第22話 (空……ん……、声……聞……え…………の?)

 夕焼け色に染まった教室の中。

 俺とユズは、他の生徒が下校するまで残っていた。


「ユズ、気にするなとは言わないけどさ、その、あんまり真に受けるな」


 ユズを傷つけないように、慎重に言葉を選ぶ。


「タピオカ屋も渋谷も、新しい友達と一緒に行きたいだろ。ユズならそれができるはずだ。人が良いし、楽しそうに話ができるし、きっとこれから、傷つくことよりも楽しいことのほうが――」

「空さん、もういいんです」

「何がだよ。友達作るんじゃなかったのかよ……! 前の席の二人にはシカトされたけど、他の人なら!」

「今日の光景、空さんは見てましたよねっ!」


 ユズは、今までに出したことのないほどの、破裂するような大声を出した。

 それは怒りよりも、悲しさが強く押し出されたような、心からの叫び。


「みんな、私と同じ名前の、星川ゆずさんに興味津々でした。もう一人の星川さんは、沢山の人から注目を浴びています。すごい、ですよね。なんでもできて、言いたいこともしっかり言えて。私なんかとは比べ物にならないです」

「ユズだって、あの人に負けないくらい――」

「空さん、本当の星川ゆずは、あの人ですよ。私は、星川さんが休みの間に現れた、ただの空想なんです」


 なんで、そんなこと言うんだよ……。

 作りものじゃない、健気な笑顔を見せてくれたじゃないか。

 授業中居眠りしてる顔も、涙を流している顔も、タピオカを食べてうれしそうにしている顔も、全部、俺の空想だったっていうのかよ……。


「空さん、私は大丈夫です。空さんとお話しできて、楽しかった。だから私は、幸せ者でした。えへへ……」


 やめろ。その顔こそ作りものの笑顔じゃないか。

 お別れみたいな言い方するなよ。そんなの、違うじゃないか。


「空さん、お隣さんとは仲良くしたほうがいいですよっ。とってもいい人そうじゃないですか?」


 そんな、自分の存在を消すようなことはするな。やめろよ。


「ユズ、今から確かめよう! お前のことを無視したりしない人を――」

「空さん! もう、いいんですよ!」


 もう一度、ユズは言った。


「何回言えば、空さんはわかってくれるんですか……! うっ……」


 静まり返った教室の中で、嗚咽だけが響き渡る。

 これも、全部幻聴なんてありえないだろ。ユズがおかしいんじゃない。周りがみんな、悪いやつらなんだ。そうだ。ユズは、ちゃんとした本物の人間だ……。

 俺は、ユズの手を取ろうと手を伸ばした。けれど、ユズの手に触っても、何の感触もなかった。

 そういえば、ユズが俺以外の人と会話しているところを一度も見たことがない。

 ユズがタピオカ屋で、クレープ屋で、注文している場面を、実際に見ていない。

 ユズに近づこうとすればするほど、ユズのことを考えれば考えるほど、ユズの存在は、現実からかけ離れていく。

 やめろよ……やめてくれよ……!

 これ以上俺を追い詰めるのは。


「空さん、私はこれ以上、追い詰められたくないんです……。考えてみてください。空さんといる間、私の姿は誰からも見えていなくて、なのに私の意識は存在していて……ずっと、孤独なんです」


 広い教室をくるりと見渡してから、ユズは赤く染まった目元を拭う。


「空さんといると、私は辛くなるんです。自分の存在を否定されるみたいで、怖くなるんです。だから、空さん、私を忘れてください。私の存在を、なかったことにしてください。私のことを、助けてください。自分勝手なのはわかってます。最低だってわかってます。それでも、このまま空さんが私と関わっていたら、今度は空さんが孤立してしまうじゃないですか。そんなの、一番いやなことです」


 ユズは、全身を震わせながら、自分の言葉を出し切った。

 俺は、何も言葉が出なかった。

 俺のそばにいることで、彼女は自分の存在を見せつけられていた。

 彼女の存在を否定しているのは、俺なんだ。俺だけが見えているから、俺以外には見えない彼女の存在が、確信へと変わってしまっているんだ。

 そんなことを言われて、俺は何もできない。

 俺が彼女のためにできることは――。


「空さん、私はちょっとだけ、遠くに行ってきますね」


 ――俺にできることは、何もない。


「さようなら、空さんっ」


 イマジナリーフレンドのユズは、とびっきりの【作り笑顔】で、教室を出て行った。

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