第9章 重たい扉

 トランとアパラチカが帰ってきたとき、準備はほとんど終わっていた。アミは長袖のTシャツとジーパンを着て、タオルケットのポンチョを片腕にかけた。着るのは洞窟に入るときだ。それ以前に着てしまうと、暑くてどうしようもないだろう。

 再び馬車を呼び、ガタガタの道を馬車に揺られて移動する。日本人が去ってしまったせいか、道の舗装は進んでいない。変わっているのは、輸入商品だけのようだった。

 アミが手にしたバインダーには、前回の記録が残っている。洞窟に入ると、アミはどの道を通るかを誘導する役割を与えられた。

 沢の道に入ると、アミは前回の続き、比較的奥のほうまで進むよう求める。隠し場所なら、どちらかといえば手前よりも奥にありそうだった。ヘルメットに水滴が当たり、ボトッという鈍い音がする。相変わらず、生きものの気配はない。

 大きく下る道に入った。トランはまたその場に残ろうとしたが、バートが促すと、這うように移動する。スーツケースは浮かせるしかなかった。下に投げれば、大きな音を立てて、万が一、だれかいた場合、注意を引いてしまうかもしれない。

 その道は、比較的太い脇道だった。少し進むと、また分かれ道が見える。体系的に調べるには、まず太い道を調べて、それから細かいところへ移ったほうがいい。

「先にこの道を終わらせる方針で、いいですか?」

 トランがうなずいたので、一行は同じ道を進み続ける。少し進むと、また段になっていたが、今度はたいして段差がなく、一つの段が広い。トランも杖だけで、問題なく移動できた。

 再び登場した分かれ道も、メモだけ取って先へ進む。道が少し細くなってきたが、進んでも何の収穫もなかった。

「とりあえず、食事にしようか」

 その場で休憩をとる。

 トランは日記帳を一冊、持ち込んでいた。

「この日記に、隠し場所についての記述がありそうなんだ」

 LEDライトで照らし、トランは食休みがてら注意深く日記を読んでいく。

「闇雲に調べるより、先に日記を読んできたほうがよかったんじゃない?」

 アパラチカがトランに尋ねると、トランは首を横に振る。

「そうかもしれない。急いでたから、持ってくるほうがいいと思ってたんだけど。なんていうか、洞窟に隠し扉をつくった、と書いてあってね。それをまず、探さないといけないみたいなんだ」

「隠し扉なら、壁を触りながら歩いたほうが、見つかるんじゃないですか?」

 バートが提案する。

「今まで歩いてきた道にだって、気づいてなくても、あったかもしれないですよ?」

「かもしれない。ただ、そうだとしても、一度も見ていない場所を先に探すほうが、優先だと思う」

 アミはバインダーを眺めた。これまでに歩いた道の端に、チェックボックスを書き込んでいく。扉がないか調べきったら、チェックを入れて、その道を終わらせる。それまでは保留にしておかないといけない。

「ひょっとして、帰ってこなかった一団は、その隠し扉を見つけたのかもしれないわね。中に入って、出られなくなったとか」

 アパラチカの言葉に、トランは同意した。

「その可能性は、大いにあるね」

「だとしたら、偶然でも発見できる道なのかもしれませんね」

 バートが笑顔で楽観的に言う。

「どうかなぁ。地図をつくろうとしてたグループだからね。それなりにしっかり、調べようとしたのかもしれないよ」

 アミはトランの意見のほうに賛成だった。しっかり調べようとした集団は、帰ってこなかった。扉を通った奥に、骸骨が点在しているところを、思わず想像してしまう。自分たちだって、間違った方法で調査すれば、同様の事態に陥りかねない。

 暗い道を照らしながら、アミたちは進んだ。トランは扉を見つけようとして、杖を片腕に持ち、壁を支えにしながら歩いている。なんだか不安定で危ないのに、大丈夫だと言い張って、やめない。バートが代わりにやろうと申し出ると、トランは首を横に振る。

