第1話 壊れた杖

 魔法学研究所の今日の仕事は、魔道書の整理。


グループ研究が始まることもあって、さしあたり必要なさそうな魔道書を書庫に戻して、新しい魔道書と入れかえる。


台車を待っているあいだ、奈月なつきと、けいは、研究室の魔道書を分類していた。


魔道書は、少なくても300ページ以上はあるし、多いと500ページになる本もある。


仕分けていくと、テーブルに、ブックタワーができあがっていく。


耀ようくん、遅いな。なにしてんだろう。お昼休憩、終わってるのに。」


奈月は、休憩から戻ってこない所長の耀ようを心配していた。


所長といっても、耀は、まだ24歳。妃乃ひの神龍かみりゅう、奈月と同じく、学校を卒業したばかりの若手魔法学者。


耀は、学生のうちに、一級魔道士の資格をとってしまう秀才で。


教授の紹介を受けて、大学を卒業した後は、魔法学研究所の所長を務めている。


耀の実家は、研究所の近所。


浮遊魔法で空を飛んで、線路を飛びこえてしまえば、陸橋りっきょうを渡らずに済むから、本来、徒歩5分かかる道のりを、滞空たいくう時間1分で帰れる。


だから、お昼ごはんを食べに、実家に帰っていた。


「耀くんが帰ってくる前に仕事を終わらせて、びっくりさせちゃおうか!」


今日も楽しい一日になるよ!がんばろう!と、圭が、はりきっている。


「お父さん、なにか楽しみなことでもあるの?」奈月は、きいた。


「言霊だよ。楽しいって言ったら、ほんとに楽しい一日になるような気がしない?」


そう言って、圭は、本棚からとった魔道書を開いた。


「これも、とりあえず必要なさそうだね。」と、奈月にわたす。


「古代魔法史……?」と、奈月は題名を読んだ。ページをパラパラめくると、遺跡の写真が載っていた。


圭が話す。


「ミノア文明。昔、ギリシャのあたりで栄えてた謎の古代文明だよ。今よりも魔法技術が発達してたみたいだけど、急に滅びちゃったんだよね。」


ふーん……と、奈月は、本をテーブルに積んだ。


「あれ、これ……。」と、奈月は、ベルトでとめられた魔道書に気づく。


開封厳禁かいふうげんきん!と、耀の真面目まじめな字で書かれたメモがはってある。


「なんだと思う?」と、奈月は、圭に魔道書を見せた。


なんだろう……と、圭が魔道書を調べる。


「開封厳禁ってことは、やばいってことだよね?もしかして、不老不死になれるみたいな禁断の魔法かな?」


「俺も気になる。開けるなって言われると開けたくなるよね。」


「俺たちだけしかいないし、見ちゃう?」圭が、魔道書のベルトをはずした。



 「力仕事、めんどくさいなー。」


妃乃ひのは、隣で、台車を転がす神龍かみりゅうに言った。


神龍というのは、神谷龍かみやりゅうから谷をとったあだ名。


妃乃が、神に龍なんてすごい名前だね!神龍!と、おもしろがって呼んでいたら、いつの間にか定着していた。


「空間転移魔法で、書庫にワープできれば、わざわざ、別棟まで、魔道書を運ぶ必要ないのになー。」


「言うなよ、妃乃。みんな、思ってることなんだから。書庫は、たくさんの魔道書がある、研究所で一番大事な場所だよ。書庫で魔法がつかえなくても、仕方ないよ。本を守るためには、こうやって、地道に、台車で運ぶしか……。」


