猫のお食事処〜猫が連れてきた世界〜

山いい奈

1話 ようこそ、猫の国へ

 昨年逝去せいきょした母方の祖母から譲り受けた郊外の小さな一軒家。生前の祖母がひとり暮らししていた家だ。


 その数年前に祖父が亡くなり、祖母は念願だった田舎暮らしを始めたのである。


 祖母は祖父の定年退職のタイミングに田舎への引越しを熱望したのだが、都会っ子だった祖父が渋ったのだった。都会の便利良さから離れられない人だったのだ。


 祖母がこだわって建てた家は、こじんまりとしていたが動線などはしっかりと考えられていて、庭もある使いやすい平家だった。


「あ〜暑いぃぃぃ! どうしてこの家エアコン無いんだよぉ〜」


 その家の畳敷きの客間で真島潤ましまじゅんがぐったりして言うと、今の持ち主の息子戸塚薫とつかかおるが苦笑して潤に麦茶を入れてやった。スーパーで買って来たペットボトルだ。まだ買ったままの冷たさが残っていた。


「婆ちゃんがいらん言うたからな。まぁ俺もこの暑さには参るから付けようか思っとるけど、なんせ金がな」


「まぁエアコン高いもんねぇ」


 潤は言うと力任せにうちわで風を起こす。その風が潤の少し長めの黒髪をさらりとそよがせた。


「それより潤、お前もうすぐ資格試験なんやろ。こんなとこに来んと家で勉強せなあかんのんちゃうんか」


 潤は資格マニアで、役に立つ立たない関わらずいくつかの資格を持っている。今もその勉強中のはずなのだが、朝薫が車で家を出ようとしていた時に遊びの誘いがあり、祖母の家に行くからと言うと「僕も行くー」と言って来たので、途中でピックアップしたのだ。


「息抜きだよいーきーぬーきー。趣味だけど勉強漬け疲れたよぉ。薫もこの暑いのになんでこっちに来てるの?」


「たまには家の風通したり掃除したりせなあかんからな。この家は母ちゃんが気に入っとんねん。母ちゃんも田舎好きでな。やっぱり婆ちゃんと親子やねんなぁ。ほんまは掃除も母ちゃんが来たがってたんやけど弟が受験やからな。世話したらなあかんし」


「ああそっか。優くん大学受験なんだっけ。大変だ〜。じゃあお婆ちゃんが亡くなった時、こっちに引っ越して来ようって話とかにはならなかったの?」


「それはならんかった。こっち来たら父ちゃんも俺も通勤が大変やからな。なんせここは駅から徒歩30分や。俺はともかく父ちゃんの会社は自動車通勤あかんらしいしな。そこは母ちゃんも分かっとるから言い出しもせんかったわ。優の通学も大変になるしな」


「そりゃあそうかぁ。毎日徒歩30分はきついよねぇ。良い運動にはなりそうだねど。それにこの広さじゃ親子4人じゃ狭いかな? あ、麦茶お代わりちょうだ〜い」


 潤が空になったグラスを掲げたので、薫はペットボトルから麦茶を注いでやった。続けて自分のグラスにも入れる。


「そろそろ昼飯の時間やな。そうめんでええか?」


 戸塚家に親戚から桐箱でたくさん送られたもので、母親に「昼に食べぇ」と数束持たされたのである。


 料理は就職してから薫の趣味になったものだ。食品会社の営業になった薫は様々な「〜〜の素」に触れ、おもしろそうだと思ったのだ。それまでこれと言って熱中するものが無かった薫が久しぶりに楽しいと思えるものだった。


「良いよ〜。こんだけ暑いんだもん、そうめんぐらいしか食べる気が起きないよ〜」


「せやな。母ちゃんと相談してこの客間だけでもエアコン付けたいよなぁ」


 薫が言って立ち上がると、耳に「にゃあ」と透き通る様な可愛らしい声が届いた。


「あ、猫だ」


 見るといつの間にか縁側に1匹の黒猫がちょこんと座っていた。


 黒猫はまたひと声「にゃあ」と鳴く。


「かわいいなぁ。黒猫だぁ」


 潤がうだる身体をずるずると引きずって黒猫に手を伸ばすと、黒猫は喉元をくすぐるそれをおとなしく受け入れる。


「うわぁ、人に慣れてるんだねぇ」


「婆ちゃんが餌やっとった猫やからな。俺らが遊びに来とった時にもよう餌もらいに来とったわ。よし、俺らの飯の前に餌やろか」


 薫は持って来たバッグからフリーザーバッグに入れた猫餌を出し、キッチンから取って来た餌入れに入れてやる。一般的なかりかりだ。それを縁側の黒猫のそばに置いてやると、黒猫はまた嬉しそうに「にゃあ」と鳴いた。


 潤が手を離すと、黒猫はさっそく餌入れに顔を突っ込む。かりかりかりと小気味好い音を立てながらがっついた。


「もっと頻繁に来れたら良いんやけどなぁ。こいつにももっと餌やりたいし。普段どうしてるんやろ」


 薫が言いながら餌に夢中の黒猫の頭をそっと撫でる。


「そこは野良猫なんだからどうにでもしてるって。それこそよその家からもご飯もらってるかもだよ〜」


「やったらええんやけどな。1日分ぐらいやったら置いとけるけど、あんまり置いといたら他の動物も寄って来るかもしれんし、そうなったら庭荒れてまうからな。難しいところやわ」


