2-2

 カレーを煮込みながら、俺はテレビに目を向けている乙咲を見る。

 画面の中では、ちょうどミルスタのライブ映像が流れていた。元の番組自体は収録済みの音楽番組らしく、ライブ映像自体も彼女らの紹介のために使われたようだ。


「やっぱりこの時の腕振りはもう少し大きくてもよかった……」

「ずいぶん細かいな……正直分からないぞ?」

「頭の中だけで想像しても分からないと思う。実際見てみればきっと印象が変わるはず」

「そういうもんなのか」


 いつもは何を考えているのか分からない顔も、今はどことなく仕事人の顔になっている。

 画面越しに見ていた顔がすぐそこにあると思うと、何とも不思議な気分だ。


「ほら、できたぞ。ご希望のカレーライスだ」

「っ! 待ってた」


 今日はちゃんと炊いた米にカレーをかけ、乙咲の前に置く。

 今回作ったカレーは出汁と醤油を少し混ぜたもので、若干和風よりの仕上がりになっている。

 味見の時点で俺の口には合っていたが、彼女の口にはどうだろうか?


「美味しい……! 美味しすぎてびっくりした」

「お前のリアクションはほんとに作り手に優しいな」


 目を輝かせながら感想を言うものだから、お世辞だと疑う余地がない。

 続いて自分でも飯と一緒に口に入れてみたが、確かにこれはいい出来だ。一度だけ同じ作り方をしたことがあるが、その時よりも美味くなっている。

 成長が感じられると嬉しいものだ。


「おかわりしたい」

「そう言うとは思ってたけど、これだけの量がその細い体のどこに消えてんだよ」

「厳しいレッスンに耐えるには、もっと多くの食事が必要。これくらいじゃむしろ全然足りない」

「へぇ……こりゃ作り甲斐がありそうだ」


 おかわりを渡してやると、乙咲はまた嬉しそうに食べ始める。

 その姿を見て徐々に冷静になってきた俺は、ずっと疑問だったことを聞いてみることにした。


「なあ、やっぱりちょっとおかしくないか?」

「何が?」

「お前がこんな庶民の飯を食べたがることがだよ。皮肉でも何でもなくさ、お前ならもっと美味い飯にありつけるだろ」


 この話は、俺にとってあまりにも旨すぎる。アイドルに飯を作って家に泊めるだけで、月五十万。もはや詐欺を疑うレベルだ。

 現に俺は今裏を疑っている。金もまだ机の上にそのままにしているし、手を付けていない。

 浮かれ気分もここまでだ。ちゃんと未来を見据えた話をしなければ――。


「……誰かの手作りを食べたのは、久しぶりだった」

「え?」

「私の家、ちょっと裕福。でもお父さんもお母さんも忙しくて、ほとんど家にいなかった。だから食事は家政婦さんがいつも作ってくれた。でも……温かいはずのご飯は何故か全然温かくなくて」


