『ふぁーめい』 ~2~

「あい分かった。委細承知」


『ふぁーめい』はまさに竹を割ったようなさっぱりした性格の持ち主で、長から木洩日の世話を任されたときも、まるでそれが自身の役目であることを知っていたかのように僅かの間も挟まず快活な返事を返した。


「よろしくお願いします!」と木洩日が勢いよく頭を下げると、『ふぁーめい』は腰に手を当て、一眼の布の下で快い笑みを顔一杯に浮かべた。そういう女性である。


 木洩日はさっそく彼女の住まいに招き入れられた。


「ゆっくりおしよ。今温かいスープを作ってる、ちょっと待ってな」


 男性のそれより丸みを帯びた手で鍋を掻き混ぜながら、『ふぁーめい』はまるで家族に接するような声を木洩日に向ける。

 しかし木洩日はコチコチに固まって、長テーブルの椅子に収まり縮こまっていた。『ふぁーめい』の声にも、ただ硬く頷くだけである。


 原因は二つの視線であった。


 木洩日の右隣には、じっと下から木洩日の表情を覗く小さな子供。やはり子供も一眼模様の布を被っている。丸みの多い体格からして女児のようだ。

 そして木洩日の向かいで、キラキラと輝く好奇の視線をこれでもかとばかりに注ぐ、木洩日より少し幼いくらいの男の子。彼の視線が、木洩日が縮こまっている大体の理由である。

 その凝視と言ってしまっていい視線に困り、すらりと細く高い『ふぁーめい』の後ろ姿を見てみれば、彼女はクスクスと体を揺すり笑っていた。木洩日は俯き、少し赤くなった。


「――なあ、あんたさあ」


 そしてついに、意を決したように身を乗り出しながら、男の子が急くような調子で話しかけてきた。


「あんたさ、カナイから来たって本当かよ? あのさ、皆言ってんだ……」

「……うん、本当。私はここじゃないところから来たの……」

「――すげえっ!」


 男の子は興奮したように体を揺すると、更に木洩日のほうへ身を乗り出した。


「さっき名乗ったけど、俺は『ふぁーた』。こっちの妹が『ふぁーまい』」


 女の子がことりと小首を傾げた。

『ふぁーた』は更に勢い込んで話を続けた。


「あのさ、俺は死後の世界の言葉が喋れるんだ……! ここらへんに住む者は喋れる奴が多いけど、俺も喋れる!」

「死後の世界って、カナイのこと?」

「そう言われてる。選ばれた存在は死後カナイに向かうだろうと。でも最近じゃあ、カナイに向かうニライの者の魂はめっきり減ってしまったらしいけれど……。とにかく、カナイだけじゃないさ、『遥かなる王朝』辺りだってこの言語で通ってるんだ。そして俺はそれが喋れるわけでさ」

「うん」

「つまり、君とお話ができる! ――なあ、カナイってどういった場所なんだ? こことは何が違うのだろう……?」

「……私、生きていたときの色々が思い出せないの。どうやって死んじゃったのかも、そのほかのことも。でも、私がずっと見ていた景色は、薄ぼんやりとだけど覚えてる」

「ど、どんな景色だったんだ!?」

「ここより空が低いの。雲がもっと近くにあって、寝転がって手を伸ばすと、やっと空の高さを実感できる。あちらは、ここより香りが濃い。なんでもない空気にも香りがあって、それで季節が分かったりする」

「季節?」

「うん。四季っていって、長い一年で四つの時期が訪れるの。温かな季節、暑い季節、緩やかな気象の季節、寒い季節、その四つが必ず順番に来るの。それぞれ春夏秋冬って名前があって、春と秋の気温は似通ったところがあるけれど、春は命芽吹く季節で、秋は命が終わりへ向かう季節なの。春は葉を伸ばし、秋は葉が色付き散り際へ向かう」

「へぇええ! ――なんだか、慣れているように分かりやすく喋るな!」

「え? ……――――」


 言われて、木洩日は一つ思い出した。


(……そうだ)

(これ、お婆ちゃんから教わったことだ。教わったこと、そのままだ……)


 網膜の裏に一瞬映った祖母の姿。

 フッと吹き消えるようにして、僅かの間にそれは消えた。


(桜お婆ちゃんも、ニライの世界を訪れたりしてないかな……?)


 自然と目元に力が籠る。眼の淵に僅かに涙が溢れた。

 首を傾げる『ふぁーた』にバレぬよう、木洩日は服の袖でさっとそれを拭った。

『ふぁーた』は木洩日のそれには気付かず、抑えられぬ好奇心をとにかく言葉にしたいといった様子で話を続けた。


「なあ、木洩日がいた場所はどんなところだったんだ? つまり、俺たちがこの海岸沿いの斜面に村を構えているみたいに、木洩日が住んでいた故郷の景色が知りたいんだ!」

「……途切れ途切れにしか覚えてない。川が流れてた。橋があって、川が流れてて、それでその先には車道があって……」

「シャドウ?」

「車っていう機械が通る道。鉄の箱みたいな感じで、それが中に人を乗せて走るの」

「へええ! どうやって走るのだろう? ――そ、それで?」

「うん、それでその先には小さな山があって、そこには石段があって。……あ、思い出した。今話してるの、私がよくお参りしてた神社の景色だ……」

「神社。神を祭っているんだろう?」

「そうだよ。山の木々に囲まれた、開けた場所で。その神社の名前は、……名前は、…………」

「思い出せない?」

「うん……。神社の風景は朧気に思い出せるのに」


 木洩日は目元を抑えぎゅっと目を瞑った。


「……何かの石像がぽつんと一つあることが、すごく印象的だった……。一つ、だけ……」

「なんだい、そりゃ?」

「分かんない。……その他には、あっちにもこっちにも家がたくさん。空き地に生えてたススキ、学校までの上り坂……」

「――ええい、すごく気になるけれど上手く想像できない! ね、絵に描いてよっ! 紙と筆を持ってくるから、それで――」

「『ふぁーた』、いんふぁッ! ――もうご飯だよ、後にしな!」


『ふぁーめい』の一喝が飛び、『ふぁーた』は首を竦めた。

 縮こまりながら『ふぁーめい』のほうを窺うと、『ふぁーた』は木洩日に顔を寄せ、小声で囁いた。


「……姉ちゃんは美人だけど、怒るとすげえ怖いんだ。気を付けろよ……?」


 木洩日はきょとんとした表情を浮かべたのち、くすくすと口に手を当てて笑った。


「さあできたよ。『ふぁーた』、木洩日、これをそっちに運んでおくれ」

「はい」

「はーい」

「――さあ皆、手を組んで」


 ご飯がテーブルに並ぶと、『ふぁーめい』は両腕を胸の前で組んで視線を下げた。それに倣った『ふぁーた』と『ふぁーまい』を真似て、木洩日も手を組む。


「いえ あるまいてぃ」


『ふぁーめい』がそう発すると、『ふぁーた』と『ふぁーまい』も元気よく、しかしどこか厳かに、それを口にした。


「……いえ あるまいてぃ」


 木洩日も遅れてそれを口にした。

 何かが起こるまでは、自分はこうしてここで暮らすのだ。

 そのときなんとなく、木洩日はそれを予感した。


「――んん、美味しい!」

「そう、よかった」

「あのさ木洩日、さっきのガッコウって場所のことなんだけど――」

「『ふぁーた』、あとにしなッ!」

「うひッ。……はーい」


 再び、木洩日の表情に自然と微笑みが浮かんだ。

 今はただ、そのスープの温度が、そしてこの家族の温もりが温かかった。


 

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