焔ノ狐神・2

「お前が葉弥栄ノ×××××神か」


(狐の在り方の神……)

(彼女が、ニライの『新土戦記』で一番の功を上げ、神の第三位に昇りつめた柱……)

ほむら狐神きつねがみ


 葉弥栄は内心冷や汗を流しながら、力を示す尾を幾本も生やした、髪と瞳の、すすきの金が美しい女性を見据えた。

 ニライの新土戦記。【あるまいてぃ】が創り上げた新たな地の信仰を巡り、神々が繰り広げた大戦。そこで一番の功を上げた神――好戦的な性質たちであることは間違いない。


「このたびはあなたの事情に関わらず、私の事情に幸いをもたらす風を頂いた奇縁に是非感謝したく――」


 決して機嫌を損ねぬよう、かといって神格に恥を塗る下手には出ぬよう、葉弥栄は相応の緊迫をもって頭を下げたのだが……。


「ああ、良い、良い」


 緊迫などうっとおしいとばかりの態度で焔ノ狐神は葉弥栄の言葉を遮り、その表情に柔和な笑みすら浮かべるものだから、葉弥栄は拍子抜けしてしまった。


(恐れを纏うもの。その柱、狐神にありながら戦神の如く――)

(噂に聞いていたのと、だいぶ違うが……)


 その理由は、すぐに分かった。


「まあ若いの、そこに座りなんし」


 薄野原の地べたを指差しそんなことを言うと、あろうことか焔ノ狐神は先んじて地に腰を降ろしてしまった。

 葉弥栄は思わず噴き出しそうになった。


(――つまり)

(まったく対等とは思われていないわけか)

(若いの、とは。初めて言われたな……)


 天然の挑発とも取れるそれに激情を覚えることはなく、葉弥栄はむしろ新鮮な心持ちを覚えてしまった。

 言われるまま、葉弥栄も地に腰を降ろす。

 そして真っ直ぐにこちらを見据える焔ノ狐神の瞳を見つめ、話を投げかけた。


「――質問よろしいか?」

「なんぞでも聞け」

「何故私の――いや、木洩日の助けになるようなことを? 早坂 桜とは何者であるか?」

「それは、お前と同じ理由で桜というむすめを愛する私の想い故のことじゃ」

「同じ……理由……」

「そうじゃ」


 焔ノ狐神はにっぱりと笑った。


「彼の地を捨て、ここニライへ飛び立った私。だがそこで巻き起こった戦記を戦い抜くには信仰が足りなかった。――あろうことか、私を助けたのは彼の地で空の社に祈るあの娘の真心であった」


 それだけ聞いても葉弥栄にはいまいち話の要旨ようしが理解できなかったが、続いて焔ノ狐神が期待と共に口にしたそれを聞いたとき――彼女の神格に起こった事のあらましが、十全に、理解できたような思いになった。


「どうじゃ? 桜の孫娘は、あの娘と同じような真心を持っとるじゃろうか?」


(……嗚呼、そうか)

(この柱も……)

(――桜という娘子むすめごも、きっと……)


「ええ」


 葉弥栄はそのときだけ緊迫を忘れ、柔らかな微笑みを浮かべ、心からの言葉を口にした。


「『人の子のなんと不可思議なれど、いつの世も変わらぬその人の子ら』――あの子はその真心をもって、私に今一度それを信じさせ、私を包む常闇に光を与えてくれた無垢な子だ」


 葉弥栄の強き言葉を聞くと、焔ノ狐神は本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 そして、焔ノ狐神は語った。


 自身に真心を向けてくれた娘、早坂 桜。彼女の死後、焔ノ狐神はニライの原神【あるまいてぃ】に掛け合い、その娘をこの地に不正招来させたこと。――そればかりか、彼女のための領域を創ることまで承諾させ、居場所を与えたこと。焔ノ狐神の勝利を決定付けた祈り子の噂は元々広まっていた。その娘を一目見ようと多くが彼女の元を訪れるうち、他の神々も大いに彼女のことを気に入り、特別に気にかけている神も多いこと。


 ……話を聞くうち葉弥栄は、さすがに呆れを覚えてしまった。

 領域を与える。――その桜という娘はもはや、存在としては神に近いものである。

 また、そこまで気に入った娘を無暗に束縛し、悲しませることがあるとは思えない。……不正とも言える行いは、招来と領域だけの話ではなさそうだ。

 一人の人のためにそこまでを行う神の話など聞いたこともない。

 葉弥栄は迷ったが――しかしそれは、決意断じようと未だ消えぬ自身への疑問にも関わる問い掛けであり――故に、擦り切れそうな細橋を渡るような心持ちで、内心一つ息を飲み、思い切って問うた。