神龍が話していると、妃乃が悲鳴をあげた。


「研究室が、水に沈んでるー!」


ドアガラスから見えた研究室は、水族館。


なにやってんだ、あの親子は!?神龍は、あわてて、ドアをあける。


その瞬間、研究室にたまっていた水が、神龍の頭に、滝のように降ってきた。


巻き添えで、妃乃も、びしょ濡れ。


「開けちゃったんだね、開封厳禁の魔道書を……。」


水をぽたぽた滴らせて、妃乃がつぶやく。


圭は、床に手をついて、ゴホゴホ、むせている。


奈月が、魔道書を神龍につきだした。


「この魔道書、なに!?開いた途端、水が噴き出したんだけど!?」


やれやれ……と、神龍が、説明する。


「魔法陣を描かなくても、本を開くだけで魔法がつかえる魔道書が、一時期、出回っただろ。ぜんぜん、はやらなかったけど。」


「そういえば……そんなのあったね……。」圭が、ぜえぜえしながら言った。


「博士、大丈夫ですか?」と、妃乃が、圭に手をかして立たせる。


「とりあえず、みんな、俺の周りに集まって。」


神龍は、杖を出して、魔法をつかった。床に交差した光が、風の魔法陣を描く。


魔法陣から吹き出した暖かい風が、みんなの濡れた体を乾かした。


「問題は、こっちだよな。」


水没した研究室を前にして、神龍は、頭を抱えてしまった。


「本もパソコンも、だめになっちゃったよ。書きかけの論文のデータが……。」


妃乃も、困っている。


「ごめん。今、なんとかするから。」と、奈月が、杖を出した。


研究室の床と壁に光が反射して、時計の文字盤の魔法陣ができあがる。


奈月の時間の魔法で、研究室は、すっかりもとどおり。


魔法陣の時計の針が逆回転すると、床に散乱していた本が、ひとりでに、テーブルにもどって、水たまりも乾いた。


水没する前の状態に、研究室の時間軸をうまく戻せて、奈月は、ほっとした。


「耀くんがいなくてよかった。こんなの見たら、卒倒してたよ。」


「この本は、書庫に封印だな。」神龍が、開封厳禁の魔道書を台車に積んだ。


「思ったんだけど、私のミクロの魔法で、本を小さくすれば、いっぺんに運べそうじゃない?」


妃乃が言った。けど、神龍は、首を振る。


「魔道書に魔法かけるなんて、だめだよ。また事故が起こったら怖いし、地道じみちに運ぼうよ。」


魔道書を積んだ台車を転がして、渡り廊下に出ると、奈月が言った。


「こっから呼んだら、耀くん来るかな?」と、空に向かって、奈月が、「耀くーん!!」と、叫んだ。


その直後、中庭に、空間転移魔法陣が光る。


魔法陣から降ってきたのは、耀だった。


まるで召喚されたみたいなタイミングで、耀が帰ってきたから、奈月、妃乃、神龍、圭は、「うわあっ!!」と、びっくりした。


耀は、背中から芝生に落っこちて、うめいている。


「おまえ、遅刻だぞ。」神龍が注意した。


「ごめん、いいわけさせて!」と、耀は、両手をあわせて、遅刻したわけを話す。


耀も、弟たちの大学の課題を手伝うことになるなんて、思わなかった。


海斗かいとが、「もう単位いらない!」と、魔法史の授業プリントを空白のまま提出しようとしていたから、ほうっておけなくて教えていたら、パソコンの前で朝陽あさひが発狂した。


「提出期限あと30分しかないのに、論文のネタが尽きた!」


朝陽も、魔法史の論文だった。耀が、早口で話す。


「魔法は、神様から授かったもの。プロメテウスって神様が、一部の人間に、炎属性の魔法を教えた。平安時代に陰陽師って呼ばれた人たちは、プロメテウスから魔法を教わった一族の末裔まつえい。魔法つかいは、ずっと、呪術者まがいに思われてたけど。開国したことで、西洋の魔道書が、日本に、たくさん入ってきて、日本の魔法技術が発展する。明治時代には、魔法学という正式な学問として認められた。」


