立ち向かって来なさいよ

 10月24日(土) 晴


 しつこい! まだ諦めてないんだなあ、あいつ。あれだけのことを言われてもへこたれないなんて、そのド根性だけは見上げたものだわ。やっぱりあたしが本当のことを言っていないと思い込んでいるんだろうか。困ったもんだ。


 今考えると、それはすき焼きデートの翌日には始まっていたんでしょうね。その日、あいつは店に来なかった。仕事が終わって割引価格で夕食を済ませて、帰宅して、シャワーを浴びて、チューハイ飲んでぼへ~としていたらチャイムが鳴ったのよ。


「また『皆様に支えられているN〇K』かな。あいつらもしつこさではあいつに負けないわね」


 とか言いながらドアを開けると誰もいない。変だなと思いながらその日はそれで終わった。


 次の日もあいつは店に来なかった。やっぱり完全に諦めたんだなと思いながら帰宅すると1号室のおばちゃんに呼び止められた。ちなみにこのおばちゃんはアパートの管理人でもある。日常の困りごとや廊下の電球切れなんかは一発で解決してくれる頼りになる存在。で、そのおばちゃんが言うのよ。


「今日は何度もあなたの部屋を訪れてチャイムを押す人がいたよ。一度声を掛けたら何も言わずに自転車で逃げて行ったけど、知り合いかね」

「そうですか。全然心当たりがありません。ご迷惑をお掛けしました」


 と答えておいたけど、すぐピンと来た。あいつだ。あいつ以外に考えられない。同居人がいると教えた、もう会いたくないと断った、おまえなんか大嫌いだと叫んだ、それでもアパートに押しかけて来るなんてしつこいにもほどがある。その夜はむしゃくしゃしてなかなか眠れなかった。


 そして今日だ。日中働いているとファミレスの窓から誰かがのぞいているような気がする。こっそり店長に報告して見に行ってもらうと、思ったとおりあいつだった。


「何か御用ですかって声を掛けたら何も言わずに逃げちゃった。嫌ねえ、コソコソのぞき見なんかして。どういうつもりかしら」


 店長も気味悪がっていた。あたしは怒りで頭が爆発しそうだった。絶対に捕まえてやろうと思って帰宅後アパートのドアの後ろで待ち構えていたらチャイムの音。間髪を容れず開ける。走り出すあいつの後姿。


「待ちなさい! ピンポンダッシュなんかして恥ずかしくないの」


 すぐ追いかけたけど足が速い。あっという間に自転車で逃げられてしまった。


「うぐぐ、どうしてくれよう」


 困った時の兄頼み。メールで連絡すると明日会ってくれるって。ナイスな作戦を思いついてくれるといいんだけど。



 10月25日(日) 晴


 今日は兄と会ってきた。いつもの雑居ビル2階の喫茶店。あたしからの報告を聞いた兄は眉間にシワを寄せて唸るばかりだった。


「うーむ、潜伏拠点を敵に知らせたのは失敗であったか。うーむ」

「だから潜伏なんかしていないって。まあそれはどうでもいいけどこのままじゃアパートにも店にも迷惑が掛かる。あいつを完膚無きまでに叩きのめす名案はない?」

「うーむ……金だな。金の力を使うしかあるまい」

「金? 手切れ金でも用意しろって言うの?」

「まさか。あんなヤツのために一円だって使いたくはない。おまえを嫌いになってもらうために金の力を借りるのだ」


 言っている意味がよくわからない。頭は切れるが切れすぎて話を端折るのが兄の欠点だ。


「どういうこと?」

「これまでの行動から推察するにヤツはかなりケチだ。金に対する執着心は人一倍大きいと思われる。おまえに会いたいのなら毎日店に通えばいい。それなのに予約が取れない日は来店しなかった。なぜか。GoToイートのポイントが目当てだからだ。つまりヤツにとってはおまえよりポイントのほうが大切なのだ。ポイントがもらえないのなら会いに行く必要はない、おまえのことはその程度にしか思っていないのだ」


