追撃、追い撃ち、死体撃ち

 お昼休み。思えばこの時間にボクの意思が尊重されるのは久しぶりだ。だから周囲を見回し、誰かが話しかけてこないかと身構えてしまった。しかし今日はなかった。

 あったのは小白ちゃんからの『赤井おにいさんの写真をください』というメッセージ。いくらヒーロー部としてこの高校に訪れる頻度が高いと言っても彼女は中学生。『同盟』が一斉攻勢といっても小白ちゃんだけは参加していない。だから怒っているのだろう。このメッセージは一限が始まる頃から五分おきに送られてきた。

 美人に囲まれ困惑気味の赤井クンを写真にとる。それを小白ちゃんに送って、そしてボクはお弁当とペットボトルと椅子を持って見知った女子たちの下に歩む。

 さてさて、今日はどんな刺激的な話を聞けるだろうか。ボクは歓喜していた。

 しかし、ボクはすぐさま彼女らが味方でないことを知るのである。


「ねえねえ、ヒステリー起こしたって聞いたけどほんと?」

 下世話な井戸端評議会の、その議長を務める不良少女瑞希。彼女はボクがその輪の中に入り込んだ瞬間、随分と悪辣な顔を見せる。


「聞かせてよ、ねぇ?」

「友達でしょう、私達」

 おとなしそうな顔をした人が一人。学級委員を務めている人が一人。椅子に座り込んだボクを左右から挟み込み、そして掴む。それはボクを絶対に逃がさんとする意志からだろう。瞳は莫大な好奇心で煌めいていた。


「……一体どっから出てきたんだよ、そんな話」

 ゴシップに対する探求心の凄まじい連中に詰め寄られた。

 少し慄く。それでもボクはヒステリーなんぞ起こしていないから正々堂々疑問を飛ばす。中傷をしてくれた誰かを罰するために。


「なんと、大本は朔夜の大大大好きな赤井です」

「いや、それこそふざけているでしょ」

 しかし出てきた名前を聞いた瞬間ボクは脱力する。そして大きなため息を吐き、どうにも今日は珍しくこれらの持つゴシップアンテナは壊れているらしい。


「赤井クンなんかが中傷するわけないだろうに」

「……いや、中傷されるいわれは数えきれないくらいにあるでしょう?」

 なにか半眼でねめつけられるが瑞希は赤井クンと言うヤツを十分には知らない。

 こと赤井クンについては彼の両親以上に彼のことを知っていると自認する。ゆえに、赤井勇一と言う人間が中傷などと言う狡い精神攻撃することは絶対にない。ボクを痛めつけるのならば、直接的な罵詈雑言をぶつけてくるだろう。

 「女装写真をばら撒く」と言えばボクは黙る以外の選択肢を失うし。


「正確には赤井の相談を受けた、って言う女子の話だけど」

「じゃあまたボクに嫉妬した馬鹿でも出てきたんじゃないのかい?」

 よくあることだ。認めたくはないがボクは世に冠絶する美を持っている。だから時折女子に嫉妬される。ボクが誘惑してるのは赤井クンだけなのに「○○くんを誘惑した!」「○○を返して!」みたいに喚く人が出てくる。

