男はあんただけじゃないのよ

 10月11日(日) 曇後雨


 あ~、やっと休み。この1週間は長かった。そして前半はホント疲れた。あの男が店に来ると疲労度が2倍になるね。態度バリカタ、お金少なめ、言葉ふつう、ウザさマシ、その結果疲労度マシマシ。


 ラーメン屋かよ!


 でも後半はラッキーだった。あの男が来なかったから。きっと予約が取れなかったんだろうな。

 GoToが浸透してきたおかげで予約が倍増しているみたい。数日先までほとんど埋まっている。あいつはポイント目当てに決まっているから予約なしで来るはずがないし、これからは来店回数も減るだろう。やれやれだぜ。


 そして明日はいよいよ作戦発動! 今日はその打ち合わせで兄と会ってきた。

 あたしと違って優秀なんだよなあ。金融関連の会社で働いていて手取りはあたしの5倍。中肉中背。性格は普通で真面目。だけど独身。恋人がいるかどうかは知らないけどたぶんいない。本人に結婚の意思がないんだからしょうがないね。


「よう、元気でやってるか」

「やってる」


 待ち合わせ場所は近所の喫茶店。雑居ビルの2階にある隠れ家みたいな店なんだけどコーヒーが絶品なんだ。駅からもアパートからファミレスからも近いので兄と会うときはいつもここ。


「こんな感じでどうだ」

「グッド!」


 兄はオシャレだ。髪も服も靴もパンツも常にビシッと決めている。ウンコ色のパンツなんか絶対にはかない。社会人になってからはスーツ姿しか見たことがない。けれども今目の前にいる兄はまるで違う。薄汚れたジャンパー、ボサボサの髪、清潔感皆無な無精ひげ。もはや別人だ。


「はっきり言っておこう。こんな格好はオレのポリシーに反する。しかしカワイイ妹の緊急事態とあればそうも言ってはおれぬ。やるからには必ず成功させる。作戦に専念するために明日は年休を取った。おまえもそのくらいの心意気で臨んでほしい」

「さーいえっさー!」


 敬礼する。しないとするまで何も喋らなくなるから。それにしても相変わらずの堅物だ。これじゃ恋人もなかなかできないだろう。


「しっかし、その無精ひげすごいね。連絡したのが3日前なのにどうやって伸ばしたの」

「さすがのオレも3日で無精ひげを形成させるのは無理だ。これは特殊メイクを趣味にしている友人に作ってもらった」


 そこまでこだわってくれたのか。やはり兄は頼りになる。ちょっと感動した。


「それでは明日の作戦についてもう一度行動計画を確認しておこう。明晩午後9時、オレが客として来店する。その30分後、標的が来店し全ての準備が完了した時点で作戦開始。オレとおまえが店員と客の垣根を越えてイチャラブする姿を標的に見せつける」

「おい待て兄貴。イチャラブはおかしい。仲睦まじく会話する程度で頼む」

「それくらいで標的が諦めると思っているのか。ここは徹底的にやったほうがいい」

「場所を考えろよ。ファミレスなんだぞ。他の客が『あれ、ここってキャバクラだったっけ。店を間違えた、出よう』ってなったらどうするんだよ」

「むっ、そうか。ならば仲睦まじい会話、セルフの水汲み代行、お疲れさまの肩揉み、これらの行動を標的に見せつける、に変更しよう。この一連の行動によって標的は次のような思考に陥る。『なんてこった。あの女店員、あんな社会の底辺を這いつくばっているような低俗で下劣な男と付き合っていたのか。私は思い違いをしていた。あんな女店員はきっぱり忘れて新しい恋に生きよう』そして標的は新しい人生を歩み出し、妹は危機的状況からの脱出に成功する。以上だ。なおコードネームはオレがオニイ。おまえはイモウ。当日はその名前で呼び合うように」


