第21話 モリー②

 モリーが這いつくばるように外に飛び出そうとしたその瞬間、店のドアが開き外の冷たい空気が流れ込んだ。


「レディ・グレース。開店前に申し訳ないのですが……」


 そう言って入ってきたのは常連客のオズワルドだ。


 一瞬モリーは救世主が現れたと思ったが、気弱そうに見えるオズワルドの風体に胃がキリッと痛む。いや、せめて誰か助けを呼んでくれれば!


 モリーが祈るような気持ちでどうにか声を上げようとすると、ガラの悪い男たちが不快そうな声をあげるのが聞こえ身がすくむ。声をあげたいのに、実際にはハクハクと空気が漏れるだけだ。


「悪いな、にいちゃん。今日は休みだ。帰りな」


 大柄な男が追い払うように手を振るが、オズワルドはテーブルや椅子をなぎ倒すように倒れているグレースを見て、「グレース!」と叫んだ。

 そのまま彼は店に駆け込み、グレースを守るように男達との間に入る。


 投げ捨てられた眼鏡の奥の、意外なほど冷たい瞳に男たちがたじろぐのがわかった。モリーでさえさっきとは違う、冷たい刃を首筋に当てられたような恐怖を感じたくらいだ。いや、扉が閉まっているにも関わらず凍りつきそうな冷気があたりを流れている。


(これは魔法?! もしかしたらすごく強い人なのかも! お願いです、グレース様を助けて)


 しかしオズワルドが男たちに向かおうとした時、グレースが彼を止めた。

「お願い、開店前です。お引き取り下さい」

 そう男たちに訴えながら。


「レディ・グレース!」

「いいんです、オズワルドさん。――お願いです、みなさん。今日はお引き取り下さい」


 男たちは口の中で何か悪態のようなものをつきながらも、オズワルドをチラチラ見つつ、後退るようにしてようやく店から出ていく。

 グレースはオズワルドが動かないよう必死で止めながらドアが閉じたのを確認し、ほっと息をついた。そろそろと立ち上がり、弱々しいながらも笑みを浮かべてオズワルドに謝罪をする。腰が抜けたままどうにか這いずりだしたモリーにも、

「あなたに何もなくてよかったわ」

 と微笑んでくれて、モリーは涙が止まらなくなった。


「ご、ごめんなさい。ごめんなさい、グレース様。あたしのほうがグレース様を守らなきゃいけないのに」

「それは違うわ、モリー。あなたを守るのも、私の役目です」


 そう言ってモリーのそばまで来て髪を撫でてくれるグレースに抱き着くと、何かで手が濡れた。


(え?)


 ぬるりとした生暖かい感触。

 不思議に思って手のひらを見ると血で真っ赤に染まっている。


「お、お嬢さ……」

「っ! レディ・グレース、頭から血が!」


 目を見開き硬直するモリーの前で、オズワルドが、「あとで弁償します」とカウンターから清潔なナプキンを複数掴み、グレースの後頭部に押し当てた。見る見るうちに赤く染まっていくナプキンにモリーの血がいったん引き、一気に上昇した。


「あ、あいつらが、グレース様を突き飛ばしたんです! お嬢様に無理やりキスして叩かれたから!」


 怒りが力になる。


「あたし、お医者様を呼んできます!」

「ダメよ、モリー。もうすぐ開店だから片づけをしないと」

「レディ・グレース。今日は休みなさい。店どころじゃないだろう」


 オズワルドも説得するが、グレースはかたくなに首を振った。一日休めば売り上げが減るのを気にしてるのだと分かり、モリーはどうしていいか分からなくなる。心配しないでいいと言いたいのに、そうできない自分に唇をかむ。


(どうしてあたしは、こんなに役立たずなの)


 悔しくて熱くなった目が、オズワルドのアイスブルーの目とぶつかった。

 凍った湖のようなその目に、モリーの頭の芯がスッと冷えたような気がした。本能的に、この人は正しい命令を下せる人なのだと感じ、モリーは無言で指示を仰ぐ。

 今グレースを任せられるのも自分を役立たずではない何かにできるのも、今はオズワルドしかいないのだと、なぜか確信に似た何かを感じた。


「モリー、君は医者を呼んできてくれ。開店はいつもより少し遅らせればいいだろう。扉の外にそう書いておく」

「はい! オズワルドさん、ありがとうございます!」


 助け船にすかさず便乗したモリーは、グレースに何か言われないうちに医者を呼びに外へ飛び出した。

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