第1-3話 今までは話しかけてくるやつなんて居なかったから『自分』とだけ対話していた

 三時間目は、理科だった。理科教師は自己紹介を終えると、これから一年の授業の流れの説明をはじめた。

 やばい。先ほどまでのこととトイレに行きたいのとで、話が全く頭に入ってこない。

 ノートを開き、とにかく黒板の文字を全て書き写すことに終始する。

 仰け反るようにしていた両隣のクラスメイトは、今は前かがみになって様子を伺うようにこちらを、ちらちら見てくる。

 そりゃそうだ。こんな面白い見ものがあったら、私だって見る。

 教室中の好奇の目を感じて何とも居心地が悪い。

 いじめられるのも辛いが、この状況も勘弁だ、と思う。これがいじめの前哨戦だとしたら大した趣向だな、とも思う。もっとも、それ以外の可能性なんてないと思うが。

 ――思う、じゃないだろ、ないって断定しろよ。

 心の中でもう一人の自分が囁く。

――人を信じたら、裏切られる。いいことがあった後には、必ず、嫌なことが待っている。そうだろ? 

 ――ああ。そうだな。

 自分の内側の声に返事を返す。心の中でのひとりごと、とでも言うのだろうか。こんな風に自問自答するのが、癖になってしまっている。六年近い、いじめられ期間をそうやって乗り切ってきたのだ。でなければ、とっくに気がおかしくなっていただろうと思う。

 もう一人の自分と対話したら大分気持ちが落ち着いてきた。

 私は一息つくとシャープペンシルを持ち替えて、理科教師の説明に耳を澄ませた


 三時間目が終わった。理科教師が教室を出て行くのと同時に私は席を立ち、教室の出口に向かった。

 竹内がやってきた。

 「どこ行くの?」

 「……トイレ」

 「あたしも一緒に行く!」

 「あのなぁ、」私は言った。いい加減に、と続けて言おうとしたときだった。

 「なー坊!」

 女子生徒の大きな声がした。

 そちらのほうに視線をやると、女子が五、六人で固まっていた。皆、不安げな眼差しで私と竹内とを交互に見ている。

 多分、竹内と同じ植東うえとう小学校から上がってきた女生徒たちだろう、と私は予測した。仲間の無謀を見るにみかねた、というわけだ。

 「なーに? 麗ちゃん」竹内だけがこの教室の中で、一人、暢気な顔をしている。

 「ちょっと来て」

 麗、と呼ばれた女子が竹内に向かって手招きをする。ちら、と私を見る眼差しには敵意に似たものが感じられた。

 私はくるりと背を向けて、黙って出入口に向かった。ぴしゃっと教室のドアを閉めたとき、中から、もう、なー坊ったら何考えてんの? という声が聞こえた。その続きが聞きたくなくて私はさっさと歩き出す。

 これで、ジ・エンドだ。

 肌寒い廊下を一人で歩きながら、ふと、あいつは、なー坊って呼ばれているんだな、と思った。

竹内奈緒だから、なー坊。

 可愛いあだ名は周りから愛されている証でもある。私の小学校時代のあだ名は……。

 ――余計なことを考えるなよ。

 私の中の、私が言う。

 ――それとも何か? 変な期待でも持っていたのか?

 もう一人の私はたまに私をからかうようなことも言う。自分で自分をからかって、自嘲して、全て自分の中で完結させる。誰からもほとんど話しかけられず、話しかけられることがあれば残酷な言葉ばかりが浴びせられる時間を過ごした私が、自然に身につけた自己防衛のテクニックだった。

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