『オニイ』と『イモウ』ってそのまんま兄と妹じゃないの。センスなさすぎだろ。だからと言って別の呼び名を考えるのも面倒だ。


「うん、それでいいよ」

「では明日午後9時に会おう。さらばだ。グビグビ。うむ、やはりここのコーヒーはウマイ!」


 兄はコーヒーを一気飲みすると店を出て行った。せっかちだな。コーヒーくらいのんびり飲めばいいのに。あれじゃ恋人もなかなかできないだろう。


 事の発端は3日前、兄から届いたメール。それを見て閃いたんだ。兄を恋人に仕立て上げればいいんじゃないかって。あのGoTo男、絶対あたしをおひとり様だと思い込んでいる。だからあんなに執着するんだ。

 でもあたしに恋人がいると知ったらどうなるか。奪い取って自分のモノにする? 違うなあ、それはフツーの男の発想。あいつは屈折しているからね。「女に男がいた」と判明した瞬間、女に向けられていた愛情はたちまち憎悪へと変わる、それがあいつら非モテ男の感情様式だ。

 しかも付き合っているのが路上生活者みたいな汚い男とくれば、あたしへの熱は一気に冷めるはず。まあこの辺は兄のアイデアなんだけどね。

 ふう、これでやっとあいつから解放されるよ。あ~今日は風呂上がりのチューハイがうまい。ぐっすり眠れそう。



 10月12日(月) 曇


 本日の作戦は大成功。あいつのダメージはかなり大きかったはず。でもひとつだけ失敗があったんだよなあ。あれさえなければ手放しで喜べたのに。ちょっと残念。


 あいつが来る前からワクワクが止まらなくてさ、大サービスでこっちから話し掛けてやったよ、「お久しぶりですね」って。

 そしたら嬉しそうな顔をして「予約が取れなくて」だってさ。

 そんなセリフが吐けるのも今のうちだぞ。もうすぐ、

「もう予約なんか取りたくない。あんな女の顔なんか二度と見たくない」

 に変わるんだからな。ふっふっふ。うん、あの時のあたしは相当な悪人面だったろうね。鏡があったら見たかった。


「最終確認!」


 兄の声が聞こえた。

 30分前から角ハイボールと唐揚げによって兄の準備は完了している。

 もう一組の男女の客は完全に自分たちの世界に入り込んでイチャついている。

 店長及び他の店員には事情を説明してあるので問題なし。

 標的は着席しメニュー閲覧中。

 あたしはサムズアップでいつでもいいと合図した。兄が頷いた。


「にいたかやまのぼれふたひとさんまる!」


 作戦行動開始の合言葉だ。21時30分、ジェラシーストーム作戦を開始する。まずは親密な会話。


「あらオニイ、今晩も来てくれたのね。ア・リ・ガ・ト」

「うへへ、また来ちゃったぞ。濃厚サービス期待しちゃう」


 ガタン!


 音を立ててあいつが立ち上がった。目を大きく見開いてこちらを凝視している。


「オニイなら喜んでサービスしちゃうわよ」

「嬉しいこと言ってくれるねえ。でもここはキャバクラじゃないからね。店を間違えて出て行くようなことはしないでね」


 おい、そのセリフおかしいだろ。誰に向かって喋ってるんだよ。まだ役になり切れていないみたいだな。まああたしがフォローすればなんとかなるだろ。


 ピンポーン。


 あたしたちの会話を邪魔するように呼び出しが鳴った。軽やかなステップであいつのテーブルへ向かう。


「ご注文はお決まりですか」

「こ、こ、こ、これを」


 こっこっこってニワトリかよ。大丈夫なのこいつ。指も声も震えているじゃない。しかも指差しているのはこの店で一番高いドリア、お値段1480円(税別)。いつもは1000円をちょっと超えた価格の料理しか頼まないくせに。ちゃんとメニューを見て注文しているのかな。後で「間違いでした。訂正します」って言っても受け付けないからな。念のため値段も言ってあげよう。


「季節のシーフードドリア。1480円(税別)以上ですね」

「は、はい」


 あ~あ、こっちの声も聞こえてないな。こりゃ効いてるわ。完全に心あらずだよ。愉快愉快。


「ミッション2!」


 兄の声だ。あいつが水入りのコップと紙おしぼりを持って着席するのを確認。兄にOKの合図を送る。すかさず兄の間抜け声。


「あ~、水が飲みたくなっちゃった。ねえ、水汲んできてくれないかなあ~」

「は~い、ただいま」


 ガタン!