教科書の暗唱みたいな耀の発言に、朝陽が、ぽかんとしている。


「俺が言ったこと書いて!」と、耀は、朝陽をせかした。



「ていうことがあって………。」と、耀は話す。


「無事に課題を提出するまで、つきそってたら、こんな時間になっちゃった。」


耀の話をきいて、妃乃は、自分が学生だった頃を思い出した。


「わかる、わかる。」と、しみじみ、うなずいている。


「魔法学は専門的すぎて、ちゃんと勉強しないと、ふつうに単位を落とすよね。」


「次からは、気をつけます。」と、耀が反省しているから、神龍も許した。


「背中から落っこちるくらい雑なワープで帰ってきたわけだし、許すとしましょう。耀が遅れてきたおかげで、助かったこともあったし。」


「え?」


「耀くん!ほら!仕事、仕事!」と、奈月は、はぐらかした。


「そうだった!遅れて来たぶん働かなきゃ!」耀は、奈月と台車をかわる。


台車を転がしながら、耀は話した。


「松岡博士が、ここに入所したこと、家族に話したんです。父が驚いてました。『松岡博士って、あの松岡博士!?』って。」


「ほんとに?」と、圭は、耀の話がまんざらでもなくて、にやけている。


松岡圭の名前は、医学の常識をくつがえした天才魔法学者として、世間せけんに知れわたっている。


圭の治癒魔法は、命属性と時属性の複合魔法。生命力を一時的に高めて、自分の免疫力だけで、がんみたいな重い病気も治してしまう。


耀も、薬を飲まないと咳が止まらないくらいの喘息ぜんそくわずらっていたけど、圭の治癒魔法のおかげで、運動できるほど元気になった。


圭自身も、自分の魔法で新陳代謝しんちんたいしゃを高めて、25歳の息子がいるような父親に見えないくらいの若さを保っている。



 数時間後。魔道書の入れ替え作業が終わった。


研究室に戻って、みんなで、お茶を飲んでいた時、奈月のスマホに通知が来た。クロウからのふざけたメッセージを読んで、奈月は、笑った。


「ねぇ、ちょっと!やばいんだけど!見る?」


と、スマホをわたされて、圭が、あくの強い文面を読みあげる。


『依頼名:冥府に食材の納品

依頼主:奈落より生まれし死神


寝込んでるご主人様のお世話で、買い物に行けないボクの代わりに、誰か、ミルクを買ってきてくれないかな。ついでに、ボクが食べるカレーパンも買ってきてくれたら、うれしいな。』


耀が、ぽかんとしている。


「待って、ぜんぜん、内容が頭に入ってこなかったんだけど。」


「牛乳とカレーパン買ってこいってことでしょ?」


妃乃が、お茶を一口飲んで言った。神龍が言う。


「死神から、こんなメッセージもらう魔法つかいなんて、俺たち5人くらいなんだろうなー。」


 死神と友達になったのには、複雑な事情がある。


こと発端ほったんは、タイタン族の戦争・ティタノマキアまでさかのぼる。


タイタン族の王クロノスは、運命の女神から予言を受けた。かつて自分が父親を倒して王座を奪ったように、自分も、いつか子どもに倒されるという予言だ。


予言の実現を恐れたクロノスは、息子のハデスを殺そうとした。


そうして起こった戦争が、ティタノマキア。


クロノスは、ティタノマキアで倒されたと思われていたけど、奈落の底で、ひそかに生き延びて、ハデスに復讐しようとしていた。


クロノスの覚醒を阻止するためには、宝玉という特別な輝きを宿す魂が必要で、その宝玉が、奈月だった。


宝玉だったせいで、冥界にさらわれてしまった奈月を助けるために、耀、妃乃、神龍、圭は、黒魔法の痕跡をたどって、冥界に堕ちた。


そこで、クロノス覚醒についての事情を聞かされて、耀たち魔道士も、クロノスを倒す手伝いをした。


そうして、ハデスをはじめとするタイタン族の神様や天使、死神のクロウと友達になったというわけだ。



 大丈夫かな、ハデス………と、圭が心配している。


「寝込んでるご主人様って、ハデスのことだよね?」


あ!と、耀、奈月、妃乃、神龍は、圭に指摘されて気づいた。


「クロウの文章が強烈すぎて、そこまで注意が向かなかったよ。」と、妃乃。


「父親を倒すって予言に抵抗して、ハデスは、クロノスと仲直りしようとがんばってたけど。聞く耳を持たないクロノスに、冥界を火の海にされて、みんなの命を守るために、結局、クロノスを倒しちゃったんだよな。」