 でも――。


 言葉を区切って一度は沈黙した乙咲だったが、すぐに再び口を開く。


「志藤君のご飯は今まで食べたどんなものよりも温かかった。それが何だかとても嬉しくて……きっといつまでも忘れないって思ったの」

「……そんな大層なもんじゃ、ねぇよ」


 そうか、こいつも俺と『同類』か。

 ともあれ、彼女の言葉が嘘ではないということは分かった。これがアイドルの演技だったとしたら、もはや本人を褒めるしかない。


「けど、分かったよ。その、疑って悪かったな」

「疑ってたの?」

「話が旨すぎたからな。国民的人気アイドルが家に来て、飯食わせて泊めるだけで金がもらえるなんて、本来ならこっちが払う側だろ」

「価値があると思った物にはお金を払う。当然のこと」

「そうかもしれねぇけど……お前にはその見た目だけでもとんでもない価値があることを自覚しろよな」

「……そういうもの?」


 俺の言葉が理解できないのか、乙咲はきょとんとした表情を浮かべて自身を見下ろす。


「志藤君も、私の体好き?」

「ぶっ――」


 慌てて口を押え、ちょうど含んでいた水を噴き出さないように努めた。

 代わりに水が気管に入ってむせてしまったが、そんなことはもはやどうでもよかった。


「な、何言ってんだ⁉」

「みんな私の体をじろじろと見てくる。本当は歌や踊りで評価してほしい。でも、やっぱり見た目も大事?」


 ――返しに困る。


 まあこいつ相手に取り繕う必要もない。正直な意見を伝えよう。


「そりゃそうだろ。見た目がよくなきゃそもそもアイドルとしてデビューできなかっただろうしな」

「……そっか。当たり前のことを聞いた。ごめん」

「別にいいけど……何かそれも事情がありそうだな」

「最近学校の人たちや、仕事先の人たちの目が怖い。気のせいかもしれないけど……」


 直接本人には言いにくいことだが、きっと彼女の感覚は気のせいじゃない。

 ぶっちゃけ男どもは間違いなくエロい目で見ている。デビュー当時は中学生だった乙咲も、高校に入学してから一気に体つきが女っぽくなった。むしろなり過ぎた。

 特にアイドルに興味がなかった俺ですらそう思うのだから、まず間違いない。


「お前はどこか危機管理能力に欠けてる気がするからな。本当に気を付けて生活しろよ」

「何に?」

「だから男にだよ。男は獣ってよく言うだろ? 襲われてからじゃ遅いんだから」

「志藤君も獣?」


 こいつは何度俺を困らせれば気が済むんだ。

 例えそうだったとしても、ここで頷くことなどできやしない。


「俺は襲わねぇよ。大事な金づる――じゃなかった、雇い主だし、まだ犯罪者にはなりたくねぇ」

「金づるは酷い。でも不思議と安心」

「金は一つの安心材料だ。別に悪いもんじゃねぇよ」


 タダほど怖い物はないというように、金銭が発生した事柄に関してはその分の安心が買える。

 俺も彼女から金を受け取っている限りは、裏切るような真似はしない。

 まあ、もらってなくても人間としてそんなことはしないが。


「乙咲って、本当に純粋な奴なんだな」

「そう?」

「ああ。だから人気が出た部分もあるんじゃねぇかな、多分」


 芸能界はよく闇が深い場所とも聞く。彼女がいつかその闇に触れて苦しむことがなければいいんだが――それは俺にどうにかできることでもないし、彼女からすれば余計なお世話かもしれない。

 よく知りもしないで口を挟むことだけはしないでおこう。


「あ、そう言えば風呂はどうすんだ? 俺の家には男物のシャンプーしかねぇぞ?」

「大丈夫、持ってきた」


 乙咲は自分の鞄から『ザ・お泊りセット』とでも呼ぶべきポーチを取り出す。中には一回分使い切りタイプのシャンプーやボディソープに、歯ブラシと歯磨き粉が入っていた。


「泊まる気満々過ぎるだろ……」

「うん。初めからそのつもりだった」

「お前さ、よく男を勘違いさせるって言われないか?」

「メンバーから言われたことがあるけど、何で分かったの?」

「やっぱりどこか変だな、お前」


 天才には変人が多いと聞くが、きっと乙咲もそのタイプだ。

 俺が女だったら、恋人でもない男の家に泊まるなんて断固として拒否している。しかも一人で。しかも長い付き合いでもないのに。

 その変人っぷりのおかげで給料をもらえるのだから文句はないが、心配は尽きなさそうだ。


「志藤君」

「何だよ」

「これから、よろしく」

「……ああ、よろしく。それと今後は凛太郎でいいよ。俺からすればお前は上司だからな」

「分かった。じゃあ私のことも玲でいい」

「話聞いてたか……? お前が上司で俺が部下って話をしてたんだけど」

「じゃあ……命令? 名前で呼び合えば、もっと仲良くなれる」

「小学生かよ」


 少し安請け合いし過ぎたかもしれない。金を受け取ってしまった以上は、乙咲の言葉は絶対。これからは逆らえないのだ。

 ――ほんの少しだけ、嫌な予感がした。

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