 さっきよりも大きな音を立ててあいつが立ち上がった。コップを握る手がわなわなと震えている。力入れすぎて割るんじゃないぞ。後片付けが大変だからな。


「はい氷入りの冷たいお水。あ、ついでに紙おしぼりも持ってきましたよ。お口の周りを拭いてくださいね」

「子ども扱いするんじゃない。オレは大人だ」


 ちょっと、ここで素に戻ってどうすんの。熱々の恋人同士って設定はどこ行ったんだ。そんな言葉遣いするわけないだろ。


「兄貴、ラブラブ、ラブラブ」


 耳元で囁く。兄はすぐ我に返ってくれた。


「あ、変なこと言ってごめーん。じゃあ拭いてもらおうかなあ」

「もうオニイは甘えん坊さんなんだから」


 紙おしぼりでふきふきしてあげる。あいつは立ち上がったままこちらを凝視中。もう一押しね。

 しばらくしてキッチンからあいつの料理が上がってきた。テーブルに運ぶ。


「シーフードドリアになります」


 あいつは空のコップを鷲掴みにして少し持ち上げている。何がしたいんだ。


「ボ、ボクにも、水を、水を汲んで……」


 あー、そういうことか。ふっ、見ているだけで哀れになってくるわ。勇気を振り絞ってもそこまでしか言えないなんて。よしよし、すぐ楽にしてやるからな。


「申し訳ありませんがお水はセルフになります」

「あ、あう!」


「あう!」って何だよ。日本語になってないぞ。それ以上何も言わないので足早に立ち去る。これはもう陥落寸前ね。


「最終ミッション!」


 兄の声だ。何も言われていないのに兄のテーブルへ行き肩を揉み始める。


 ガタタン!


 あいつが立ち上がった拍子に椅子が倒れた。壊すなよ、その椅子高いんだぞ。


「あらら凝ってますねえ。お仕事忙しいのですか」

「うん、毎日大変だよ」

「そんなに飲むと明日の仕事に差し支えますよ」

「そうかな。じゃあこれくらいにしておこうかな。あ、肩だけじゃなくこっちも揉んで」

「ここはキャバクラではないので無理です。と言うかキャバクラでも無理です」


 あいつの体から力が抜けた。椅子に座ろうとしたが椅子は倒れているのでそのまま床にへたり込んでしまった。ついに陥落したのだ。あたしは小さくガッツポーズ。兄も作戦成功を確認したようだ。


「これにて作戦を終了する。ご苦労だった……」

「バカ!」


 慌てて兄の口を塞ぐ。こともあろうにあたしの本名を喋ったのだ。しかもちゃん付けで。


「あたしのコードネームはイモウだろ。何で本名を喋るんだよ」

「作戦が終了した時点でコードネームは無効だ。おまえももうオニイは使わなくていい」


 そういう問題じゃないだろ、この鈍感兄貴め。

 床にへたり込んだままのあいつを見る。薄笑いを浮かべている。聞かれたか。くそ。ここまでは完璧だったのに。


「兄貴、あいつが帰るまで作戦を続けよう。徹底的に叩きのめしておいたほうがいい」

「ふむ、それもそうだな。ならば作戦再開。親密会話続行」


 それからあたしと兄は仕事そっちのけで喋り合った。あいつは上の空でドリアを食べ、茫然自失の状態で会計を済ませ、足が地に着かない様子で帰っていった。これで諦めてくれるといいんだけど果たしてどうなることやら。

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