゃ!」

りつは嬉しそうに言う。

見るも何も、隣に引っ付かれていて、顔を向ければ頭にぶつかってしまう。


そんな様子を見ていた山ギツネ。

ふと思うところあって、天人に声かける。


「おい、あれは大丈夫なのか」


あれ、とはりつの事だった。

「天から落ち力を落とすなどあり得んじゃろ」

言われた天人は困った様に山ギツネを見た。

「ううん…、実は最近、天の界隈で不穏な動きがあるらしいんだ…。もしかすると、それが関係しているのかも知れないね」

阿呆故の結果では無いという事かと、山ギツネは一瞬考えたが、鬼丸と騒ぎ子供天狗に引っ付く姿を見ては、やはり阿呆にしか見えぬのだった。


「狐も名、どうだぁ?」

不意に鬼丸が声かけてくる。

「いや遠慮しておく」

淡々と答える。

「何じゃぁ、愛想のない狐じゃの!」

りつはご立腹で子供天狗に寄りかかる。

「遠慮せんでいいんぞぉ」

鬼丸が何を勘違いしたのか、また声かけてくる。

「いやよい。結構」

今度ははっきりと断って終わる。


「君も気をつけてね」

天人はそう言って山ギツネに微笑む。


その視線を受けて、ふと思い出した。

「月が落とされたのじゃろ」


子供天狗が執着していた童の、家の屋根の板の事だ。


二日月が何者かに落とされ、ずっと木に隠れていたというのだから恐ろしい。

「天魔が月を落とそうと暴れているらしいね。今の所、二日月は逃げきって空に帰れたけど、天魔が捕まっていない以上、今後どうなるやら」

もし全ての月が落ちて封じられる事があれば、人間の世の月は無くなってしまう。

「どこもかしこも不穏じゃの。東の鬼の事もある」

「そうだね」

この世で何かが起きかけている、そう思ったが口にはしなかった。口にすれば、本当になってしまう様な気がした。奇遇であって欲しい。


「山ギツネも来るよな?」

子供天狗がりつを体から離しながら聞いてくる。


「儂は行かぬぞ、この地の地蔵に使える身うえ」


子供天狗ははっきりと悲しそうな顔をした。お面をしていないと、何もかも隠せていない。

「そうなのか?」

「そうじゃ」

子供天狗は受け入れられない様で、何かを待っている。しかし言ってあげられる答えは変わらない。


「生きていればまた会える。お互い長い一生じゃろ」

「…」

子供天狗はそれでも変わらず困った顔で山ギツネを見ている。山ギツネは少しつらくなって、子供天狗に近寄った。


「そんな顔をするな、一人前になって戻って来たらいい。褒めてやるぞ」

尾っぽで子供天狗の足を撫でる。

すると子供天狗はしゃがんで、山ギツネの顔を両手で挟んだ。圧が強めではあったが、山ギツネは何も言わずにいてやった。

「約束だぞ、また会うからな」

山ギツネは圧に耐えながら、頷いた。

「すぐだからな」

再び頷いてやった。

子供天狗が目に涙を溜める。面をしていないと、この子供天狗は本当に何も隠せない。

「泣くな、いぶき」

鬼丸がつけてくれた名前で呼ぶ。


子供天狗は耐えきれずに山ギツネに抱き、それからしばらくそうしていた。


その間、子供天狗の少し後ろで同じ様にしゃがみ込み、もらい泣きしているりつが見える。あまり天人らしくない娘だなと、頭の片隅で山ギツネは思った。


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