ひめごと

五速 梁

第1話 ひめごと 1



 ガシャンと言う禍々しい音に続いて聞こえてきたのは、急ブレーキの音だった。


 驚いたわたしが足を止めると、少し先で斜めになっていたトラックがタイヤを軋ませて走りだすのが見えた。


 ――事故だ、どうしよう。


 わたしは走り去るトラックを呆然と見送った後、目撃者はわたしだけだということに気づいた。慌ててスマホの入ったバッグを開けかけたわたしは、道路に散乱している自転車の部品らしきものを見てはっとした。


 ――そうだ、撥ねられた人は?


 わたしはおそるおそる事故現場に近づくと、被害者の姿を探した。だが、路上に見えるのは無残に飛び散った自転車の破片ばかりで、乗っていた人物の姿が見えなかった。


「まさか……」


 わたしは道路を横断すると、反対側の歩道に立った。対抗線側は細い川の土手になっており、路肩の向こうは河原へと続く斜面だった。


「――あっ」


 路肩に立って河原を覗きこんだわたしは、思わず声を上げていた。草むらの中にひしゃげた自転車と倒れている人影らしきものが覗いていたからだ。


「どうしよう……救助が遅れたら死んじゃうかもしれない」


 わたしは意を決すると、バッグをその場に置いて後ろ向きで斜面を降り始めた。


 河原まであと一メートルほどのところで斜面がつるつるのコンクリートになり、わたしは思い切って後ろ向きのまま地面に飛び降りた。


「よっ……と」


 お気に入りの靴が汚れるのにも構わず草むらを分けてゆくと、俯せで倒れている男性の背中が見えた。


「だ……大丈夫ですか?」


 わたしは男性の傍らに屈みこむと、おそるおそる声をかけた。すると「うう……」という呻き声が漏れて男性がゆっくりと顔を上げた。二十代前半だろうか、泥で汚れてはいるものの、整った顔立ちの人物だった。どうやら跳ね飛ばされた勢いで、自転車ごと土手を転げ落ちたらしい。


「大丈夫です、でもちょっと腰が痛い……」


 男性は掠れ声で言うと、ゆっくりと体を起こした。どうやら重篤な状態ではなさそうだ。


「今、救急車を呼びますね」


 わたしが声をかけると男性は「いえ、そこまでしなくてもいいです」としっかりした声で言った。かといってこのまま立ち去るわけにもいかない。


「でもこれじゃ自転車で帰れませんよね?電話で助けを呼んだ方がよくはないですか?」


 わたしは差し出がましいと思いつつ、意見を述べた。大怪我はしていないにせよ、車に撥ねられたのだ。安心できるまでこの場を離れるわけにはいかなかった。


「そうですね……じゃあ、身内を呼ぶことにします。あれこれ聞かれても困るでしょうから、もう行ってください。助けていただきありがとうございました」


 男性が泥だらけの顔で歯を見せた瞬間、わたしはなぜか切ないような妙な気分になった。


「わかりました。ひき逃げの目撃者が必要だったら、いつでも言ってください」


 わたしは男性に自分の連絡先を教えると、うしろ髪を引かれつつその場を立ち去った。


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