神龍が言う。


「もしかしたら、精神的にきてるのかな。」奈月も、心配になってきた。


「行ってみる?」と、耀が席を立った。


 一同は、頼まれた食材を買うため、スーパーへ。


ついでに、ハデスが好きなイチゴも買っていった。


 今まで、耀たちは、文字通り、冥界へ落ちていた。


冥界への命がけの落下は、例えるなら、パラシュートなしのスカイダイビング。


めちゃくちゃ怖いから、ゴーストダイブと、耀たちは呼んでいる。


ゴーストダイブするはめになったのは、黒魔法の痕跡をたよりに、無理矢理、冥界に堕ちていたから。


ハデスから、正式なルートを教えてもらった今では、空から落ちなくても、冥府の館の門から入れるようになった。



 冥界は、幻想的な夜の世界。


星の光を宿すステュクス川のほとりには、満開の桜並木が連なっている。


見上げれば、宝石箱をひっくり返したような星空が広がっている。


星のように見える光の正体は、エリュシオンに昇った亡霊の命の炎。


冥界にやってきた亡霊は、生前の生き方を吟味されて、エリュシオンかタルタロスに分類される。


罪を犯した亡霊は、タルタロスに堕とされて、奈落の牢獄で、しばらく反省させられるけど、いつかは、みんな、エリュシオンにおくられる。


冥府の夜空を走る流れ星は、地上で新しく生を受けるために、冥界を旅立った魂。


ここでは、そうやって、輪廻転生が繰り返される。


 アザレアが咲く庭園のあずま屋から、ひょっこり、狼が顔を出した。


この2m近くある巨大な白狼は、フェンリル。


食べ物の匂いをかぎつけて、ペットの魔物たちが、集まってくる。


コウモリの翼と、サソリの尾をもつライオン、マンティコア。


わしの翼が生えたライオンの体に、わしの頭をもつ、グリフォン。


そして、頭が3つある黒犬、ケルベロス。


「たぶん、カレーパンのせいだね……。」圭が焦っている。


「耀、パス。」と、神龍が、やばい状況を察して、エコバッグを耀にわたした。


「俺なの!?」と、悲鳴をあげる耀に、魔物たちの視線が集中する。


耀は、あっという間に、4頭の魔物に、囲まれてしまった。


耀は、逃げた。頭の中は、食材死守!だ。


マンティコアとグリフォンが、空から襲ってくる。それも厄介だけど、デカイ狼も厄介。歩幅が違いすぎる。耀の5歩が、フェンリルの1歩。


さらに、頭が3つのケルベロスは、1頭で、3頭分のカウントに相当する。


奈月、妃乃、神龍、圭は、散らばって、悲鳴をあげて逃げまわる耀を援護した。


4人から、パス!パス!パス!パス!と、バラバラに叫ばれて、


耀は、誰にパスしたらいいのか、わからなかった。


「え、誰に投げたらいいの!?」


とりあえず、いちばん近くの妃乃に投げた。


ケルベロスが、瞬時に、妃乃に方向転換する。


突進してくるケルベロスにびびって、わー!と、妃乃が絶叫している。


「パス!」と、手を振って叫んでいる奈月に気づいて、妃乃は投げた。


その時、洋館のドアが開いた。


洋館から出てきたのは、ベージュ色の髪の小柄な青年。


「こら!」と、クロウの一喝をうけて、魔物たちが散っていく。


決死の鬼ごっこの後で、魔道士たちは、すっかり、息があがっている。


「おい、大丈夫か?」と笑っているクロウに、奈月は、エコバッグをわたした。


「はい、おつカレーパン。」


ほんとに買ってきてくれたの!?と、クロウは驚いている。


「あのメッセージ、冗談のつもりでおくっただけなのに。イチゴまであるじゃん。サンキュ、あがってくれ!」


クロウは、魔道士たちを、洋館へ招き入れた。


変身の魔法で、人の姿をしているけど、クロウの本当の姿は、ドラゴン。


冥界の最下層にいる生きた奈落タルタロスが、自分の体の一部である奈落の養土に、悪魔の血を混ぜてつくった死神が、クロウだ。


耀は、クロウと初めて会った時のことを、今でも忘れない。


クロウが、奈月を冥界に無理矢理つれていこうとするから止めたら、耀は、いきなり襲われて病院おくりにされた。


最初、クロウは怖かったけど、クロウの残忍な行為は、すべて、復讐の血に飢えるクロノスから、ハデスを守りたくてやったこと。


仲間のためなら、なんでもしてしまうクロウだから、友達になってからは優しい。


困った時は、親身に相談にのって、助けてくれる。今となっては、心強い存在。


「今、アザゼルとスピリアが、出てるんだ。来てくれて助かったよ。」


そう話すクロウに、「ハデス、病気なの?僕の治癒魔法が必要?」と、圭がきいた。


「ただの頭痛だから、そこまでおおげさじゃないよ。心配してくれて、ありがとう。今は、疲れて寝ちゃってる。あいつ、仕事が気になって、途中から働きに来たんだよ。おかげで、今日の亡霊の分類は、終わったんだけど。」