 なるほど、確かにそうだ。あいつは予約せずに店に来たことは一度もなかった。


「ということはだ、おまえが尋常でないほど金のかかる女であると知れば、ヤツの情熱は必ず冷めてしまうに違いない。金のほうがおまえより大切なんだからな。そうだな、例えば莫大な借金を抱えているという設定はどうだ。おまえと一緒になれば借金返済というおまけが付いてくる。それを容認できるほどの度量はヤツにはないだろう」


 さすが兄だ。デートに選ぶ店ですら食べ放題のチェーン店。そこまで金に渋い男が借金まみれの女を選ぶはずがない。


「わかった。さっそくあいつに話してやる。しかしどうやってあいつに会おうか。もう店には来そうにないし」

「ピンポンダッシュをしに毎日来ているんだろう。その時に捕まえて話せばいい」

「でもあいつ自転車だからすぐ逃げられちゃうんだ」

「ならオレが協力してやる。アパートの物陰に潜みあいつが来たら自転車を隠してしまうのだ。そうすれば容易には逃げられまい。善は急げといきたいがあいにく今日は用事がある。おまえは明日休みなんだろう。オレは仕事だから作戦実行は明日の夕方にしよう。今回で必ず決着させる。気合いを入れて臨んでほしい」

「さーいえっさー!」


 こうして最終決戦「借金まみれ大作戦」は発動された。



 10月26日(月) 晴


 成功、なのかな。微妙な展開になっちゃった。それでも次回で決着するのは確実だからまあ成功と言っておこう。


 今日は休みだったので日中は外出していた。部屋にいるとあいつのピンポンを聞かされちゃうからね。

 夕方、勤務を終えた兄からの連絡を受けてアパートに帰宅して待機。兄は植え込みの陰に潜んであいつが来るのを待つ。しばらくして兄からメールが来た。


『標的確認。敷地内に自転車を置いてそちらに向かっている。準備せよ。以上』


 来たな。あたしはドアスコープをのぞいて耳を澄ます。足音が聞こえる。近づいてくる。スコープにあいつに姿が映る。今だ。


「何の用!」


 チャイムが鳴る前に思いっきりドアを開けてやった。外開きのドアをぶち当てられてあいつが尻もちをつく。


「ぎゃふ!」

「ピンポンダッシュなんかして恥ずかしくな、こら待て」


 あいつは素早く起き上がると走り始めた。こちらも追う。速い。差が開いていく。しかし敷地の中で立ち止まった。


「あ、あれ自転車がない」


 さすが兄、仕事が早い。あたしはキョロキョロしているあいつの腕をつかんだ。


「捕まえた。さあ説明して。どういうつもりでこんなことをしているの?」

「う、う、お姉さんを諦められなくて。でも同居のお兄さんが恐くて、それで」

「情けないわね。だったらコソコソしないで正々堂々と立ち向かって来なさいよ。それからあんたに言いたいことがあるの。実はあたしには借金、きゃっ!」


 なんてこと! こいついきなり抱き着いてきやがった。


「お姉さん、お願い。あんな男とは別れてボクと一緒になって。お願い」

「しつこいわね。離れなさいよ、このヘンタイ」

「あのう、アパートでもスカートじゃないってどういうこと?」


 こんな状況で何言ってんだよ。おまえを捕まえやすいように上下ジャージで待機してたんだよ。


「何を着ようがあたしの勝手だろ。離れろって言ってんだよ。痛い目に遭いたいの、うぎゃ!」


 な、何しやがるんだ。こいつ、自分の顔をあたしの胸にスリスリさせてきやがった。


「離れろ! このスケベ!」

「思ったよりおっぱい小さいんだね、ガッカリ」


 ムカッ! 完全に頭来た。あたしは渾身の力を込めてあいつの左頬に右平手打ちを食らわせてやった。


「ぐはっ」


 勢いあまって敷地のコンクリートに転がるあいつ。どうだ、思い知ったか。


「ぶ、ぶったね。父ちゃんにだってぶたれたことないのに」


 どこかで聞いたことのあるセリフを吐いてんじゃねえよ。左手で左ほおを撫でているあいつの前に仁王立ちしたあたしはいかつい顔でにらみつけた。