「そうまでして一人の人の子に尽くすのは、神の神格あるところとして疑問は抱かなかったのか?」


 挑発とも取れる糾明めいたその問い掛けに、果たして焔ノ狐神は――。

 ――ただ、葉弥栄の内心を分かっているとばかりに微笑んだだけであった。


(――本当に新鮮だ。他の神々とこのように話を交わせるなど、きっとこの先もあるまいに違いない……)


「その問い掛けに対する答えは単純だよ、お前が思っている以上にな」

「――その答えとは」

「それはなあ……そのような考えを、悪くいえば及ぼすこともなかった、その訳はなぁ……」


 葉弥栄は思わず前のめりになり、焔ノ狐神の答えを待った。

 ――その答えは本当に、葉弥栄が想像を巡らせたどんな答えよりも単純であった。


「だって、面倒くさいもん」

「――――面っ……、――――――――!?」


 思わず絶句した葉弥栄に構わず、焔ノ狐神はカラカラと笑った。


「面倒くさいもんは面倒くさい。ならばやった後に考えればよかろう」

「……しかし、他の柱への体裁というものが……」

「ああ、それならば心配はいらない」


 そして焔ノ狐神は一転、それまでの柔和が夢幻に思えるような、神格の底を揺るがす豪気不遜の圧を瞳に宿し、言った。


「私に逆らう神がいようなら、是非話を交え、気に喰わぬことあらば首を取って帰ろう」


(――――……)

(恐れを纏うもの。その柱、狐神にありながら戦神の如く……)

(――これはどちらかといえば、邪神の如くだろう……)


「なにか言ったか?」

「いえ、何も」


 葉弥栄は賢明に首を振った。

 焔ノ狐神は表情を元に戻し、ひらひらと手を振った。


「まあつまり、お前が助けたいと願うのは、私が愛しく思う者の孫娘であるわけだ。少しは手も貸そう。とはいっても、私にできることはもう限られとるがな。件の幼子が桜の孫娘であるという話を広めたのと、あとは神力を貸す程度か。――その対価じゃがな」

「はい」

「その孫娘を無事、元の場所へ帰すことじゃ。『若火焔火』の青火と、【若焔大帝じゃくえんたいてい】の御業を貸してやる」

「――対価はそれだけであるか?」


『若火焔火』の青火と、【若焔大帝じゃくえんたいてい】の御業。

 どちらも、地離れていようと噂に聞き及ぶほど名高い、強力な神力である。

 目を輝かせる浅はかなどせず油断なく問うた葉弥栄だったが、はたしての当然、対価はそれだけの生易しいものではなかった。

 焔ノ狐神は再びその瞳に酷薄な圧を宿し葉弥栄を見据えると、閻魔もかくやという冷酷な声色で告げた。


「ただし、その幼子の助けに失敗したそのとき、お前に残った全ての神格を私に献上しろ」

「…………」

「それが条件じゃ」


 それを聞き受け、葉弥栄はしばし考えたが――それは、これらが焔ノ狐神が仕組んだ罠ではないかという疑いの危惧であり――その可能性を排すと、彼はあっさりと頭を下げた。


「承諾いたします」

「んっ」


 焔ノ狐神はまた、あの酷薄が嘘だったように表情をころりと変えると。


「頑張れ」


 にっぱりと笑んで葉弥栄に激励を送った。

 葉弥栄は再び頭を下げ、「――はい」と歯切れ良く返事した。


「ああ、そうじゃそうじゃ」


 焔ノ狐神はぽんと手を打つと、事のついでのように言った。


「木洩日とやらを不正招来させる準備が整ったからの。その子供は五体満足でこの地に流れ着くはずじゃ」

「それは――」


 最大の危惧。

 それの思わぬ解決に、葉弥栄は総毛立たせた。


「それも――貴方様が?」

「いや違う」


 焔ノ狐神は意味ありげな笑みを浮かべると、懐から一枚の札を取り出し、葉弥栄に手渡した。


「『あかし』を記した札じゃ。――これから、原神【あるまいてぃ】の元へ赴き、会いに行け」


 葉弥栄は茫然となり、手渡された札、幾何学模様の中心に瞳の刻印が刻まれた赤い紙切れを見つめた。

 原神。創生司るモノ。

 本当の神。

 葉弥栄が未だ目にしたこともない未知との邂逅の機会が、その手に握られていた。


 

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