体調不良のハデスの代理で、今日は、クロウが亡霊の分類をしていた。


裁きの間に並ぶ亡霊の列の最後尾が、いつになっても見えなくて、クロウが困っていると、ハデスが、ふらつく体を杖で支えながらやってきた。


ハデスにとって、亡霊の分類は、ただの事務作業。


タルタロス堕ちが決まった亡霊がわめこうが、ハデスは、同情しない。


命を自分から粗末にするのは、ハデスは、許さないから、自殺者も容赦なく奈落の牢獄におくられる。


 「ゆっくりしてってくれ。」と、クロウが、耀たちをリビングにとおした時、アザゼルとスピリアも、帰ってきた。


アザゼルは、白髪、赤い瞳の青年。


この容姿は、先天的にメラニン色素が欠乏しているアルビノだからで、それ以外に変わったところはない。


スピリアも、普段、魔法で翼をしまっているから、一見、金髪の女の子に見える。


けど、ふたりの正体は、冥界で働く天使。


「おかえり。」クロウが出迎えた。


「ただいま。」と、スピリアがソファーに座る。


「今日も、壮絶な狩りだった。」アザゼルが、ソファーに倒れた。


狩り?と、日常会話で聞かない言葉に、耀たちは、きょとんとしている。


「なにを狩るの?いのしし?」妃乃が言った。


まさか!アザゼルが、笑っている。


「亡霊だよ!地上への執着が強すぎて、冥界に堕ちてこない亡霊がいるんだ。そういう奴らの経歴書は、僕たちの手元に余るから、どこの誰が来てないのか、わかるんだよ。魂だけで地上をさまよってたら悪霊化するから、その前に、冥界に導かなくちゃいけない。その仕事が、狩り。たいてい、死んだことを認めたくない亡霊ばかりだから、バトルになるんだよな。」


「ちゃんと、みんな冥界に来てくれれば、私たちが迎えにいかなくて済むんだけど。」


スピリアが言う。


「毎日、亡霊は来るだろ。冥界の仕事は、休みがないから大変だよ。」


と、クロウが、ため息をついた。


「あの頃に比べたら、落ちついてるほうなんだけどな。人間が世界中で戦争してた時代は、分類する亡霊の数が、とにかく多くて大変だった。いつになっても、裁きの間に並ぶ亡霊の列に、終わりが見えなくてさ。毎日、残業だったよ。」


そうやって、クロウが話していると。


「ほんと、戦争なんて、なくなればいいのにね。傷つけあうだけで、誰も得しないんだから。」


リビングに、真っ白い肌の赤毛の青年が、杖をつきながらやってくる。


ハデス!と、耀、奈月、妃乃、神龍、圭が、ふり向いた。


「みんな、来てたの。いらっしゃい。今、お茶を準備させるからね。」


ハデスが、耀の隣に座った。ハデスから、ラベンダーの香りがする。


「香水つけてる?」と、耀は、きいた。


「香水?つけとらんけど?」ハデスが、きょとんとしている。


タイタン族のハデスは、言葉に独特の訛りがある。


「もしかして、ラベンダーの匂い?寝室で、アロマいてたから、うつったんやと思う。」


「おまえ、もういいのか?」クロウが、ハデスの体調を心配していた。


「元気やで。薬飲んで休んだからね。」と、ハデスは、うなずいた後、テーブルのイチゴに気づいた。イチゴを見て、ハデスの目が輝く。


「お見舞いの品。」と、耀は言った。ハデスが喜んでいる。


「耀くんたちが買ってきてくれたの?ありがとう。みんなで食べようか。」


ハデスが手を叩く合図で、お手伝いのテディベアたちがやってきた。


ハデスに人数分のお茶を用意するように言われて、テディベアたちが、キッチンへ、ひっこんでいく。


生き物みたいに動くテディベアを見て、かわいー!と、妃乃が喜んでいる。


お手伝いさんは、ぬいぐるみ。外は、フラワーパ―ク。


神龍は、イメージと違う冥界が、前々から不思議だった。


「冥界って、もっと怖い世界かと思ってたけど。ぜんぜん、怖くない。」


「治めるやつの趣味だな。」と、クロウ。


「先代のクロノスのお手伝いさんは、コウモリだったよ。あいつら、マナーが悪いから、俺は好きじゃなかったけど。庭園も、処刑道具コレクション置き場だったし。ギロチンとか、首切りの鎌とか。棺まであったな。」


