25話 夢と現実の始まり

 薫はキッチンに入ると、ダイニングテーブルに置いておいた材料を確認する。冷蔵庫は電源を落としていて使えないので、常温で置いておけるものばかりだ。


 そうめんは普通につけ汁で食べても良いのだろうが、それだとカガリが食べにくいし、そもそもアレンジそうめんにするつもりで、来る途中でスーパーに寄っていた。


 とは言え凝るつもりは無かった。調味料なども持ち込まなくてはならないので、そう多くの準備は面倒なのである。


 まずは大葉を千切りにしておく。


 続けて大きめのボウルを出し、ツナ缶をオイルごと開ける。そこに塩昆布と白ごま、醤油少々と市販のレモン汁加え、しっかりと混ぜて馴染ませるために置いておく。


 そうめんを茹でる。沸かした湯にそうめんをぱらりと入れて、箸で解しながら茹でて行く。


 茹だったそうめんをざるに上げて流水でしっかりと洗う。そこからカガリの分を取り分け、食べやすい様に細かめに切る。


 新しいボウルを出し、具材からカガリの分を移す。そこにざく切りしたそうめん、大きめなボウルの方には長いままのそうめんを入れて、両方とも良く和えた。


 食器棚を開ける。祖母はこの家に移る時に食器の大半を処分していた。ひとり暮らしでそう数が必要で無かったからだろう。


 片隅にひっそりと置かれている子ども用のプラスチックのプレートや茶碗などは、おそらくひとり娘である母が小さなころに使っていたもの。昔に流行ったであろうキャラクターが剥げかけたそれは、きっと祖母の大切な思い出だ。


 薫は食器棚を見渡して、まずはカガリが使い易いだろう器を探す。いつもかりかりをあげている動物用の皿でも良いのだが、せっかくだから普通の食器を使ってもらいたい。


 サラダボウルがあったのでそれを出す。薫と潤には少し深さのある、煮物なども入れられる中皿を出した。


 それぞれに盛り付けて、大葉の千切りをふわりと乗せた。完成である。ツナと塩昆布のそうめんだ。


 箸を添えてトレイに乗せて居間に運ぶ。潤は寝転がったままねこじゃらしを振り、カガリは懸命に房を両手で追っていた。なんとも微笑ましい。


「できたで〜」


 そこで潤はようやく上半身を起こし、カガリをひと撫でしてから座卓に移る。カガリもお行儀よく座った。


「潤、悪いねんけど机のグラス台所に引いて、カガリの水持ってきてくれ。用意して置いてあるから」


 薫と潤のグラスは皿の隙間に乗せることができたのだが、カガリの水を乗せる余裕が無かったのである。


「は〜い」


 潤は軽快に立ち上がると、使用済みのグラス2客を両手で取りキッチンへと向かう。薫はまずカガリのそうめんを床に置き、薫たちの分を座卓に置いた。


 カガリはいつもと違う器に驚いたかぱっと目を開いた後、そうめんに鼻を近付けてふすふすとその匂いを嗅ぐ。


「カガリ、水が来るまでちょお待ってな」


 間も無く潤が戻って来る。「はい、どうぞ」と水をカガリのそうめんの横に置いた。


 麦茶は昼間に開封して飲んでいたものを常温で放置してしまっていたが、市販のペットボトルだしキャップはしっかりと閉じていたので大丈夫だろう。


 グラスに麦茶を注いて、潤と薫はそうめんを挟んで座卓に着いた。


「じゃあ食おか」


 薫と潤は「いただきます」と言って箸を取る。カガリは「にゃあ」と鳴いてさっそくそうめんにがっついた。


 潤は箸でそうめんをすくい上げるが、薫はカガリの反応が気になって、箸を持ったままカガリの様子を伺う。


 がつがつがつ。カガリは口いっぱいにそうめんを含んで、満足そうに「にゃあ」と鳴いた。


「旨いか? カガリ」


 薫が訊くと、カガリはまた「にゃあ」と鳴いた。


「そうかそうか」


 薫は安心と嬉しさで頷くと、自分もそうめんに箸を付けた。




 すっかりとそうめんを平らげて、薫と潤は満足げな溜め息を吐き、カガリも「うにゃあ」と鳴いて前足で顔を撫でた。


 薫はカガリの喉をごろごろとくすぐる。


「旨そうに食うてくれたな。良かったわ。なぁカガリ、俺これからもっと旨い飯作れる様に頑張るから、そうしたらまた食事処に呼んだってな」


「僕も! 僕も行きたい。お手伝いするよ〜」


 するとカガリは「分かりましたニャ」と言う様に目を細めて「にゃあん」と鳴いた。


「でね、僕、これから動物関連の資格を取って行こうと思ってるんだ。今まで手当たり次第というか取れそうなやつ取ってたけど、猫又を増やさない様にするんだったら、有効なのもあるかも知れないもんね」


「なるほどな。ちゃんと考えとるんやな」


「そりゃあそうだよぉ。薫だってどうでしょ?」


「せやな。俺はこっちでの目標は自分の店持つことやな。あの食事処みたいなええ店にしたい。潤、お前役立ちそうな資格持ってそうやな。手伝ったってな」


「ええ〜、なんかあったかなぁ。じゃあそんな感じの資格も調べてみる? ソムリエとか?」


「そんな感じやな。もちろん俺にも資格はいるやろうけどな。でな、最大の目標は向こうのお食事処との二足わらじや。どっちも片手間にする気は無いで。絶対にええ相乗効果が生まれるはずや。猫たちに旨い飯食うてもろて少しでも癒されて欲しい。その技術をこっちで鍛えるんや。それだけやったら雇われでもええんやろうけど、あの食事処みたいな雰囲気の店は俺の憧れになったからな。自分で切り盛りしてみたいわ」


「それは壮大な夢だねぇ。カガリ、どう思う?」


 するとカガリは「凄いねぇ」と言う様に笑顔で「にゃあん」と鳴いた。


「お、そうかそうか。カガリも賛成してくれるか」


 薫は嬉しくなってカガリをくしゃくしゃと撫でた。


「カガリ、また飯作るな。それで俺の成長を見て欲しい。母ちゃんとかがおるときはそうも行かんけど、猫神さまになるまで食いに来てくれるか?」


 カガリはまた「にゃあ」と鳴く。そしてカガリは立ち上がる。縁側まで歩いて行くと、振り向いて「にゃあん」と鳴いた。


「カガリ、帰るか。また来てな」


「またね〜」


 薫と潤が手を振ると、カガリはまた「にゃあ」と鳴いてひらりと庭に降りる。そして振り返ることをせずに軽やかに走って行った。やがてその小さな背中は見えなくなる。


「さ、これからやること山積みや。気合い入れんとな」


「そうだねぇ。猫たちのためにできることをやりたいね。僕は猫又を生まないために。薫は猫又を癒すために」


「せやな」


 薫と潤はにっと笑うと、こつんと拳を突き合わせた。


「薫は夢もできたしね」


「おう」


 これからが楽しみだ。薫と潤は今までとは違う日々を始める。それが思った通りの未来になるかは判らない。だが後悔の無い様に全力で挑みたい。


 新しいことを始めるのはこんなにもわくわくするのか。久々に思い出した感情でもあった。薫はそっと拳を握り締めた。

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