記憶 ~1~

 村の活気がすっかり感じ取れなくなった場所まで歩いた頃。

 木洩日はようやっと、なんとか心に整理をつけて幾分かの落ち着きを取り戻していた。――まだ村のほうから絶えず感じる温かみに身を引かれる思いは強くあったが、なんとか、幾分かは……。


 落ち着きを取り戻すと、この広大な世界で今やコマと二人ぼっちだという事実が強く意識された。それは寂しくもあり、彼に感謝する温かな幸いを抱く事情でもあった。――そんな感慨と共に、村を出る前からずっと感じていた不思議が首を伸ばし、木洩日をくすぐってきた。


 木洩日は歩調を少し緩め、前を歩くコマの後ろ姿をじっと見つめた。

 その背にも、ぴょんと丸まりながら跳ねた美しい白髪にもやはり見覚えがなかったが、しかしどこか懐かしい。


 コマ、渡しの神。彼は常に、霊力とでもいうべき清く強い圧を発していた。害意や敵意のように攻撃的な威圧ではないが、少し近寄りがたい雰囲気とも言える。しかし木洩日は、コマに力の頼りとはまた違った不思議な安心を覚えている。


「……ねえ、コマ」

「なんだい?」


 足を止めぬまま振り返りながら、コマは尋ねた。

 木洩日はじっと、コマのどこまでも青い瞳を見つめながらに問うた。


「私とコマは、カナイで会ったことがあるんだよね? でも私、それだけじゃない気がするの」


 木洩日は地の若草に視線を落としながら、まだほとんどない彼との触れ合いに思いを馳せた。


「私コマに話しかけたとき、全然緊張しなかった。村での土耕しのときね? ――今だって、なんだかすごく自然に喋れるの。あのね、私とコマはずっと今みたいにお喋りしていた気がするの。私の気のせいかな?」


 それを聞いて、コマは柔らかく微笑んだ。


「気のせいじゃないよ。木洩日はで、今みたいによく私に話しかけてくれた。その日のお天気のことから、嬉しかったこと、学校であったこと、とりとめのないことまで様々を私に話してくれたよ。私はそれがとても嬉しかった」

「そ、そうなんだ!」


 木洩日も笑顔になり、弾むような歩調でコマの隣に並んだ。


「じゃあもしかして、私たち友達だったの?」

「――いや……」


 コマは何故だか微妙な表情を浮かべると、木洩日から顔を反らした。


「いや、友達という仲ではなかった。私は……私がそう思うことは許されていなかった」

「そっか、神様だもんね……。――アレ!? じゃあ私、カナイの世界で神様と喋ってたの!?」

「神にも色々ある。神に語りかける人間の多くは、それが神と分からぬままに話しかけているものなんだ」

「そうなの……。じゃあきっと、私の場合もそうだったんだね。コマはどんな姿をしていたの?」

「……すまない、それは言えないんだ」

「……そっか。…………」


 木洩日は、木洩日とコマの関係、そしてコマという存在の話になってから、どうにもコマの喋る調子があやふやになっていることに気付いた。コマはあまりそのことに触れたくない様子だ。


「この話をどうにもしにくい訳は、後で話すよ」


 木洩日の不安が表情に現れると、コマは再び温かな微笑みを浮かべて木洩日の手を引いた。


「今はとにかく、先に進むことを考えなければ。――夜が来る前に」

「夜が来ると、なにかまずいの?」

「それも後で話す。今はただ、無理にならぬ程度に急ごう」


 優しく前へ引いていた手を離すと、コマは木洩日の歩調に合わせながら、何かを見据えるように強く眼前を睨んだ。


(……私が進む道の先に恐ろしい過酷が待ち構えていることを、私はなぜだか知っている)

(コマもきっと知ってるんだ。私の予感よりも、はっきりとした形で)


 木洩日は突然、ぱんと頬を両手で張った。

 驚くコマの隣で木洩日は毅然と前を見据え、平和な若草の一面を力強く踏みしめて一歩を前へ送った。

 コマは不思議な色の微笑みを浮かべた。


「……君はそういう人の子だった」


 感慨込められたその呟きは、木洩日には聞こえなかった。


 

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