喪失

 縁の不思議。

 消え去った者とすら変わらず結ばれる、運命と想いの糸。


 その事情、理すら超える不滅の力。――しかし。

 縁永久とこしえなれど、それを結ぶ者の余りの儚さ。

 故に愛しく――しかし、いざ我が身の事情となれば、それは……。


 時として試練となるその悲しみを見続けてきた。だがその悲しみをじかに味わったことは一度としてない。

 縁の神を体現していたはずの彼は今更に、その不思議と残酷の試練――縁のまことの痛みを知ろうとしていた。





 薄い織から光が滲む、曇り空の日であった。

 葉弥栄は今日も、あの幼子、木洩日のことを想っていた。 

 なんとか、手を貸す手法はないであろうか。

 そんな益体もない祈りを思っていたその時――それは訪れた。



 葉弥栄の双眼から見る、鮮明に映る光溢れる世界に、ビシリと、亀裂が入ったかのような傷が走ったのだ。



 傷から漏れる常闇。

 それは内包する神格すら揺るがす衝撃となり、彼を襲った。


(――――――――!?)

(いったい何が起こった――!?)


 険しい表情で頭を押えながらも、どこまでも澄んだ青色の双眼にすっと指を走らせ、素早く辺りをぐるりと見渡した。

 千里を見渡す術程度ならばもうとうに現せる、それほどまでに回復していたはずの神格が、ぐらりと揺れる。


(――ぐッ……)

(――――木洩日!?)


 その直感と同時に、事の真相である景色を瞳に捉えた。




 …………倒れ伏す少女。

 大型の車両から飛び出し、叫びながら少女に駆け寄る中年の男。

 少女の虚ろな瞳。

 少女を中心に広がる、赤い液体。

 ……希薄になってゆく、少女の魂。



(…………あ)


 尽くしてくれた少女。

 真心を捧げてくれた幼子。


(あ、ァ……)


 何もしてやれなかった。手を貸してやることができなかった。

 ただ祈りながら見続けることしかできなかった。

 愛しかった。


 ……少女の倒れ伏す場所。人気のない、僅かだが見通しの悪い車道。

 なぜ、そんな人気のない場所へ少女が?

 考えるまでもない。

 視界の悪い車道――そこは、葉弥栄の神社へと向かう通り道だった。

 ――少女の喉が力なく動く。小さな呟きが、葉弥栄の中で響く。


「お……とさん。おかあ……さ……。…………」


 呟き、男に揺さぶられながらしばし脱力して。

 その視線が、葉弥栄の神社の方向へと動いた。


(…………ひとりに、なっちゃう……)


 少女が最後に気にかけたその思いすら、葉弥栄の中に響き、反響した。

 とても適切とはいえない行動ながらも、必死の形相で少女を手に抱く男に。

 もうほとんど失した虚ろな意識の中、少女はか細い声を向けた。


「この……先に……神社が…………」

「もういい、喋るな! い、今ァ救急車呼んだからよォ!」

「…………じん……しゃ……。…………。……………………」

「……オイ。――――オ、オイ、嬢ちゃん、――嬢ちゃんッッ!!」


 少女の瞳から、魂の色が消えた。

 ――木洩日は最後まで、葉弥栄のために祈った。

 葉弥栄は。

 ……何もしてやれなかった。手を貸してやることができなかった。

 ただ祈りながら見続けることしかできなかった。

 どころか――。


「(あ……嗚呼アアアアアアアアあああああああああああああああああああああああああ―――――――!!)」


 過去幾度の苦難にも決して悲痛の叫びなど上げることのなかった葉弥栄ノ×××××神は、今、白に染まった意識の中で、悲痛そのものの絶叫を吐き出していた。

 己の無力と罪。

 木洩日と結んだ縁が悲痛となり葉弥栄を絡める。

 初めてその身で知った、縁の痛み、縁の証……。


(……………………嗚呼、嗚呼……)


 大粒の涙を止めどなく流しながら、葉弥栄はただ顔を覆い項垂れ続けた。

 四肢を失ったあの常闇の時ですら感じたことのない虚脱。

 ――日が暮れたように辺りが暗くなる。

 しかしそれは、彼の世界にとっての日落ちだった。


 彼はずっとずっと、そのまま涙を流し続けていた。――人を失い涙する神など彼は知らない。彼はようやく、自身が得ていた事の重大――見つめ続けた理をも超える超然の力が、いつの間にか己の元へも降り立っていたことに気付いた。





 その日、己に祈る唯一の者を葉弥栄は失った。

 そして。

 ――彼は消えなかった。

 縁の不思議はまだ、彼自身を取り巻き、結び、繋がっていたのだ。


 

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