縮こまる怪物①

 少女に対する俺の情動はあまりに不明瞭だ。

 不死者の同類を援助または鎮圧しながら。人間の女を抱き、首に牙を立て『食事』する傍ら、俺が変質している可能性も視野に入れ検討を続けていた。負傷を気にしてしまう理由。髪を伸ばさせようと誘導した理由。

 思案するうち、少女から約束の言伝を確認した――久しぶりに会える。

 だから、ようやく伝える機会だと思っただけだ。

「……お話は終わりですか」

 顔を合わせ、それを口にした途端。少女の声に見たことも無い激情が透けた。


 俺は怒りを扱い慣れていない。吸血鬼の特質ゆえ惹かれ寄ってくる女から向けられることはしょっちゅうだが、瞳を覗きこみ甘いことを囁けば解決した。もちろん獏には一切通用しないが、あれは機嫌次第で怒りやすさが変動するし溜め込んだ愚痴で八つ当たりもされる。必ずしも俺に原因があるとは限らない。

 だが少女は違う。確実に理屈が伴った上で怒っている。そして理由が分からない。原因不明では鎮火方法も見えず、何より初めて怒らせたからか得体の知れない汗が止まらない。


 月影に透ける金の瞳は猛禽(もうきん)のごとく冴え、俺を捕らえた――ゆるりと瞼(まぶた)が閉じる。

 十秒。深くゆっくり息を吸って、吐き出す。


 そうして少女は瞼を開けた。

「申し訳ありませんでした。言伝を聞いていらしたんですよね。わざわざ夜分に御足労いただきありがとうございます」

 俺に礼して自宅に戻る少女は、常の平静を取り戻していた。

 忙しなさに声を失う俺を容赦なく置きざりにしていく。「外は寒いでしょう」と言うあたり、拒絶の意思ではない、はずだ。

「さ……相良、」

 吸血鬼(おれ)は原則、住人の許しのない家には入れない。

 中に入れずいる俺を、少女がちらと振り向いた。

「? ……ああ、律儀でいらっしゃいますね。どうぞ中へ」


 居住空間は質素だった。最低限の機能の厨(くりや)、書物机と寝台。あとは仕事道具と思しき武具が細かに整頓されている。少女は灯りをともし、火を入れて茶の準備を整えていた。

 俺は冷たい床に座した。そうしなければならない気がした。

「すみません。ろくな調度品もありませんで適当に掛けて……冷えませんか?」

 少女は身の置き場を迷い、俺の正面で膝突き合わせて正座した。

 先ずは――何故か、獏からの苦情が鮮明に思い出された。兎に角詫びろと怒鳴られた。

「……連絡もなく、それも夜分に押し掛けてすまなかった。住居はお前の仕事場で教えて貰っていた、から、不法に突き止めたものではないと誓う……それで、相良」

「ええ、以前から伺っております。……申し訳ありません、私は『琥珀』という名で生活しておりますので、その呼称の喧伝は極力お控え願います」

「……此処でなら構わないか」

「問題ありません。それで、マキさんはなにかお話がおありでしたか」

「…………それは、」

 恐るべきことだが、少女の怒気に触れて、頭から飛んだ。

 唾を飲む音が煩い。茶を貰っても口にできず、少女の真顔に物怖じしながら言葉を探す。

「お前が、……健やかなほうが好ましいらしいと、気付いただけなんだ」

 負傷を見咎め、情緒の快復に心が凪ぐ。俺の情動が良しとするものは明白だった。

 屋根裏にいた頃とは異なり、少女自身の努力で生き方の選択肢は増えたはずだ。屋敷から逃げても生存が難しいからと逃走の選択肢を除外した以前とは全く違う。

 他の場所でも生きていけるなら、わざわざ危険を選ぶ必要はない。

「省みる余裕も無いほど身をすり減らすなら、やめたほうがいい」

 命の危険が伴う駆除業務や、他人に明かせない守秘業務にこだわらずとも身は立てられる。


 毒を飲む必要は無い。機能性で容姿を固定されずともいい。

 虚ろな目で、自分の存在を器物(モノ)同然に認識しないで欲しい。

『俺はずっと、お前に、『助けて』と言って欲しかった』

 そうなるくらいなら――手を、伸ばして欲しかった。


「……マキさんのご心配はありがたく頂戴いたします。……人を選ぶ職だとは分かっております。その為の修練も積んでいますから、問題ありません」

 頭を下げられた。美しい土下座だった。

「……自分の身体を気遣う余裕も持てないんじゃないのか」

「マキさんが仰る心配の原因は、職場の問題ではありませんよ」

 これは自分の問題だと言って、少女は「約束の品」を取りに行った。

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