「万が一、扉が重くて、キミしかまともに開けなかったら、どうする? 反対側からは開かなかったら、下手すれば、閉じ込められるかもしれない」

「それじゃ、わたしが……」

 アパラチカにも、トランはうなずかない。

「キミが押しても、びくともしないかもしれないよ?」

「でも、どうしてトランさんは……」

 アミが尋ねようとすると、トランは質問を遮った。

「僕の体重は結構、重い。力もそれなりにあるから、片脚と杖でも、女の子よりは、ちゃんと押せるだろう。半面、僕は片脚で、バートほどしっかりとは押せないから、僕が閉じ込められたときにバートなら助けられても、逆はできないかもしれない。扉の重さの見当がついていれば、力は加減できる。最初が一番、危険なんだ。先に閉じ込められた人たちがいるという推測が成り立っている以上、あまり危険は冒せない」

「でも、その分、体力は消耗するでしょう」

 バートは困惑して言った。

「魔法はトランさんにかなわないのに……」

「それは否定できないね」

 トランは視線を落とす。

「カイルでもいてくれたら、よかったんだけど」

「ジャーナリストのお友だち、でしたっけ」

 アミが確認する。トランは黙ってうなずいた。

「アミとわたしが力を合わせれば、あなたにそんなに負担をかけなくて済むかしら?」

 アパラチカが提案する。

「どうだろう。ちゃんと同時に押せるなら、多少は力になるかもしれないけど」

「2人とも反対側に行っちゃっても、助け出せると思います?」

 アミは訊いてみる。

「それはまったく、心配するに及ばないよ」

 トランは笑った。

「おいおい、だれが残ると思ってんだ?」

 バートも笑っている。

「女の子2人で開けられるなら、僕なら片腕で十分さ。地面にしっかり体重を残して、開けられるよ」

「妖精の力は、よくわからないので」

 アミが抗議すると、トランは首を横に振った。

「普通の女の子と変わらないよ。魔力は特別だけど」

「僕は子どものころから動き回る性質だし、トランさんのサポートをするために、身体は結構、鍛えてるんだ。まだ15歳だって言っても、胸囲は1メートル以上、あるんだからね?」

 アミは思わずバートをじろじろと見てしまう。あまり注意して見たことはなかったが、言われてみると確かに、筋肉がついている体型らしく見える。普段が和装みたいな格好なので、気づかなかったのかもしれない。

「ほら、わかったら、やるわよ」

 アパラチカに促され、アミは壁を押しに行く。体重をかけて力いっぱい押しては、少し先へ進み、また強く押して、先へ進む。アミが思った以上に、重労働だった。

「あんまり無理しなくていいからね。アミはあまり体力がなさそうだから。アパラチカも、無理強いしないで、アミのペースに合わせて」

 トランが声をかけてくる。自分が役に立ちたいと思っていなかったら、アミはすぐにでもやめてしまったかもしれない。

「僕が片腕で押していったほうが、ずっと楽かもしれないですよ」

「そうだね。やっぱり女の子の力じゃ、その程度かもしれないね」

 結局、トランが中断させて、再び自分で押し始めた。

「どうしても、これ以上の方法は、なさそうだ」

「粉末揚素を使ったら、押せなくなりますけどね」

 バートは少し思案するように言った。


 細い道の2本目は、内部でさらに分岐していて、アミに面倒な仕事を強いる。そのうち1本は入口が小さく、立ったままでは中に入れない。

「まさか、そんな場所に扉なんかつくらないと思うけど……」

 トランの指示で、アミとアパラチカだけで入り、あちらこちらをライトで照らし、2人がかりで押してみる。やはり、壁が動く気配はない。バートが2人の様子をじっと入口から見守っていたが、何も起こらないので、トランが戻るよう、指示した。