「そうだねぇ。でもよく薫がここにいるポイントでここに来るよねぇ」


「もしかしたら毎日来とるんかも知れん。それやったら誰もおらん時やったらがっかりしとるかも知れんなぁ」


「猫なんて気まぐれなもんだよ。いなかったらいなかったで適当にどっか行くって。ここにだって餌くれるから来てるだけかも知れないよ」


「シビアやな。でも猫やしそんなもんかも知れんなぁ。お、食い終わったか。旨かったか?」


 黒猫は空になった餌入れを前に顔を上げて、また「にゃあ」と鳴いた。なんとも可愛らしい。薫はまた頭をそっと撫でた。


 すると黒猫はすっと立ち上がり、ひらりと庭に降りて向こうにゆっくりと歩いて行く。


「はは、餌食ったらもう用無しかい」


 薫がおかしそうに笑うと、黒猫は少し行ったところで足を止める。そして首だけをくるりと曲げてこっちを見た。


 宝石の様な輝く丸い眸が薫を見つめる。薫は「ん?」と腰を浮かす。


 すると黒猫は目を向けたまままた数歩歩みを進める。そしてまた止まった。


「どうした?」


 薫が言うと、黒猫はまた「にゃあ」と鳴く。薫が首を傾げるとまた「にゃあ」と一声。


「あはは、まるで付いておいでって言ってるみたいだよね〜」


 潤の何気無い言葉に、薫は「おう」と頷く。確かに薫にもそう見えた。


 薫はばたばたと玄関に向かうと自分と潤の靴を持って戻って来る。それを縁側の下に放り出しバッグを持つと。


「行ってみるか」


 自分のスニーカーを履いた。


「僕も?」


「どっちでもええで」


「じゃあ行こうかな」


 潤もバッグを持つと、薫の横でスニーカーを履く。ふたり並んで庭に降り立って黒猫に向かって歩くと、黒猫は満足げに歩き出した。




 薫と潤はすたすたと歩く黒猫に付いて歩いて行く。黒猫は迷う素振りも見せずに進んで行った。


 ここは郊外。要するに田舎だ。家の周りもそうだが緑が多い。少し歩けば木々が生い茂る林が見えて来る。黒猫はそこに入って行った。ふたりも付いて行く。


 最初は左右に木々が生える道だった。舗装なんてもちろんされていないので、少し足場が悪い。そんな道も黒猫はするすると歩いて行く。


 すると徐々に木々の様子が変わって来た。まっすぐ上に伸びていたはずの左右の木々が次第にアーチを作る様に内側に弧を描き始めたのだ。


 そしてそれは段々と背が低くなって行く。ついに薫と潤は腰を曲げなければ進めなくなった。


「ちょお、どないなっとんねんこれ」


「こんな木の生え方初めて見たよ。木ってこんなんになるの?」


「俺もこんなん初めてや。おいおい、もっとかがまんと行かれへんでこれ」


 ふたりはとうとう四つん這いになって木々の間を縫って行く。まだ昼なのに明かりもほとんど入って来ず、うっそうとした木々はトンネルの様なものを形作っていた。


 しかし奥に明かりが見えて来た。そこに向かう黒猫を追ってふたりは手足を動かした。明かりが徐々に大きくなり、その眩しさに目を細める。そして木々が開けたそこは。


「うわ」


「うわぁ」


 広がる光景にふたりは驚いた声を上げる。ずっと石畳の道が続き、斑や三毛など様々な模様の猫が行き交っている。道の両脇には小振りな建物が並ぶ。ふたりは立ち上がりながらそれらを眺めた。


「ここは猫の国なのですニャ」


 その時少年の様な声が足元から聞こえて来て、ふたりは顔を見合わせる。下を見るが黒猫の姿しか無い。


「僕ですニャ。いつもご飯を食べさせてもらっている黒猫ですニャ」


「は?」


「え?」


 ふたりの間の抜けた声が重なる。慌てて黒猫を見ると、そこに腰を下ろした黒猫がにこっと笑った、様に見えた。


「はい。僕ですニャ」


「はあぁぁぁぁぁ!?」


「ええぇぇぇぇぇ!?」


 薫も潤も驚愕で大声を上げた。猫が喋るなんてそんな、ありえるのか。いや、無い。


「んなあほな!」


「だよね! いくら何でもね!」


「おふたりが驚くのも無理は無いですニャ。でもここは猫の国なのですニャ。猫が喋れるのは当たり前なのですニャ」


 さらに響く声に、ふたりは呆然と視線を黒猫に注ぐ。


「ほんまに、黒猫か?」


「はいですニャ。僕の名前はカガリと言いますニャ」


「いやいやいや、どっきりとかじゃ無いの? どっかの陰に声優さんとか潜んでるんじゃ無いの?」


「薫さんと潤さんにどっきりを仕掛けても何の得も無いのですニャ?」


 黒猫がきょとんと首を傾げる。


「それはそうかも知れないけど」


「おふたりとも、これは夢だとでも思って、この国を楽しんで欲しいですニャ」


 動揺する薫と潤に黒猫、カガリは言い、にこっと口角を上げた。


「そ、そうか、まぁ夢やったらな」


「そうだね。何でもありだね」


 ふたりはとりあえず納得してほっと表情を和らげると、ぎこちないながらも小さく笑みを浮かべる。カガリは嬉しそうににっこりと笑った。


「ようこそ、猫の国へ!」

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