出会って早々口喧嘩

 チウシンに連れられるまま、リンフーは【槍海商都そうかいしょうと】の物見遊山を楽しんだ。


 色々な店や名所へと案内してくれた。今まで食べたことのない、異国の珍妙な菓子なんかも食べた。


 田舎者であったリンフーにとってはどれも新鮮で、足を進めるたびに感動を新たな感動で塗り替えた。


 途中で中央広場の方角から、ごぉぉん、ごぉぉん、という重々しくも甲高い音色が微かに聞こえてきた。


「【霹靂塔へきれきとう】の鐘の音だよ。正午になると鳴るんだよ」


 そのチウシンの説明に、リンフーは「へぇー」とさらなる感動を抱いた。


 時計塔の鐘が鳴った現在、二人はこれまで以上に人の多い場所に立っていた。


 そこは大規模な船着き場だった。


 多くの船が停泊しており、船と陸の間を絶え間なく船乗り達が出入りしている。人間と一緒に船から出入りしているのは、大小さまざまな荷物。


 船着き場から後方へ離れた場所では天幕がたくさん並んでおり、あらゆる物品が売られていた。明らかに異国のものと思われる品が多い。中には高い酒精を誇る北国の酒や、極東の島国原産の濁り酒なんかもある。シンフォさんが来たら大喜びしそうだな、とリンフーは思った。


 ガヤガヤと人の営みの音が絶えないその場所は、【槍海商都】の交易場である。


 広大な円形の【槍海商都】。その南東へ虫瘤みたいに出っ張ったその交易場は、南西を流れる【奐絡江かんらくこう】の支流と東の海を結ぶ運河に沿って存在している。この運河によって、【槍海商都】は【奐絡江】を介して大陸中と繋がっているだけでなく、海外の港とも繋がっているのだ。ゆえに、国内外のモノやヒトが入り乱れている。


 そんな力強い人の営みを、使われていない木箱に座ったリンフーは惚けた顔で眺めていた。


「……すごいなぁ」


「リンフーもそのうち慣れるよ。昨日から、ここで暮らし始めたんだよね?」


「そんなもんかな」


 隣に座るチウシンは頷くと、足に持った串料理をひと齧りした。丸っこい馬鈴薯ジャガイモを揚げて串刺しにしたものだ。


 よく咀嚼してから、こくん、と飲み込むと、チウシンは唐突に話の進路を変更した。


「そういえばリンフーって、あの綺麗なお姉さんに武法を習ってるの?」


「シンフォさんのことか? ああ、そうだよ。習い始めて四年になるかな」


「そうなんだ。あの人、リンフーのお姉さんとか?」


「違うよ。ボクの保護者みたいなものだけど、血の繋がりはない。あと、シンフォさんは【亜仙あせん】だから、お姉さんって呼び方は必ずしも適切じゃないかも」


「嘘っ? すごいなぁ。あんなに綺麗なまま何十歳も歳取っちゃうなんて、やっぱり羨ましいなぁ」


 羨望するように目を輝かせるチウシン。


 やはり女性は誰であっても、「不朽の若さ」に憧れを抱いてしまうのだろう。


 ——【亜仙】とは、武法の修行者が稀に獲得する後天的体質である。


 武法は人体の潜在能力を解放する武術だ。熟練すると肉体が活性化し、常人よりも老化が遅くなったりする。そのため武法士には、見た目と実年齢が若干噛み合わない人が少なくない。


 だが、稀に修行の過程で肉体が大きく変質し、外見的な老化が完全に止まってしまう人間も現れる。……それこそが【亜仙】。


 その【亜仙】であるシンフォは非常に見目麗しい外見をしているが、実はリンフーの何倍も年上なのである。


 だが、あくまで外見の老化が止まるだけだ。寿命は普通の人より多少長くなるものの、やはり寿命はあるのだ。「不老長寿」ではあっても「不老不死」ではない。


 ……伝説では、外見の不老だけでなく、寿命そのものも克服した完全なる不老不死【真仙しんせん】なるものが存在するが、あくまで伝説である。


「そういえばね、この都にも【亜仙】の武法士が一人いるよ。范慧明ファン・フイミンっていう凄い人なんだけど」


 チウシンの発言に、リンフーはビクッと反応。


范慧明ファン・フイミンって……まさか【白幻頑童はくげんがんどう】のことか!? 変幻自在の歩法を得意とする【奇踪拳きそうけん】の達人で、武法の世界における生ける伝説! まるで瞬間移動みたいに一瞬で遠くまで移動できる不思議な技の持ち主で、殴ったと思ったら背中にいて、遠くにいたと思ったら間近まで近づかれて蹴られてるっていう……理屈はよく分からないけどとんでもない技と強さを持った女傑! 見た目は幼女だけど、その実年齢は百を超えてて、いくつもの武勇伝を抱えてて——」