 アミが戻ろうとしたとき、上のほうで何か音がした。アミが見上げても、低い天井以外、何も見えない。アミはその場を離れた。

「今、何か上のほうで、音がしました」

 念のため、報告だけはしておく。

「それだけだと、何とも言えないね。だれかが上にいるのかもしれないし、どこか岩に亀裂でも入ったのかもしれないし」

 アミたちが離れようとしたとき、何かが上から落ちてきた。

「ん?」

 アミはしゃがみ込んで拾った。それは石の破片だった。

「わからない。何が原因だろう」

 トランは首をかしげて、来た道を戻っていく。上のほうでまた音がしたので、アミは急いでその場を離れるが、トランは走れない。

「トランさん、急いだほうがいいです。また音が……」

 アミが言い終わらないうちに、ばらばらとした石が落ちてくる。バートはトランの片腕を引いて、逃げるのを手伝う。アパラチカは浮かせたスーツケースを強く押した。スーツケースは一気に広い道のほうへ滑っていく。アパラチカは一瞬、反動で転びそうになったが、持ちこたえてなんとか逃げきる。

「危なかったぁ」

 トランを無事に逃がすと、バートは大きく息をついた。アミは崩れた道を、バインダーに×印を書き込んで消す。

「いったいどこが崩れたんだろう」

 トランが立っている場所の天井を見つめて言う。

 洞窟は島の地下深くにあるわけではない。地上のどこかが崩れ落ちない限り、道が埋まるほど崩れることはないと思われた。

「上からだれかが僕たちの居場所を見つけ出して、わざと崩したんじゃないといいけど」

 だれか、とトランは言ったが、可能性としては、ヴァーミアくらいしかあり得ないはずだった。

「でも、ヴァーミアなら、あんな中途半端な崩し方、しないんじゃないかしら」

 アパラチカは不審そうに天井を見上げた。

「わからない」

 根拠がなければ、何も断定できない。アミたちは周囲の音に警戒しながら、沢の道へ戻り、次の道へ向かう。延々と繰り返す。途中でトランが止まってしまっても、だれも文句は言わない。アミとアパラチカは、すぐに壁を押し始める。バートが手伝おうとすると、トランが止めに入る。

「とりあえず、休もう」

 暗い道で、いつ何が起きるかわからない緊張感せいで、アミはどんどん疲弊していった。休んでは進み、立ち止まって耳を澄ませては、また進む。片脚で壁を押し続けるトランだけが、アミに「がんばろう」という気持ちを保たせてくれていた。

「そろそろ眠らないと持たない」

 トランが赤くなった手を見せると、バートが薬の調合を始める。

 石の地面に眠るには、リュックを枕にする必要があった。ブランケットで全身を包み、1人の見張り役だけを当てにして眠っても、安心しきれないアミは、ときどき目を覚ましてしまう。

「下が痛くて眠れない?」

 見張りをしていたバートに問いかけられて、アミは小さくうなずく。

「ちょっと場所が悪いのは事実だよね。仮眠だけにして、あとで別の場所で休んだほうがいいかも」

「水の中のほうがマシな気がする」

「普通の水じゃないから、あとで固まるよ?」

「……わかってる」

「少しでも場所を動くと、どこまで壁を調べたか、わからなくなるから、留まるしかないんだろうな」

 アミはうなずく。会話をしながらも、うとうととしていて、寝足りないのは明らかだ。座った姿勢で眠れるだろうか。アミはリュックを壁と自分の間に挟んで、ブランケットにくるまって座り、前に倒れるような姿勢で眠ろうとしてみる。

「その姿勢、首が痛くなりそうだけど」

 バートがそう言うのが聞こえたが、アミは同じ姿勢で寝続けないほうがいいと思っていた。

 アミが見張り役になったとき、アミはその姿勢を後悔した。仕方なく立ち上がり、しばらくその姿勢で見張ろうと試みたが、身体がだるくて持たないので、仕方なくアパラチカを起こして20分ほど眠らせてもらう。