 それでも悪いことだとは思っているから「ボクが可愛くてごめんね」と謝ると、更に怒り出す。そのような意味の分からない人達がたまに出てくる。


「もっと正確に言うと、赤井クンの言葉を録音してたその音声を私たちが聞いて、朔夜がヒステリックになってるって結論を出したわけなんだけど」

「加工でもしたんでしょ」

 しかしこいつらもそんなことは慣れきっている。

 だから何かあるとは思っていたのだけど、証拠も微妙で呆れかえる。

 ただ単にボクを馬鹿にしたいだけなのだろう。


「まあそっちはどうでもいいんだ、引っかかれば良いくらいだったし」

「ほんと性格悪いな、キミらって」

「どの口が言ってんの、ウキウキでゴシップ聞いてるくせに」

 ゴシップを聞くのと、ゴシップを喧伝するのでは程度が違うだろうに。


「あの女どもはなによ、今年になって急にクラスに入って来たけど」

「そうそう、騒がしく赤井にまとわりついて、こっちの身にもなってほしい」

 本題、と一息置いて語りだしたのは一斉攻勢を始めたばかりの『同盟』のこと。いつの間にかニンマリした笑みは、随分と排他的な色の濃いものに変わっていた。


「ちょっと顔がいいからって調子に乗って」

 随分と憎悪の籠った怨嗟を吐いたのは学級委員の女子。凡庸な顔つきのこの女子は美形に対してコンプレックスと憎しみを抱いている。ボクも顔は良いから少し怖い。


「別にいいんじゃない、赤井クンには初めての春なんだから」

「はぁ~、これが正妻の余裕というヤツですか」

「たわけが」

 いつボクが正妻になったんだ。勢いよく瑞希の足を蹴る。

 女だからって容赦はしない。というか力が弱すぎて本気で蹴らないと「え、いま、なにかしましたか?」なんて煽って来るのだ、この女は。


「朝っぱらからキンキン姦しいのは堪ったもんじゃない」

「あんたらはずいぶんと枯れているようで。オバサンみたいだな」

「だまっとけよビッチ」

 ため息つき、すごい目で『同盟』を見る彼女らに口走ってしまった。

 お陰でそのすごい目つきをボクに向けられ三方から蹴りが入る。極めつけにビッチ呼ばわり。すっごい遺憾。


「まあ鬱陶しいのは認めるよ、真横で騒いでくれるし」

「ならちゃっちゃと正妻の意地を見せつけて、黙らせたらいいよ」

 そんなものに意地があるわけないだろう。瑞希を睨む。そしてまた蹴る。

 どうにもこいつらは赤井クンがボク以外の誰かと関わり合っているのが嫌らしい。どうしてそんなことになっているのかは分からないが、ボクに色々催促してくる。その様子が本当に、姑染みていて笑いそうになる。


「やだよ、そんなことして赤井クンがボクとほんとに付き合おうとか言ってきたらどうするんだ」

「どうするもなにも、付き合えばいい。簡単でしょ?」

 どこがだよ。

 呆れて、しかし気力が失われて言葉も出ず、弁当を置き水を飲もうとする。


「あんな筋肉とつきあうなん――」

 その瞬間だった。

 ボクの身体は宙に浮いた。なにかに身体を抱かれていたのである。


「……お前は一体なにをしているんですか」

 それからボクの視界は少し高くなる。

 背中や太ももの裏側に熱を感じる。

 ボクのお腹あたりには筋肉質な薄黒い肌があった。

 座っているものもごつごつとして浅黒かった。


「たまにはこういうのもいいだろ?」

「いいだろ? って正気?」

 ボクは赤井クンに抱え上げられた。そして今、膝の上に乗っていた。

 

「あらあらまあまあ」

「うふふ、若いっていいですねぇ」

「ほんとう、みている私たちが恥ずかしくなっちゃいそう」

 ニヨニヨと生暖かい目線が瑞希たちから送られて、すごく居心地が悪い。けれど藻掻こうとも赤井クンの拘束はまるで外れない。お腹あたりで拘束する腕はかなり力が入っているみたいだ。殴ってみても、拳が痛くなるだけだった。


「朔夜、悪かったな。お前のことなにも考えてなかった」

 突如赤井クンが、聞いたこともないほどに甘い声で囁いた。

 途端鳥肌が立つ。


「朔夜に構うことなく、他の奴に構ってばっかりでさ」

「ね、ねえ気持ち悪いんだけど」

 素直な気持ちをぶちまける。キミがそんなことをしている所為で、今先程まではおいしそうに思えていた弁当の具材が一気に不味く見えてきた。


「朔夜が俺を兄のように思っているのは分かる。それくらい付き合いは長い。そんな俺がいきなり他の奴に付きっきりになったら不安だよな、ごめんよ」

「ひぃ、きも、キモいしなんか誤解してるよキミ」

 言っている意味が分からない。

 が、とりあえず今ボクを不安にさせているのはボクが孤立していることではない。今現在行われる赤井クンの奇行である。意味不明の思考回路である。


「お前を見捨てるつもりはない。これからもずっと仲良くいたい。でも依存するのは良くないだろう? お互いのためにな」

「わかった、わかったから、おねがいだからはなれて」

 耳元で気持ち悪いくらいに優しい声を囁かれて再び鳥肌が立つ。

 気持ち悪さに心臓がバクバク喚いてやまない。

 しかも悍ましさから腰が抜けて声にも力が入らない。

 くすぐったさが全身にあって身体も若干痙攣する。


「ごめんな朔夜。これからも甘えてくれていいからな」

「き、キミに甘えた事なんてないからぁぁ」

 頭まで撫でられてもう悍ましさが爆発しそう。

 そうしてようやく赤井クンはボクを解放した。


 へにょへにょになって机の上になだれ込む。


「う、うぅぅ、なんだよぅ、あいつ」

 くそくそくそ。なんでこんな場所であんなことしやがるのか。

 こんなもの、公開処刑じゃないか。

 周囲の様子を見たくなくて、ボクは頭を抱える。



「ヒステリーには、甘やかすのがいいんだって」

「……うそ、だよね」

 時間が経ってから、瑞希のそう呟いた。

 赤井クンは本当にボクがヒステリックになったと思っているのかもしれない。

 嫌な可能性が現実味を帯びてきた。

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