閑話:名前①

「無理。怠い。ほか当たって」

 タタラの提案はものの数秒で却下される。

 便利屋のちいさな談話室には、組織の長たる男の笑いがこだましていた。


 北の便利屋に新入りの孤児が転がり込んで数週間が経つ。一通りの検査と回復の済んだ子どもの身辺もようやく落ち着き、内々に配属先が検討されはじめていた。

 組織の頭目をつとめるタタラの沙汰さたは、ヨウへと下った――つまるところ提案とは、技術の皆伝および、新入りの指導役を任されてくれないかという打診だった。

「不満かい? 彼女は素直で努力家だ、きっと教えがいがある。何より君と気が合うと思うんだけれど」

「あんたの審美眼は認めてる。僕に弟子を取らせようとする根性が気に入らない」

「ふふ、君に一目置いてもらえるのは嬉しいな」

 卓を挟んだ至近距離、手酷い拒絶をものともしない。

 向き合うヨウが表情を歪めても構わず微笑みながら、皺の刻まれた両手を組んだ。

「君は働き過ぎだよ。前々からうれいてはいたんだ。……ただ、誰にでも任せられる仕事ではないからね。人選も慎重にならざるを得なくて」

 ヨウの担う仕事は主に、諜報、暗殺、各種工作。広義で諜報員スパイと同義だ。それも相手を貴族に限る――諜報員を担う構成員がいない訳では無いのだが、警戒の厳しい相手に安定した結果を叩き出す実力者は彼ひとりと言っても誇張でない。

 教養、言葉遣い、無意識の所作に至るまで。上流階級に違和なく溶け込み自在に立ち回るための素養は、孤児やはぐれ者で構成される便利屋にはきわめて希少だ。

「彼女には素地がある。礼儀作法や立ち居振る舞いを学べる環境にいたんだろう。教養は強みだよ。それを最大限に活かせる配置は君のところだ」

「……ああそう。本人の希望は?」

「手の足りないところに回してほしい、という話だからね。丁度いいだろう?」

「そうじゃない」

 タタラにずいと顔を近づけ、威嚇の声を低くする。

「里親に扶養させる選択肢。あるだろ? あんたの言う通り育ちのいいガキなら貰い手に困らない気がするけど」

 端正な顔がかもす迫力にも、タタラが怯む様子はなかった。「君は本当に痛い所をつく」と。薄く笑ってみせるだけだ。

 ヨウは内心で唾を吐く――善人ぶった顔で他人の意思を誘導する白々しさが鼻につくのだ。集めた信者を、自分の目的の為に消費することしか考えていない利己主義者。

「……本人の意思が第一。さも公平ですみたいな顔しといて、都合の悪い選択肢ははなから見せない。使えそうだから手元に飼っときたいとかこすい計算したろ、あんた」

「君は案外やさしいことを言う時があるね。彼女を心配してあげているのかい?」

「あのガキが残れば僕の面倒が増える。そんなもん追い出す以外に選択肢ある?」

「断ればいいじゃないか。私も無理強いはしないさ、当然の権利だろう」

「させねーだろあんたは。狸ジジイがその辺にしろよ」

「選択肢は提示した上で彼女が選んだ」

 ヨウが押し黙る。タタラが続けた。

「他者からの庇護ひごより、ひとりで身を立てるに足る知識と技術が欲しいそうだ。他所の事情で人生を左右されるのは御免だと言っていたよ」

「これは彼女の為でもある」と。ヨウの碧眼と、黒髪を見遣る。

 細く柔らかな髪が染料による黒染めだと知っているのは、ヨウの出自を把握しているタタラと、ヨウの幼馴染だけだ。

「貧民窟や路地端ばかりが地獄ではない。生まれが上等だろうと、ままならない環境というものはある。……君はよく知っているね?」

 微笑みながら黒髪に伸ばした手は、音高く叩き落とされた。

「勘違いするな。僕が便利屋ここに居てやってるのは、一時的な利害の一致だ。あんたの寝首なんざ何時でも搔ける」

 タタラの接触を拒絶した手を、汚れでも払うように叩く。

 軽蔑と嫌悪を凝縮し、仮にも上司へ向けるものではない凄絶な表情で睨んだ。

「逃げ道も選択肢も持てなかった奴を、さも救世主みたいな顔で拾ってやって手駒にしていくあんたのやり口、反吐が出るほど嫌いだよ」

 吐き捨てて席を立つ。退室間際、ついでのように言い残して。

「いいよ、気が変わった。ガキは引き取ってやる。貸し一つな」

「そう。嬉しいな、よろしく頼むよ」

「僕に任せたからには、どうなっても文句言うなよ」

 怪訝そうなタタラへと、ヨウが悪どく唇を歪める。

「あのガキの生殺与奪、僕が好きにしていいって話でしょ」

 答えを待たずに扉が閉まった。


 ひとりきり残された部屋に、タタラの忍び笑いが広がる。

「……棗の三男とはいえ、まだまだ青い」

 彼女を心配しているのは本心だろうと思った。子供の世話を背負い込みたくないという本音も持ち合わせた上、発露がひねくれているから分かりにくいが――同調するところがあるのだろう。人売りに叩き売りもせず連れて来たのが何よりのしるしだ。

 有用な駒になると直感したのはその通りだった。手元に欲しいと考えた思惑も。ただし彼女は不確定要素であって、支援は投資に近い賭け。

 育成が上手くいけば幸運、副産物と言ってもいい。本命は別にある。

「自分の価値は良く分かっているだろうに、そこまでは考えが至らなかったかな。可愛いものだ」

 便利屋はその性質ゆえ構成員の多くはタタラに借りがあり、恩義から従い集っている。ただし全員ではなかった。縁あって辿り着き、諸般の事情で留まっているだけで、いつ便利屋から離脱してもおかしくない一部の構成員。

 完全には御しきれない彼らのこと。それが長らくタタラの懸念だった。

 まさに先ほど寝首を搔くとまで言ってのけた男がいる。実質的に唯一無二の実力者だ。これが欠けては痛手が大きい。

「弱点が無いなら作ればいい、か。誰が言った台詞かな、ふふ」

 声を弾ませるタタラはまだ知らない。


 翌日から各部署で選り取りみどりの苦情が噴出し、タタラの私室まで大挙して雪崩込み直訴されるほどの騒ぎになろうとは。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る