クロウが、両手の人差し指と中指を2回曲げる、外国人みたいなジェスチャーをしている。


「父さんの遺品は、全部、処分しちゃったよ。」ハデスが言う。


「そんなハロウィンみたいな環境で暮らしたくないもん。片付けた後、殺風景だったから、花でも植えようかなって思ったんだよね。」


テディベアたちが、ミルクティーとクッキー、そして、イチゴを洗って持ってきた。カレーパンも、ちゃんと温めてある。


紅茶が少なくなると、テディベアは、ちゃんと気づいて、おかわりをそそいでくれる。


クッキーに手をのばした時、奈月は、ハデスの杖の水晶玉が、いびつな光を反射していることに、気づいた。


「ねぇ、その杖。水晶玉に、ひび入ってない?」


奈月に指摘されて、ハデスが杖を確認する。


「割れてる………。」


愛用していた杖だったから、ハデスは悲しかった。


心当たりがある。奈落からあがってきた死にぞこないの父親と、一戦を交えた時。


自分に宿るすべての魔力を、水晶玉に込めたのが、いけなかったのかも。


「どうりで、魔法をつかうたびに、頭がズキズキすると思った……。」


「その時点で、気づけよな。」と、クロウが、ハデスから杖をとって、水晶玉のひびを確かめる。


「なんだ、ハデスの頭痛は、杖のせいだったんだね。」


スピリアが、クッキーをかじりながら言う。


「修理、頼んでみる?」クロウが言った。


「杖の修理?」と、奈月は、首をかしげる。


杖は、魔力を圧縮して、一時的に、目に見えるカタチにしたもの。


エネルギーの塊みたいなものだから、考えてみたら、そもそも、ひびが入るのも変だった。


壊れるくらいなら、消えてしまうはず。ふつうの杖は、そうだけど。


「そういえば、ハデスの杖って、特別なんだっけ。」と、奈月は、思い出した。


海を斬り裂く、ポセイドンの三叉の矛・トライデント。


雷を呼ぶ、ゼウスの槍・ライトニングボルト。


同じく、ハデスの杖も、タイタン族の神器のひとつ。


「ヘパイストスなら、直してくれるかな……。」ハデスが、考えている。


「へぱ………誰?」と、名前が聞きとれなくて、眉をひそめる耀を見て、「甥っ子だよ。」と、ハデスは笑った。


「俺の甥っ子ちゃんは、鍛冶の神様って呼ばれるくらい、鍛冶仕事が得意なんだよ。決めた。ヘパイストスに相談してみよう。」


アザゼルが、紅茶を飲んで言った。


「せっかく天界に帰るなら、しばらく実家でゆっくりしてきなよ、ハデス。」


「え!?」と、ハデスは、アザゼルの提案に、戸惑っている。


「でも、俺が休んだら仕事は?俺の代わりに、誰かがやらなあかんことになるやんか。」


ハデスの発言に、スピリアが、まじめだな!と、笑った。


「実家に帰る時くらい、仕事のことは忘れなきゃ。心配しないで、リフレッシュしてきて。私とアザゼルで、まわすから。クロウも、後輩に会ってきなよ。」


「本当に?いいの?」と言ってはいるが、クロウは、休みがもらえることが、すでに嬉しくて、にやにやしている。


ただし!と、アザゼルが、つけたした。


「ミカエルに連絡返せ!って、ついでに、文句言ってきてくれない?あいつ、2週間も、僕のこと無視しやがって………もしかして、僕、ブロックされた!?」


「あのミカエルだぞ?そんなことしないだろ。」と、クロウ。


「私も、ガブりんと連絡とれないんだよー。ふたりで、旅行でも行ってるのかな?だとしたら、SNSに写真あげると思うし、変なんだよなー。」


スピリアも、不審がっている。


「わかった。様子みてくるよ。」ハデスは、うなずいた。そして、イチゴをつまんだ後、魔道士たちに言った。


「そういえば、みんなに、まだ甥っ子たちを紹介してなかったよね。せっかくだから、みんなで、オリンポス宮殿、行こうか。」

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