「てい」


「はむぐっ……美味いなこれ」


 うるさい口を、チウシンの馬鈴薯ジャガイモ揚げが塞いだ。


 もふもふとリスのように咀嚼するリンフーに、チウシンはクスクスと笑声をこぼした。


「リンフーって、本当に武法の英雄豪傑が大好きなんだね」


「おうとも。大好きだぞ。【一打震遥いちだしんよう】、【一指通天いっしつうてん】、【拳林衝雨けんりんしょうう】……いろんな英雄好漢の伝説を知ってるぞ。特に【一打震遥】はボクのお気に入りだ。あまねく戦いを一撃で終わらせてきた……まさしく男の戦いって感じだ。一日中だってその武勇伝を話せるぞ」


「へぇー。でも一日中話すのは嫌かなぁ」


 チウシンのもっともな意見に、リンフーは相好を崩した。


「リンフーはさ、どうしてそんなに武法の英雄が好きなの?」


 その何気ない質問に、リンフーは遠き日を懐かしむように空を見上げながら、しみじみ答えた。


「……昔、助けてもらったんだ。英雄に」


「英雄?」


「うん。ボクの実家、小さい定食屋をやってるんだけどさ、四つの頃、強盗が来たんだ。……金目当てじゃなくて、母さんが目当てだった。母さんは身贔屓を抜きにしても、とても美人だった。だからそいつらは母さんを誘拐して売ろうと考えてたんだ。ボクは母さんを助けようとしたけど、ボクは当時四歳だった上に、そいつは武法士だった。あっさり半殺しにされて、母さんは連れて行かれそうになった。そこで……」


「英雄が来た?」


「うん……偶然店で飯を食ってた武法士が助けてくれたんだ。恐ろしいその悪漢どもを、あっさりと倒しちゃったんだ。連中はそのまま死んじゃったけど、結果的にボクと母さんは助かった。ボク達がお礼を言うと、その武法士は頷いただけで、勘定を払って無言で出て行っちゃったんだ」


 当時のことを思い出し、リンフーは嬉しそうに微笑した。


「めちゃくちゃカッコ良かった。四人をあっさり殺してのける強さにじゃない、人を助けることを当然のようにこなし、それに対する見返りを求めないで黙って去っていく……あれこそ、男の中の男だと思った。ボクは、あんな男になりたいって心から思った。……ちなみに後々分かったんだけど、その武法士こそが【一打震遥】だったんだ」


「だから、【一打震遥】のことがそんなに好きなんだね」


 リンフーはニコニコしながら頷いた。


 チウシンもつられてニコニコしそうになったが、何か思い出したようにハッとすると、少し表情を曇らせた。


「でも【一打震遥】って、もう……」


「知ってる。ナントカって言う武法士と決闘をして、死んでるんだろ? 確かに悲しいけど……でも仕方ないさ。互いに合意の上の決闘だったらしいから、そうである以上罪にはならない。【一打震遥】だって、それを承知で戦ったんだ。彼は不当に殺されたわけじゃない、自分の意思で戦って、命を落としたんだ」


 リンフーは努めて明るく笑う。


 チウシンも曇った表情を引っ込め、微笑を返す。それから足で持った串揚げを差し出した。


「はいリンフー! これでも食べて元気出して!」 


「え、いやあの、足で渡されるのはちょっと」


「いいからいいから! はい、あーん」


 足で食べさせようとする姿勢を頑として崩さない、蹴り使いの美少女。


 美脚というのはこういう脚のことを言うのだろう。蹴りを多用する武法を習熟しているはずなのに、その脚には歪みの一つもない。程よく細く、されとて瑞々しい肉の凝縮が見てとれる健康的な全体像。リンフーの顔が映りそうなほどの艶やかさを誇る下腿の肌は、まるで磨きあげられた銀のよう。五指は完璧な長さの配分で、爪も綺麗に整っている。……そのふっくらとした指が、串揚げの棒を摘んで、リンフーの顔の前まで突き出されていた。


