♰04 精霊の悪戯。



 翌朝に花畑まで戻ってみると、元通りになっている。

 踏み潰された形跡がない。モウスの死体もなくて、別の花畑に来てしまったかと思った。

 しかし、太陽で方角を確認して、元の道に戻ったことを確信する。


 精霊がいるんだ……。


 そう思った。精霊にしか出来ない技だろう。

 花畑を再生して、死体を消したのは……。

 驚きつつも、口元を緩ませた。

 また美しい花畑が見れたから、ほっこりしてしまう。

 少しだけ時間がある。ちょっとだけこの景色を眺めさせてもらおう。

 リュックを下ろして、私は隅っこに腰を置く。花の香りが飽和する。

 蝶々が踊るように舞う。そよ風が花を揺らし、私の髪を揺らした。

 んー、やっぱり長い髪は邪魔だ。

 リュックのポケットに確か……あったあった。ずっとしまっておいた髪ゴム。古びているが、使える。まとめ上げて、後ろで一本に束ねた。よし。


「よっこらしょ。出発しますか」


 存分に味わったので、私は精霊の森グラーティアスをあとにすることにした。

 ヘニャータちゃん、私だってわかるかなぁ。

 匂いからして、判別してもらえると思うか。


「先にギルドに行かないとだ」


 牙と目玉を提出して、討伐完了報告をしなくては。

 ルンルンした足取りで、王都まで戻った。

 夜になってしまったが、その足で冒険者ギルドに足を踏み入れる。

 行列が並んでいたが、若返ったおかげか、体力はまだあると思う。


「こんばんは。討伐報告です。それと、標的が凶暴化していたので、目玉も」


 にっこり、と笑いかける相手は、あの目がキリッとした眼鏡の受付嬢だ。

 牙と黒い目玉を出す。そして、ダグもだ。

 ダグを受け取った受付嬢は、さらに目をキリッとさせて、私を睨む。


「このライセンスの持ち主とは、別人のようですが?」

「え?」

「私は一度見た冒険者は覚えております。別人ですよね? あなたはロイザリン・ハート様ではありません」


 どうやら、私を覚えていてくれたらしい。

 髪が長く伸びているし、頭の上から白銀だし、若返っている。


「ライセンスを奪ったということなら、罪に問われます」

「あ、いえいえ! 私です! 本人です! ロイザリン・ハートです!」


 困ったな。証明できるものがない。

 ダグなどを盗んだと思われている。

 ここは正直に若返りの秘薬を飲んだと打ち明けておかなくてはいけないか。


「ロイザリン・ハート?」


 後ろから鋭利な低い声が、私の名前を呼んだ。

 振り返ると、軍服のようなロングコートを纏った藍色の一団がいた。

 先頭には、長身で漆黒の長髪の男性が立っている。その人が声の主のようだ。


「はい、ロイザリン・ハートですが?」


 頷いてから小柄な私は、その男性を見上げた。

 鋭利な琥珀の瞳を持っている。昨日戦った凶暴化モウスとは比べものにならないくらい、ひしひしと威圧を感じた。この人、強いな。

 それとも、威圧的な存在感を持っているだけだろうか。いや、それも強さだろう。

 それでいて、静かな雰囲気を持つ。

 鋭利な琥珀の瞳は、私を凝視する。


「……三十歳前後の女性と聞いていたが?」


 私は男性の着ている軍服のようなコートをもう一度見た。

 ああ、これ警備騎士のものか。

 それに、首にはゴールドのダグがぶら下がっている。

 間違いない。ヘニャータちゃんの言っていた警備騎士の総隊長だ。

 現時点で最強の冒険者。レオナンド・グローバー。

 こんなに若いとは驚きだ。勝手に白髪混じりの大男と思っていた。私と変わらないのではないか。

 あっ。私は若返っているから、比べちゃ悪いか。


「私がロイザリン・ハートです」


 ダグを持って、私は自己紹介をした。 

 それから、受付嬢を振り返って笑いかける。


「実は、精霊の森の若返りの秘薬を飲んで、この姿になったんです」


 ギルドの中の人々が注目していたから、私の言葉を聞いてざわめきが起きた。


「! ……あのグラーティアスの森の?」


 レオナンド総隊長が、驚きで目を見開く。

 この人が驚くとは意外だ。ポーカーフェイスしそうなのに。

 なんだろう。周囲の人達の驚きよう。

 はっ! まさかとんでもない代償があったりすのだろうか!?