「いい、よく聞きなさい。実はあたしには莫大な借金が……」

「おねがいー! ボクと一緒になって。あの男とは別れて。お願い、うわーん」


 あたしの言葉をさえぎって泣き出した。処置なしだなこりゃ。手に負えん。


「後はオレに任せろ」


 突然兄が姿を現した。えっ、こんなの作戦要項にはなかったはずだけど。


「あ、おまえはラブラブ同居人!」

「そうだ。オレはイチャラブ同居人だ。どうだ、ここはひとつ男同士で話をしないか」

「オニイ、どうして」


 あたしの困惑をよそに兄はあいつの手を取って立たせた。どうやらあたしだけでは作戦続行は不可能と判断したらしい。確かに今のあいつは聞く耳持たない状態だからね。


「近くに公園がある。そこで話そう」

「い、いいよ」


 あいつはおとなしく兄に連れられていく。あたしはふたりの後をこっそり付いていった。もうだいぶ暗くなってきたからあいつは気づいていないはず。兄は公園の街灯の下に立つと穏やかな口調で話し始めた。


「君はずいぶんと彼女に執着しているようだな。そこでひとついい事を教えてやろう。実はあの女には莫大な借金があるのだ」

「えっ、ウソ。信じられない」


 よし。ようやくその話を切り出せた。後は頼んだぞ兄貴。


「ウソではない。オレは彼女のイチャラブ同居人で生計を共にしているが、オレの収入の90%は彼女にかすめ取られている。残り10%で昼ご飯を食べたり、スマホの料金を払ったり、ゴムの伸びたパンツを買い替えたりしている。正直とても苦しい。ファミレスではランチすら食えず唐揚げとハイボールを頼むのがやっとだ」

「それはツライね」


 唐揚げとハイボールのほうがランチより料金高いだろ。バカなのかあいつは。兄もそんなすぐバレるような作り話はやめろよ。


「もし君が彼女と一緒になれば今のオレと同じような生活を送るハメになるだろう。耐えられるか」

「む、無理です」

「だろう、ならば素直に諦めるのだな。そのほうが君のためだ」

「むむむ」


 迷っている。この状況で何を迷うことがあるんだ。また自分に都合のいい解釈でも考えているのか。


「その話、本当なの? お兄さんの言葉、信用できるの? ボクはまだ信じられない気持ちでいっぱいなんだ。だからお姉さんの口から直接その話を聞きたい。そしたら信じてもいい」


 兄がこちらに目配せした。あたしはうなずいた。あいつに引導を渡すのはやっぱりあたしの役目だからね。

 でも今日は無理だ。あいつに抱き着かれた感触がまだ残っている。こんな精神状態ではまともに話をできそうにない。あたしは左手に白いハンカチを持つと兄に向けて手旗信号を発信した。


 9→3―ア。5→7―シ。11→5―タ。意味「話をするのは明日にして!」兄はうなずいた。


「なら直接聞けばいい。しかし今日はもう遅い。明日にしよう。明日の18時45分、ファミレスの通用口の前で待っていれば彼女に会える」

「う、うん。わかった」

「それから君の自転車だが、アパートを出てすぐ右へ曲がり、2本目の交差点を左に曲がってしばらく行った所にあるゴミ集積場に放置されている。早く取りにいったほうがいいぞ。誰かがゴミだと思って持ち帰るかもしれんからな。アパートから1kmほどの距離だ」

「大変! 急がなくちゃ」


 あいつは血相を変えて公園を出て行った。兄貴、こんな短時間で往復2キロしたのかよ。行きは自転車に乗っていったとしても早すぎるだろ。どんな身体能力してるんだ、おい。


「兄貴、ありがとう。助かったよ」

「うむ。あとはおまえの頑張り次第だ。まだ作戦は続行中である。気を緩めずに遂行してほしい」

「さーいえっさー!」


 言われるまでもない。明日でスッキリさせてやる。


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