「う……」


 なんだかとてもイケナイ事をしているような感じがして、リンフーの頬が熱を持った。


 食べようかどうか迷っていると、




「——チウシン? 何をしているんだ、こんなところで」




 知らない声が、チウシンの名を読んだ。


 若い男の声だ。そう思いながら、リンフーは音源を振り向いた。


 船乗りの往来を背景にして、一人の青年が立っていた。


 歳はリンフーと同じくらいか、あるいは少し上。


 うっすら赤みがかった黒髪。それなりに端正だが気の強そうな面構えで、瞳にはみなぎる生気が光っている。細身だがどことなく鍛えられていることが分かる体軀。左腰には細身の直剣が帯びられていた。


 燃えくすぶっている熾火を連想させる青年だった。


 そんな青年に対し、チウシンは慣れた口調で話しかけた。


「あ、励峰リーフォン。こんちわっ」


「ああ。ところで、こんなところで何をしているんだ?」


 気の強そうな顔立ちだが、チウシンと話し始めると、少しばかりその表情が和らいだ。微笑さえ見える。


 チウシンは、にはっと笑いながら答えた。


「ちょっと、昨日この都に越してきた人を案内してたんだ! 良かったら、リーフォンも一緒にどうかなっ?」


「その娘をか?」


 その青年——リーフォンは、リンフーの顔へ目を向けてそう訊いた。チウシンは首肯を返す。


 娘。


 今、チウシンと一緒にいる人間は、リンフーしかいない。


 つまり、リンフーを女だと勘違いしている。


 女の子みたいな顔と、華奢で小柄な体つきだ。間違えられることもある。だが、それでもリンフーはちょっとムッとした。


「誰が娘だ。ボクは男だぞ」


 抗議の口調でそう言葉を投げた。


 途端、リーフォンは信じられぬとばかりに目を見開く。だがしばらくすると驚愕の表情は、警戒と疑念、そして微かな不快感を混ぜたような表情へと変じた。


「男、だと……? おい小僧、チウシンに妙な狼藉を働いてはいないだろうなっ?」


 ツカツカと詰め寄りながら、火の粉を吐くようにそう尋ねてきた。


 その物言いに、リンフーは本格的にカチンときた。


「小僧じゃない、リンフーだ! それに妙な狼藉って何だ!? 何でポッと出のお前なんかにそんな下衆の勘ぐりをされなきゃならないんだ!?」 


「ポッと出だとっ!? 俺はチウシンの幼馴染なんだ! 貴様の方がポッと出だろう!」


「やかましい! 今いきなり現れた時点でボクにとっちゃポッと出だ、このポッと出野郎!」


「貴様言うに事欠いて! 俺を侮辱する気か!? 覚悟は——いてっ?」


 燃え上がりそうになっていたリーフォンの頭を、チウシンの踵がぽくっと軽く叩いた。


「もう! 失礼だよリーフォン! この都に来たばっかりなんだから、歓迎しないとっ」


 ぷりぷり怒るチウシンに、幼馴染の青年は悪戯を咎められた子供のような顔で、


「俺はただ……その、お前が心配だっただけであって」


「心配してくれるのはありがたいけど、それで誰彼構わず突っかかるのは違うよね? さぁ、リンフーに謝って?」


「えっ……な、何で俺が」


「リーフォンが先に怒らせたんだから、謝るのもリーフォンが先! さ、早く!」


 そう強く促されると、リーフォンは苦虫を噛み潰したような顔をしながら、リンフーへ言った。


「す……すまなかった」


 リンフーは頷くだけで、「こちらこそ」とは言わなかった。謝りたくないけど渋々、という気持ちが見え見えだったからだ。


「よしっ、よくできたね! 偉い!」


 リーフォンの頭をさすさす撫でるチウシン。……足で。


 さっきまで血気にはやっていた青年が、借りてきた猫のように大人しくなる。それどころか、頬にほんのり朱が浮かんでいた。


 ……それは、チウシンに対する「ある気持ち」を示唆する反応に他ならなかった。もっとも、チウシンは全く気づいてはいないが。


「リンフー、紹介するね! 彼は高励峰ガオ・リーフォン。【吉剣鏢局きっけんひょうきょく】のお頭の次男坊で、わたしの小さい頃からの幼馴染だよ!」

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