第3話 ひめごと 3


 靴と言うのは不思議なものだ、とわたしは思う。


 どんなに素敵な物でも似合わないものは似合わないし、最初ぴんと来なくても履いた瞬間「これだ」と思う時もある。


 それは足の形にフィットするかどうかが、他の衣類と比べて桁外れに重要だからに違いない。トップスやスカートは気に入ってしまえば多少のことには目をつぶれるが、靴だけはそうはいかない。医療に従事していた親友はわたしにこういったものだ。


「くるぶしから先はね、身体の変調を調整するための最後のチャンネルなの。足先が健康なら、降りてきた澱んだ血も綺麗になって戻ってゆくわ」と。


 確かにわたしの靴選びはシルエットが綺麗かどうか、ではなく足先が喜ぶかどうかが第一だった。以前は指が締め付けられてもしゅっとしたラインの物を履いたり、ヒップが綺麗になると言われて高いヒールを履いたりしたが、それらの靴は足が喜ばないのだった。


 今、わたしが履いている『魔法の靴』は、クラシックな飾りのついたえんじ色のローヒールパンプスだ。つま先のソフトで上品なラインを見た瞬間、わたしの心はたちまち鷲掴みにされていた。


 シャッター街のようなさびれた通りで見つけた靴店で「これはね、『哀しい踊り子』というシリーズの最後の一足なんだ」と不思議な言葉と共に店主が出してきたのがこれだったのだ。


 最初は「ロマンチックなことを言うおじさんだな」と思ったが、靴を買った翌日、わたしはその言葉が真実だったことを知った。靴がもたらした新たな感覚は、わたしにとってまさに『魔法』だったのだ。


                 ※


「わあ、素敵。こんな工房をお持ちだなんて思わなかったわ」


 涼太に招かれてプライベート工房に足を踏みいれたわたしは、思わず歓声を上げた。


「知り合いに使ってない物置があるからって言われて、安く貸してもらったんです。大した道具はないから本格的な家具は作れないけど、小物なんかはあっという間に作れますよ」


 涼太はそう言って何かの余りらしい木片を手にすると、電動糸鋸のスイッチを入れた。


「何かお好きな形はありますか?動物でも、花でも」


 いきなり問われ、わたしは反射的に「犬が好きです」と答えていた。すると涼太は手先を器用に動かし、ただの木片からあっという間に座っている犬の形を切りだしていった。


「凄い……手品みたい」


 わたしは涼太が目の前にかざした木工品を見つめ、ため息をついた。


「まだ半分です。これからやすりをかけて綺麗にします」


 涼太はそう言うと、何種類ものやすりを使って犬の表面を仕上げ始めた。わたしは糸鋸を使っている最中から、ずっと涼太の手に目を奪われっぱなしだった。


 デザイナーをしているという涼太の指の動きは指揮者のように美しく、手の甲にうっすらと透ける静脈にさえ胸騒ぎを覚えるほどだった。そして、手首にはまっているクラシックな腕時計は、そんな芸術家の手にふさわしい魔法のアイテムのように思われた。


「できました。まだニスをかけてませんが、かなり完成品に近いと思います」


 丸みを帯びた可愛らしい木工品の犬に、わたしは顔がほころぶのを隠せずにいた。

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