 そうだよね、精霊が作った秘薬はいえ、なんの代償もなく若返るわけないよね!

 怖いなぁ、寿命があと一月とかだったらどうしよう……。

 私それまでに最強になれるかなぁ。


「はい、そのグラーティアスの森の中の洞窟にあった小瓶の中を、一口飲みました」

「……その姿になったと?」

「はい」

「……味はどうだった?」

「普通に美味しい水でしたね」


 尋問のように質問続き。低い声は、相変わらず強い。

 ざわめきも強くなった。


「精霊の秘薬を飲んだだって?」

「おいおいまじかよ!」

「しかも美味しかったとか、ありえねぇ!」


 ざわざわ。周りの冒険者は、信じられないといった様子だ。


「んん?」


 私はその反応の意味がわからず、首を傾げた。


「ロイザリン・ハート」

「はい、なんでしょう?」


 レオナンド総隊長が、改めて名前を呼ぶ。


「精霊と会っていないのか?」

「精霊には会ってないですねぇ」


 精霊には、簡単に合えるものではないだろう。

 私は、もう一度首を傾げた。


「失礼、レオナンド総隊長。ハートさんはご存知ないようなので、私から説明をしてもよろしいでしょうか?」


 レオナンド総隊長の隣から出てきたのは、煌びやかな金髪と青い瞳を持つ見目麗しい男性だ。

 同じく警備騎士のようで、藍色のコートを着ている。物腰柔らかい口調。

 レオナンド総隊長とは、タイプが真逆の感じ。


「ハートさん、私は警備騎士一番隊の隊長を務めるリュートと申します」

「どうも。ロイザリン・ハートです」


 自己紹介をしたところで、リュートさんはこう話し出した。


「精霊の秘薬は、過去に若返りの秘薬だと噂が立ちましたが、そうではありません。実際は、ただの精霊の悪戯です」

「えっ!?」


 驚愕してしまう。

 精霊の悪戯!? 若返りの秘薬ではない!?

 でも実際、若返ったけど!!?

 混乱してしまった。


「飲んだ者は、大勢います。しかし、全て効果はありませんでした。味は人それぞれ。酸っぱかったり、辛かったり、不味かったり。しかし、美味しいと言う人はいませんでした。あなただけが、例外のようですね」


 優しく微笑むリュートさんは、そう告げる。


「精霊は気に入った人間のために、澄んだ水を与えたり、木の実を熟した甘い実に変えたりするものです。つまり、あなたは精霊に気に入られたのでしょう。美味しかったのも、若返ったのも、精霊の仕業で間違いないです。本当に会っていないのですか? 契約を持ちかけられたりしませんでしたか?」


 唖然としてしまう。

 精霊に気に入られてしまったのか。

 精霊に契約を持ちかけられてしまうほど?