「まったく……わたしが妖精だからって、眠らなくていいわけじゃないんだから」

 20分で痛みが取れるほど、甘くない。アミは仕方なく、痛む首をさすったり、ゆっくりと角度を変えたりしながら見張った。

 だれとも話せない間、アミは思考を巡らせていた。今の調子でやっていては、トランの身体が持たないのではないか。前回の探索よりも長期にわたるかもしれないのに、そんなに身体を痛めつけて大丈夫なのか。地図作成のために、わざわざあちらこちら、押してみる必要はなかったのではないか。あるいは、日記にもう少し詳しい場所の記載がないのか。

 魔法の島で、洞窟には動物がいない。そんなの変だ。こういう洞窟の中には、普通、コウモリとか、地中の生物とか、何かしらいるはずじゃないか。それとも、水が悪くて住めないんだろうか。それとも、魔法で守られているんだろうか。

 とりとめもない思考は次から次へと浮かび、消えていく。アミはぼんやりする頭で、本当なら今ごろ、日本にいて、研究を進めながら、就職したい企業とか、教員採用試験を受けるかを選んでいるところだっただろう、と考える。

 だが、現実は、そんなにのんびりとした調子では進んでいなかった。真っ暗な洞窟の中に、東森の村の人々が恐れた魔法使いと、その仲間たちと一緒にいて、ひどい顔で、ヴァーミアから逃げ回っている。

 ゆっくりと過ぎる時を待ち、アパラチカと交代して、アミは休む。

 アミが目覚めたとき、ほかの3人は食事を終えていた。

「大丈夫?」

 バートに尋ねられて、アミはうつむいた。自分だけがついていけない。足手まといになっているのではないだろうか、と不安になっていた。

「ああ、身体が痛いや」

 トランはちらとアミのほうを見て言った。

「トラン、無理しないで」

 アパラチカはトランの肩を軽くさする。

「無理しなくて済めばいいんだけどね。何しろ、隠し扉なんて、どうやって探していいのか、わからないんだよ」

「日記には、それ以上、ヒントはないんですか?」

 バートがトランのカバンに視線を落とす。トランは肩をすくめた。

「いや、僕が今まで見た限りでは。だけど、どっちにしても、急がないといけないんだ。ヴァーミアが追ってきた以上、僕たちには、戦う手段が必要なんだから」

「でも、地図作成のために、わざわざ壁を押して歩かないと思うんだけれど」

「わかってるよ、アパラチカ。だけど、偶然、寄りかかった可能性だってある」

「何人で行ったんですか?」

 アミは訊いてみる。

「その地図をつくっていたグループですが……」

「どうかな。あまり詳しくは知らないけど、地図をつくるためなんだから、それなりに人数はいたと思うよ」

「それなら……」

 帰ってこられないような事態にならないように、チームを分けたりしなかったのだろうか。アミがそう指摘しようとすると、トランはまったく別の視点の意見を提示する。

「だから、油断してたかもしれないし、偶然が発生する可能性は、僕らより格段に高かったと思うんだ。要するに、心してかからないと、大事な手がかりを見落とす危険性がある」

 こう言われてしまうと、アミはそれ以上、何も言えなかった。どちらが正しいかなんて、やってみなければ、わからない。

「ただ、どっちが時間的に、効率がいいかって言うと、僕にも正直、わからない。実際、かなり負担はかかってるからね」

「だったら、歩きづらい道だけ、先に押してみたらいいんじゃないですか?」

 バートが提案する。

「ああ、それはいい考えだ。押した場所と、押してない場所がわかるように、記録を分けられれば、だけど」

 アミはバインダーを見つめる。いったいどう記録すればいいだろうか。現時点で、バツがついている場所から、どう歩いてきたかは、わかっている。押した場所だけ、線に斜線を足していくか。それ以上の方法が見つかりそうにない。

「できるとは思います」

「じゃあ、やってみてくれる?」

「はい」

 アミはうなずいた。また過酷な一日が始まった。

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