 いやでも、全然持ちかけてもらってないけども。


「……ええ、森では凶暴化したモンスターしか見ていません。そのモンスターを退治したお礼でしょうかね?」


 ちょっと残念だ。精霊と契約出来たら、最強の座も簡単に手に入れられただろう。

 ちゃんと若返ったのだから、それでよしとしようか。

 致命的な代償がないのだ。胸を撫で下ろそう。

 私はホッとして、リュートさんに笑いかける。


「そうかもしれませんね」


 リュートさんも、笑った。


「と、いうことで、依頼を引き受けたロイザリン・ハート。本人です」


 くるっと後ろを振り返って、受付嬢にも笑いかける。


「申し訳ございませんでした!」

「いえいえ、私も早く言わなかったので、ごめんなさい。それでは、報酬をください」


 ちょっとおちゃらけた笑みで言っておく。

 受付嬢はとても申し訳なさそうにぺこぺこと頭を下げて、それから手続きを行ってくれた。


「えっと、それで、総隊長さん達はこの前私が引き渡した悪人達の件で、私を探しに来たのですか?」


 くるっとまた後ろを振り返ると、レオナンド総隊長もリュートさんもまだいる。

 警備騎士が事情聴取をしに来たのだろうと予想した。


「ああ、そうだ」


 レオナンド総隊長が、答える。


「ロイザリン・ハート。この前の手柄で、売買組織を一つ芋づる式に捕まえることが出来た。警備騎士から礼を伝える」


 ビシッとレオナンド総隊長とともに警備騎士達が敬礼をした。

 ピッタリ揃った動きが、かっこいい。


「え、そうなんですか?」


 まじかぁー。自分の罪を洗いざらい吐くとは思っていたけれど、まさか警備騎士達が揃ってお礼の敬礼をしてくれるほどの協力をしてくれるとは。


「どうもありがとうございます」

「お礼は受け取っておきます。でも警備騎士さん達の仕事ぶりがよかったのでしょう。わざわざ、お礼をありがとうございます」


 リュートさんもお礼を言うから、私もお礼を返した。


「あなたのおかげで救われた人がたくさんいるのですよ」

「……それはよかったです」


 あのダークエルフの少年のように、売られそうになった人々を救えたのだろう。

 私は、顔を綻ばせた。

 リュートさんも、笑みを深める。


「精霊が気に入るわけですね」

「?」

「心の清い人間だと、私にもわかります」

「え? そ、そうですか?」


 こんな美しい男性に心が清いなんて言われては、照れてしまう。

 私はモチモチお肌の頬を押さえた。


「ハート様、報酬が用意出来ました」

「はいっ!」


 受付嬢に呼ばれ、振り返る。モチモチの頬から手を離して、報酬を受け取った。

 注目を集めすぎたから、さっさと出ていこう。


「失礼しますね」


 ペコッと頭を下げてから、レオナンド総隊長とリュートさんの間を通り過ぎようとしたが、報酬を持っていない手を掴まれた。レオナンド総隊長の手だ。男らしくゴツゴツしていて大きな手。熱い。

 異性の温もりに、先程よりも強い照れを感じてしまった。

 長袖で火照る頬を覆い隠す。


「報酬を渡しに行く。宿泊先は?」

「あーえっと、報酬なんて、そんな……」

「女性の宿泊先を聞くのはだめですよ、レオナンド総隊長。お暇な時に、警備騎士舎へいらっしゃってください」

「いや、あの、いらないですよ? 報酬」

「いえ、受け取ってください。元々、冒険者にも依頼していたので、その報酬ですよ」


 レオナンド総隊長がギロッと、リュートさんを見下ろす。

 なんだろう、その目。


「なるほど、そういうことならいただきます。では明日にでも警備騎士舎に寄らせていただきますね」


 どこにあるか知らないけど。探す。


「では、明日」

「明日だな」


 今度こそ先にギルドを出た。

 それにしても、精霊の悪戯かぁ。

 ……本当に効果があってよかった。

 警備騎士にお礼をもらえるし、明日は防具と服を新調しよう。

 それから、ランク上げの試験について調べる。調べたら準備をして挑む。最強まで駆け上がるぞー!

 おーうっ!



 ◆◇◆




 ギルドにて。


「なーにが冒険者にも依頼していた、だよ。嘘つきなだな。リュート殿下」


 受付の奥から出てきた大柄の男は、そう言う。


「そう言った方が受け取りやすいと思いまして」


 殿下。そう呼ばれたリュートは、ただただ微笑む。


「全く。しっかし、とんでもねぇな? 本当に若返るとは……レオナンド? どうかしたか?」


 大柄の男は、ガシガシと自分の頭をかいたあと、返事をしないレオナンドを呼ぶ。

 レオナンドは、自分の手を見ていた。


「……。ギルドマスター、ロイザリン・ハートの出身から功績を調べてくれ」


 口を開いたレオナンドは、そう頼んだ。


「そりゃいいが……なんか気になるのか?」


 大柄の男、ギルドマスターは確認する。


「……少しな」


 それだけを答え、レオナンドは踵を返す。

 警備騎士達を引き連れながら、ギルドをあとにした。

 そして、ロイザリン・ハートのことを思い出す。

 白銀の長いウェーブの髪は毛先が真っ赤な少女の姿。

 大抵はレオナンドを前にすると気圧されたり怯えたりするのだが、少女は違った。

 こちらを見つめ返すペリドット色の瞳は、冷静でいて強かった。


「……面白い」


 精霊に気に入られて若返った女冒険者。

 それだけでも愉快だが、興味がそそられたのだった。



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る